習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯⑰(山場を迎える裁判闘争と平塚交流会)

2014年02月23日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年より新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

2006年7月千葉地裁における証人尋問の日程が決まってきた。
7月19日午前 原告4人(Y、S,Z、Su) 午後原告3人(F、M、T)
9月6日   原告4人(S、M、S、T先生、K先生)被告(テックエステート川瀬)

これに先立ち7月7日(金)に裁判長の現地実地見分が決まった。
実地見分は裁判の大きなポイントであり、裁判長への説明者を4人決定した。
裁判長の見聞ルートは原告(住民)の要請したルートに決まった。
対応として見分経路の香澄にポスター、横断幕を掲示し、平日の視察のため土日の写真
を裁判所に提出すること、口頭での説明目のポイントについて決められた。
当日の反対集会も提案されたがこちらは実施されなかった。
当日の視察は東洋エンジニアリングの屋上から始まった。こちらは被告側が説明。
この後は原告側が主導。千葉工大の近藤教授を中心に説明が行われた。
国際プールを見学、プールの見学者30数人、泳いでいる人も多数いた。
見学者には原告側のサクラも多くいた。
その後、香澄公園、アスレチック広場、香澄公園駐車場を経て帰路についた。
公園などには近所の人に多数出てもらった。帰路の道路には「反対」の横断幕が張られ裁判長の目に入った。

8月20日(日)には平塚市のボートピア設置計画に反対する市民との交流会が開かれた。
平塚市には古くから競輪場があるが、新たにボートピアが設置される計画が持ち上がっていた。
当日はマイクロバスで平塚から習志野に来た。まずマイクロバスに市民連絡会3人が同乗しボートピア予定地の
案内と説明を行った。
新習志野公民館で交流集会が開催された。
平塚側23人、習志野側16人(うち習志野は市議会議員5人・・馬場、谷岡、入沢、辰巳、中村)
谷岡習志野市議より開会の挨拶と習志野ボートピアの概略説明が行われ、反対市議の紹介が行われた。
渡辺平塚市議より平塚の現状について説明が行われた(以下)。
当初は市会議員だけでの視察の予定であったが、急きょ、住民も含めた大規模な視察に膨らんだ。
現在ボートピア計画者から、予定地の地権者20数人に土地買い取りの申し入れが来ていること。
平塚市長は反対の立場だが市にはまだ話が来ておらず、市長選も近く市長交代の懸念がある。
予定地の市街化調整区域の見直しの可能性もあり開業可能な用途地域にすることが目論まれている。
推進側は「命がけでやる」との物騒な言動と看板も設置された。

市民連絡会からは、反対運動の経緯、裁判の現状、地元の状況や「まちづくり会議」の実態問題点や、
PTAの反対決議、署名運動、等などそれぞれ連絡会会員が立って報告をした。

平塚からの質疑応答がなされ、最後に辰巳習志野市議より閉会のあいさつがなされ、平塚市民はマイクロバスで
帰路についた。

但し、今回の交流会は平塚側は以前よりきめられていたが市民連絡会の世話人の1人より直前に交流会の計画が
連絡会に知らされた経緯(渡辺平塚市議のホームページにはかなり前に習志野視察のことが載せられていたことで発覚)、があり情報
の共有の仕方や市民連絡会会議に諮られてないことが連絡会内部よりも指摘された(習志野と平塚の同一政党間だけでの取りきめ、
結果として市民連絡会を引きまわそうとした点)。又、今後のボートピア反対運動の全国的な広がりになる重要な交流会にもかかわらず
小部屋しか取っていなかった。そのため今回は市民連絡会主催とはしなかった。

平塚との交流はその後、習志野からも平塚現地を訪れたり、習志野開業後も視察交流が続くことになる。
写真は平塚駅近くに古くよりある競輪場

※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
  次回へ続く

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