志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

公園の主のような上原さんの姿がなかった。猫たちに缶詰の餌をあげている恰幅のいい男性にお聞きしたら~!

2021-05-24 21:35:19 | 日々の記録・備忘録
(ソテツの丘)
一度コロナ禍の最中、公園も閉鎖されていた。それでも園内を散歩したりジョギングをする人々はいた。しばらく足を向けることがなかった公園でふと猫さんたちに餌をあげている方に声をかけると~。

以前、週に2、3回は散歩していた公園になぜか心が向かなくなって、たまに出向く時はソテツの丘に立ち寄っていた。春の若草色や薄いピンクの芽の色合い、柔らかいクリーム色の雌花に心がはずんでいた。命が巡ってくる春の華やぎは一瞬に過ぎさる。美しい命の輝きはすぐ過ぎ去る。そして春も5月半ばを過ぎて、ソテツの丘にやってくると、また無残な光景が目に刺さった。


雌花の色合いは薄汚れた色に見えた。害虫に襲われていたのである。悠然と宙に突っ立つ雄花もまた害虫に襲われていた。毎年繰り広げられるソテツの丘の光景だったのだ。しかしこのような雌花と雄花の襲われる姿ははじめてだった。以前、ソテツの新芽、新葉が害虫に襲われている現場を目撃して驚き、それを動画に撮ったことがあった。今回は、雌花と雄花である。よく見るとやはり同じ例の蝶が飛び交っている。命が巡ってくる。ソテツを餌にする、ソテツに寄生する蝶たちもまた命の循環を生きるためにそこにいた。シジミ蝶、クロマダラソテツシジミは体長3cm弱の小さな蝶だ。その幼虫が食い荒らした新芽の跡形も残っていた。



それだけではない。こんなに傷んだ、薄汚れた色の雌花を見たことはこれまでなかった。雄花もまた途中から黒ずんでいた。小さな蝶の食べる、生きるエネルギーの凄さだが、ソテツの丘もまた紆余曲折を経ながら群生している。群れとして生存し、ソテツの世界を成しているゆえか、一部の被害があっても群れとしてはたくましく生き延びている風なのだ。人間界も同じだろうかとふと思った。

(公園の主、ホームレスの上原さん)
公園の端まで歩いてきたら大柄な男性が屈んで猫に餌を与えている姿に出会った。猫さんたちのことが気になっていたので、声をかけた。缶詰のいい餌を与えている男性は近くの団地に住んでいて、「猫が飼えないので、それでたまに散歩しながら、餌を与えているのですよ」と語った。「とてもいい餌を与えていますね。猫さんたち幸せだ」と応えると、固形の餌が多いのであまり食べなくなっていてね、とのことだった。「猫さんたちの数は少なくなっていませんか」とお聞きしたら、そうでもないとのことだった。公園の東側、噴水の所、ホームレスの上原さんが寝起きしている所など4箇所くらいに野良猫が住んでいることをお話した。上原さんも預かった猫を飼っていてねの話になり、そういえば上原さんいませんでしたと話すと、どうも公園で倒れて病院に入院しているとのことだった。その後施設に行くんじゃないかな、ということだった。




かれこれ3,4ヶ月はなるかもしれないという事に驚いた。いつも自転車があるので、上原さんはまだ公園の一角で寝起きしているものとばかり思っていた。昨今、遠くから様子を窺うことがあっても、時間の都合で声をかけることはなかったのだ。それが幾分悔やまれた。あの青いベンチではじめて声をかけた時のことが浮かんだ。目が澄んできれいと一瞬ハットした日だった。いつもその青いベンチまでやってきて、野良猫さんたちに餌をあげていた島袋さんたちはお元気ですか、と訪ねたのだった。そういえば島袋さんや青木さん、比嘉さんたちはお元気だろか。

「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」。旅人は一期一会を繰り返しながら生きている。ことばを交わした一時は二度と同じような形でやってくることはなかった。猫の里親のような島袋さんたちの様子をうかがいながら親しく口を聞くようになったあの時以前から、旅は続いている。

上原さんの写真をしっかり撮っておくべきだった。生活の痕跡を写真に撮った。彼は確かに公園の一角で、公園の主のように生活していた~。

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