※このシリーズは2004年より新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。
再開します。
前回の掲載分 http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/d/20141005
シリーズ http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/c/20e10ae5fbd4d039e536a21e6f89acdd
平塚でも同様の問題が起こり、全国のボートピア反対運動の連帯の一環として2006年8月に平塚よりマイクロバスに
反対住民が乗り、習志野に視察に来て、市民連絡会との交流が持たれた。
(17回目に掲載 http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/d/20140223)
今度は市民連絡会側が平塚の集会にに行くことになった。
2007年9月2日に習志野より4名が「ボートピア平塚建設反対シンポジウム」に参加した。
当日は百数十名が集まり、習志野市以外でも小田原市、大和市、厚木市よりの参加もあり、それぞれが発言をした。
シンポジウム終了後は建設予定地の大神地区を視察した。建設予定地は厚木インターに近い広大な農地で 後継者のいない
農家20数戸には高額な買収金額が示されているとのこと。
その後、買収地の近くで交流会が開かれ、意見交換がなされた。
平塚との交流はその後も続く。2008年9月21日には大型バスで平塚より51名の大視察団が再び習志野を訪れた。
視察団は三々五々とボートピアの場内に入り大型スクリーンやレースの様子を観察した。
その後、新習志野公民館で交流会が開かれ、お互いの現況報告や意見交換が持たれた。
その後最終的にボートピア平塚は建設を断念した。
裁判は高裁で審理が進む一方、2007年9月でボートピア習志野は開業1年を迎えた。
市民連絡会は開業1周年抗議行動を呼びかけた。
10月8日の抗議行動はあいにくの雨ではあったが50名以上が集まり、新習志野駅前で現状報告やリレートークの後、
東洋エンジニアリング正門前までデモを行い、申し入れ書を手渡した。休日のため社員はいないので守衛に手渡した。
※文中敬称略・肩書き等はいずれも当時のもの
次回へ続く
再開します。
前回の掲載分 http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/d/20141005
シリーズ http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/c/20e10ae5fbd4d039e536a21e6f89acdd
平塚でも同様の問題が起こり、全国のボートピア反対運動の連帯の一環として2006年8月に平塚よりマイクロバスに
反対住民が乗り、習志野に視察に来て、市民連絡会との交流が持たれた。
(17回目に掲載 http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/d/20140223)
今度は市民連絡会側が平塚の集会にに行くことになった。
2007年9月2日に習志野より4名が「ボートピア平塚建設反対シンポジウム」に参加した。
当日は百数十名が集まり、習志野市以外でも小田原市、大和市、厚木市よりの参加もあり、それぞれが発言をした。
シンポジウム終了後は建設予定地の大神地区を視察した。建設予定地は厚木インターに近い広大な農地で 後継者のいない
農家20数戸には高額な買収金額が示されているとのこと。
その後、買収地の近くで交流会が開かれ、意見交換がなされた。
平塚との交流はその後も続く。2008年9月21日には大型バスで平塚より51名の大視察団が再び習志野を訪れた。
視察団は三々五々とボートピアの場内に入り大型スクリーンやレースの様子を観察した。
その後、新習志野公民館で交流会が開かれ、お互いの現況報告や意見交換が持たれた。
その後最終的にボートピア平塚は建設を断念した。
裁判は高裁で審理が進む一方、2007年9月でボートピア習志野は開業1年を迎えた。
市民連絡会は開業1周年抗議行動を呼びかけた。
10月8日の抗議行動はあいにくの雨ではあったが50名以上が集まり、新習志野駅前で現状報告やリレートークの後、
東洋エンジニアリング正門前までデモを行い、申し入れ書を手渡した。休日のため社員はいないので守衛に手渡した。
※文中敬称略・肩書き等はいずれも当時のもの
次回へ続く