習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯⑱(結審に向かう裁判・原告本人尋問、間近に迫る開業)

2014年03月16日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年より新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

2006年7月19日(水)千葉地裁において原告本人尋問が行われた。
傍聴には原告・支援者50名超が詰めかけ、傍聴席が足りず一部の人は廊下で待機し交代で傍聴をした。
午前4名、午後2名の証言がおなわれた。各人がリアルな体験を語り、説得力のある内容だった。
・パニック症候群の母親が治療のために通っている国際水泳場でのトラブルの発生の心配(Y)
・高校生まで過ごした大阪・岸和田市が競輪場のある土地であったため危険な体験をした(S)
・かつて住んでいた競輪場のある松戸で競輪客から金をせびられた(G)
・京葉線沿線の小学校に通っている子供が一人で新習志野からで電車に乗る際不安(T)
・香澄公園から不審者に覗かれた体験(M)
・交通渋滞の実態(T)
これに対する被告側の反対尋問は、ボートピアが地理的に離れていることを実証させるために意図的に選んだ
地点だけを地図に印をつけさせたり原告の真横に威圧的に立ちふさがるなど極めて質の悪いものであった。
「プールで舟券を売っていないことを知っていますか?」などと質問し、原告は無知であるとばかりに侮辱するものであった。
2006年9月6日(水)に千葉地裁で第2回の原告本人尋問と、被告側尋問が行われた。
この日も原告・支援者・学生が48人詰めかけぎっしりと法廷を埋めた。
・病気で倒れた時の経験や日常の看護、渋滞による救急車の到着の遅れの不安(S)
・ぜんそくや、心筋梗塞などの場合、救急病院への搬送が心配(病院経営のM)
・新習志野駅前での子供の集まり場所への影響(S)
・新習志野駅前は通学だけでなく部活で行くことも多く現在でも痴漢や自転車事故の多いこと、
生徒が舟券の誘惑に駆られる(津田沼高校T教諭)
・大学の立場から、学生が道を誤りかねない、大学のイメージ社会評価を下げる(千葉工大近藤教授)

被告側証人としてテックエステート側担当役員の河瀬への尋問では、「渋滞はない」「住民の生活空間への影響や
ボートピアがもたらす懸念」については道路で区切られているとか未成年者は入場禁止だとかの杓子定規のものであった。
地元の定義についてはボートピア推進本部の指導で、当初は茜浜第二企業連絡協議会であり、その後地元ではないと答えた。
千葉工大の理解を求めるよう国交省から指導があったのではないかと問われ、「国交省からの指導はなく習志野市から
アプローチしてほしいと言われただけ」と他人事の無責任なものであった。

一方、東京地裁における「行政訴訟」は8月30日に第8回目の公判が開かれ、29人の原告と支援者で傍聴席が埋められた。
原告側準備書面と証拠書類が提出された。
違法な施設設置確認を許すことにより、人権侵害を被ることは改正行政訴訟法や最高裁判例で確認されていること、証拠書類
として原告団長土居の生活日誌や29人の原告の被害を訴える陳述書が提出された。
「国交省は確認申請審査をボートピア推進本部に丸投げした」という原告側の指摘に対し、この日も被告側からは審査過程を
示す資料が提出されなかった。


一方ボートピア開業準備は着々と進み2006年9月26日(火)には「開業記念式典」が開催される運びとなり、各方面に案内状が
出された。これに対し、開業式典から開業日までの連続抗議行動が計画されることとなる。


※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
  次回へ続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。