習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

「さすらい姉妹」年末年始路上演劇(浅草山谷、上野、横浜寿他)

2015年12月31日 | 集会・会合など
さすらい姉妹」は毎年、年末年始、路上芝居をしている劇団です。
年末年始は日雇い労働者の街で「越冬越年」闘争の中での公演です。
「さすらい姉妹」はテント芝居興行の「水族館劇場」がその母体です。
観劇料は無料(おひねり大歓迎)
1970年前後のアングラ芝居劇場(唐十郎の赤テント、佐藤信の黒テントが有名)
の一つの「曲馬館」がその原点でした。「曲馬館」は1973年2月に結成され旗揚げは東京外語大学中野日新寮(当時)
で、「贋作荒野のダッチワイフ」「日本乞食オペラ」「五輪外伝・踊る一寸法師」等を上演。
その後外大日新寮を拠点としました(日新寮は大正時代の古い寮で1970年前後は新左翼党派の出撃拠点でしたが
その後学外者や所帯者やヒッピー風の人が住みつき魑魅魍魎とした所で複数の劇団も拠点としていた得体の知れない
場所で度々家宅捜査が入っていましたがその後廃寮され現在は公園となっています)
「曲馬館」は当時、朝鮮、山谷、天皇、旧日本軍など政治的なテーマを扱い河原を占拠したり火を使ったり、
他劇団との衝突等のその激しさのあまり野外テント公演では度々機動隊が出てくることもありました。
最後は拠点の東京外語大日新寮の寮生からも排除され、中止された寮での演劇当日、黒ヘルメットを被りマイクロバスで
保谷の稽古場から乗り付け大乱闘を繰り広げ寮生の防衛ラインを突破し寮の中庭に突入したところで機動隊に包囲され
機動隊とも乱闘し大量逮捕者・起訴者を出しました。現在有名な劇作家の野田秀樹氏も当日乗り合わせていたそうですが、
直前に中野駅前で降ろされ乱闘には加わらなかったそうです。
当時は流山児祥の「演劇団」も紀伊国屋ホールを襲撃したり度々乱闘はありましたが「曲馬館」ほど激しい劇団はありませんでした。
その後も各地で公演をしてきましたが幾つかに分かれ、それぞれがその原点を保ちつつ全国や海外にもテント芝居を展開
してきました。
(曲馬館主演・演出の桜井大造や翠羅臼などが率いた風の旅団、野戦の月、リダン、独火星、水族館他)
主演の「千代次」は曲場館時代からの俳優だったと思います。戯作の桃山も曲馬館時代末期かその後の風の旅団のメンバー
だったと思い元々建設労働者(とび職)だそうです。

さすらい姉妹 寄せ場路上巡業2015→2016 「ぢべたすれすれバッタもん」
戯作 桃山邑 工作 毛利嘉孝
いなくなったと思わないでね  撤去されても戻ってきちゃうの
(出演者)
千代次  風兄宇内  増田千珠 石井理加  臼井星絢 七ツ森左門
橋明歩 チェン・スウリー 秋浜立 さすらい社中
音曲 マディ山 操音 松林彩 記録 長瀬千雅 図案 近藤ちはる
協力 山谷争議団 あうん 新宿連絡会 寿日雇労働者組合 
   寿支援者交流会  渋谷のじれん 山谷労働者福祉会館

(公演予定)
12月31日 18時00分 山谷センター前十字路
    21時30分(予定) 新宿中央公園・ナイアガラの滝前広場
1月1日 16時00分 横浜寿町・生活館4階
1月2日 昼 時間未定〜12時からの餅つき大会(約一時間)のあと 上野公園・科学博物館前広場
  夜 19時30分 渋谷・美竹公園

藝能の臨界へ
今年のさすらい姉妹は演出に東京藝術大学の毛利嘉孝さんをお迎えします。ストリートにあふれでる涙の
ようなノイズに耳を傾けてきた毛利さんの狙いは「いままでみたことのないさすらい姉妹を!」この挑発
に全力でこたえるべく月のかがやく夜にだけ役者が集まり、不埒な企みを密造しはじめました。
五年前に美術家・岡本光博さんの立体作品「バッタもん」がルイ・ヴィトン社の抗議によって美術館の陳列
ケースから撤去されました。
有名ブランドの商品を解体、再生した「まがいもの」は訴えられることによって「本物の偽物」という
パラドクスへと見事にジャンプしたのです。
その後バッタは何処へと飛んでいったのでしょうか?あるいは飛ぶこともできず地べたを這いずりまわって
いるのかもしれません。
なにが真理でなにが虚偽なのか、この世界のまことは多面体のなかの光と影のように悲しくうつろいゆくものにすぎません。
うつし世のせつなさに全身をさらし、もっとも低い場所へと流浪する現代として今年も師走の路上から連帯のエール
をおくります。
まもなく地上から姿を消してゆくだろう、老いた少女のまなざしによって語られるスチャラカ芝居第二弾にどうぞご期待ください!
(画像は2014年元旦の上野公園での公演)


問い合わせ 080-6565-5288 080-6412-4897 www.suizokukangekijou.com
東京都東大和市狭山2-1275 水族館劇場

(追加・本2016年1月1日横浜寿での上演の様子)

3月議会より陳情・請願氏名公表同意書

2015年12月31日 | 市議会
来年3月の議会に提出する陳情・請願書がインターネットも含め全て
住所・氏名・団体名(団体であれば)が公開されることになりました。
電話番号など連絡先は公開されません。
陳情・請願提出にあたっては氏名等公開の同意書の提出が必要となります。
同意書の提出のない陳情・請願は議員に写しが配布されるにとどまり審議されないことになりました。
習志野市議会HP
http://www.city.narashino.lg.jp/shigikai/seigan.html


1.4通常国会初日行動

2015年12月28日 | 集会・会合など
憲法の規定にもかかわらず、臨時国会開催要請を断り逃げまくっていた
安倍政権が、正月三が日開けの1月4日に通常国会を開きます。
自公議員は紋付き袴で登庁するのでしょうか。当然山本太郎は喪服でしょうか。
戦争法を通すために無理やり通常国会を延長して、今度は「天の岩扉」よろしく
叩いても引っ込んで出てこない。何かやましいのでしょうか。
こんな幼稚でフザケタ国会運営など認められるものではありません。
安倍政権は3月の戦争法発動のため南スーダンを皮切りに着々と準備を進めています。
国会初日の4日は総がかり行動による国会を取り囲む行動が取り組まれています。
12:00~13:00
習志野からの参加は10:30にJR津田沼駅集合とのことです。

又、1月3日は3の日の「アベ政治を許さない」スタンディングの日です。全国で一斉に13:00~ボートを掲げて
スタンディングを行います。
習志野の市民グループも菊田神社で行うとのことです。


(習志野市民フォーラムは賛同しますがいずれも市民フォーラムの呼びかけではありません)。

アベノミクス大成功??!!

2015年12月28日 | 日記
アベノミクスは大成功しました! 自民党へ企業献金してくれる企業や、役員報酬、富裕層世帯の金回りは良くなりました…。
でもあなたの財布の中身は増えましたか? 貯蓄ゼロ世帯もワーキングプアも増加し、人件費も減少…。これがアベノミクスです。
何故こんな安倍政権が世論操作とはいえ支持されるのでしょうか?
オレオレ詐欺、振り込め詐欺に簡単に引っ掛かってしまう国民性でしょうか?

高浜原発仮処分取り消し抗議

2015年12月26日 | 集会・会合など
12月25日、今年最後の官邸前金曜行動は177回目になりました。
福井地裁・林潤裁判長は24日に4月に高浜原発の運転を差し止めた仮処分判決の取り消しました。
4月の仮処分を決定した裁判官を異動させ、官邸の息のかかったと思われるヒラメ裁判官を送り込み
今回の決定でした。前日に福井県知事が官邸を訪問するなどあらかじめ判決の結果が
分かっていたと思われる行動でした。
24日夜には早くも高浜原発には燃料が注入され始めました。
年末年始返上だそうです。誰のために何のために急ぐのでしょうか。



(反原連の1月抗議行動チラシ)

12月議会 陳情・発議など結果

2015年12月22日 | 市議会
21日に12月議会が閉会しました。
陳情、発議などの結果です(習志野市議会HPより)
陳情は1件を除きすべて不採択。
木更津オスプレイ拠点化中止などの議員発議も不採択となりました。
又、基礎杭計画の工事増の追加議案(議案第74号)は可決となり追加費用
約3800万円が認められ工事のいったん中止を求める陳情は不採択となりました。
※宮本市長は公表が遅れたことに陳謝したそうです(12/22朝日新聞)が何時分かっていたのでしょうか。
起工式の前や、ましてや市長選の前だとしたらとんでもないことです。




(その他関連記事)

辺野古基地建設推進陳情本会議で不採択(船橋市議会)

2015年12月20日 | 他市情報
辺野古市議会の基地推進派議員が全国800地方議会にばら撒いた
建設推進陳情が船橋市議会の総務委員会で採択されましたが
18日の本会議において賛成少数で否決されました。
また同時に賛成派議員から提出された
「沖縄の米軍普天間飛行場代替施設の早期実現、
沖縄米軍基地の整理縮小及び負担軽減を求める意見書」
なる辺野古のへの字も出ない基地建設反対を非難する実質基地建設推進の意見書も否決されました。
この日は市内外から傍聴人が詰めかけ、不採択が決まると大きな拍手が起きました。
推進派議員が大げさに騒ぎ立て、傍聴人を退席させようとしたそうですが
この人たちはそんなに基地建設を推進したいなら習志野駐屯地で引き受けると
位の事は宣言したらよいのではないでしょうか。
(下記傍聴記)
http://blog.goo.ne.jp/savetyuraumi2015/e/f05f352c84d037b0956c951a565da51c

(12/19東京新聞京葉版)


(議員から提出された意見書・・船橋市議会HPより)
発議案第7号沖縄の米軍普天間飛行場代替施設の早期実現、沖縄米軍基地の整理縮小及び負担軽減を求める意見書
(提出者) 七戸俊治
(賛成者) 鈴木心一、石崎幸雄、立花孝志  ※提出議員はいずれも自民・公明系

 平成25年12月27日、仲井眞沖縄県前知事は、代替施設建設に係る公有水面埋め立て申請を承認した。
普天間飛行場の移設は、市街地の中心にある普天間飛行場の危険性を除去するということが原点にあり、
政府、沖縄県、名護市を初め、代替施設に隣接する辺野古区、豊原区、久志区では、移設に向け、条件つきで進めてきた経緯がある。
特に、地元3区の居住区に隣接しているオスプレイ等の着陸帯を海岸側に建設される代替施設に移すことを地元の条件としている。
 現在、安倍政権により、米軍普天間飛行場の辺野古移設への取り組みは強化され、辺野古区、豊原区、久志区はこれまでどおり、
防衛局を初め関係機関と条件整備に向けて協議中である。
 翁長沖縄県知事の就任により沖縄マスコミ2紙を初めとする報道は、オール沖縄という表現で移設に反対をする声、集会を掲載し、
あたかも沖縄県民の全てが移設に反対しているかのような報道ぶりで、公正中立な報道を行うよう抗議のデモも起きている。
 キャンプ・シュワブゲート前では、違法テントが張られ、ゲートに進入する車両を妨害するなどの行動により国道を利用する通勤者
に迷惑をかけ、辺野古区民の感情も限界に達し、名護市、名護警察へ取締強化に向けての陳情書が提出されている。
 平成11年10月12日の沖縄県議会で、普天間飛行場の早期県内移設に関する要請決議の提案者であった翁長現知事は、
仲井眞前知事の公有水面埋め立て承認を取り消すと表明し、国との対立が決定的となった。翁長知事は、対案もなく普天間飛行場の撤去を
求めており、現実的ではないと解する。
 そもそも普天間飛行場の辺野古への移設は、市街地の中心にある普天間飛行場の危険性の除去が原点であり、
現状を放置することはあってはならない。
 全県民の願いである基地の整理縮小、嘉手納以南の約1,000ヘクタールの返還及び普天間移設においては、現在の480ヘクタールの普天間基地が、
代替施設埋め立て部分面積が160ヘクタールに縮小され、空中給油機が岩国に移転される。また、現在、普天間基地で運用されている24機中12機の
オスプレイの県外訓練が進められる等、基地の整理縮小や負担軽減に向けた取り組みが進められている。
しかし、在日米軍専用施設の74%が今なお沖縄に集中している現実を鑑み、沖縄米軍基地のさらなる整理縮小を全国の自治体が真剣に検討すべきである。
よって、政府においては、沖縄の米軍普天間飛行場代替施設の早期実現、沖縄米軍基地の整理縮小及び負担軽減をするよう、強く要望する。

 以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。

船橋市議会   
(提出先)
内閣総理大臣、外務大臣、防衛大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)

習志野市民フォーラム例会兼懇親会(第76回)のご案内

2015年12月18日 | 市民フォーラム例会
日時 2015年12月23日(水・祝日) 午後4時~          
場所 袖ヶ浦団地住宅管理組合集会場(市内袖ヶ浦2-7)
(1号棟と8号棟の間にあります)

会費 2,500円(懇親会費用込み)
※習志野市民フォーラムの運営にご理解いただける方でしたら参加は自由です。 

一 前回議事録の確認。

二 情報交換・報告事項
① 市政、議会状況
② 財政問題研究の予定報告
③ 会報9号発行と収支
④ 紙を巡る一考察解説(会報9号掲載)
⑤ 大久保地区再編ゆうゆう館問題など(地元より)
⑥ その他

三 議題
① 今後の取り上げるべき議題・報告事項など他 

※例会終了後望年懇親会を行います    

≪事務局より≫
 NEWS23の岸井キャスターが安保法を廃棄と語ったために、産経・読売新聞に
「私たちは違法な報道を見逃しません」なる意見広告が掲載され降板させられようとしている。
政権に反する意見を言うことはまかりならないらしい。
女優吉永小百合は非核・脱原発・平和を語る「武器を持たないことが積極的平和主義だと思います」と述べている。
吉永が語っていることは、当たり前のことだがこれを理解しようとしないのは安倍が戦争ビジネスをやろう
としているからではないか。
 今年も多くの著名人が亡くなった。漫画家の水木しげるは「憲法を守ろう」や「戦争反対」とか上っ面の
ことは訴えたりはしないが片腕を亡くし死線を彷徨った戦争体験の反面、その飄々とした作品からは戦争の
馬鹿らしさや悲惨さがヒシヒシと伝わってくる。
作家の野坂昭如は亡くなる当日まで病床の中で原稿を書き「この国に戦前がひたひたと迫る」と送付していたそうだ。
 八千代市の市民運動を牽引してきたS氏が11月22日に亡くなった。67歳。「習志野市民フォーラム会報9号」
に原稿を投稿された直後の死去。文字通りの遺稿となってしまった。
http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/d/20151124
道半ばで無念であったかもしれないが、全力で駆け抜けてきたことに悔いはなかったのではないか。
そう思いたい。 
              K                                

12.19総がかり行動集会・2000万人署名

2015年12月16日 | 集会・会合など
戦争法制が強行採決された9月19日を必ず廃止にするとの意思で
毎月19日は国会行動が組まれていますが、今月19日(土)は屋内集会で
国会行動はありません。
正月元旦明けの1月4日(月)は通常国会初日でこの日に国会行動が取り組まれます。
12月19日集会
時間:14:00開会
場所:北とぴあ・さくらホール(1300人収容)
元自衛官、井高氏の講演があります。

※習志野では15:30からオール習志野実行委員による京成大久保駅北口で街頭宣伝と署名活動があります。
 誰でも参加できます。
 (市民フォーラムの主催ではありません)

「辺野古建設推進」12.18船橋市議会陳情本会議決議

2015年12月13日 | 他市情報
名護市の基地建設推進議員から全国の地方自治体約800
にばら撒かれた「辺野古基地建設推進」陳情が船橋市議会
総務委員会で賛成多数で採択され、18日13時からの本会議にかけられる
こととなっています。
当ブログの関連記事
http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/d/20151209
この問題は県内の市民グループからも注目されて傍聴も呼びかけられています。

(船橋市議会朝倉市議のツイッターより)
12月18日船橋市議会本会議議決での辺野古推進陳情の予測】質問があったのでお答えします。
委員会で可決されても本会議で否決されることもあります。
会派構成から本会議で賛成22、反対24(市民社会ネットは反対のため)予測。
総務委員を出していない民主党3人がどの態度にするかで決定予定。

12月議会陳情傍聴記

2015年12月12日 | 市議会
12月議会の委員会を傍聴された方からの投稿がありましたので陳情文含めて掲載します。


12月市議会に提出された請願、陳情8件が10、11日の常任委員会で審議されます。
その他、議案として新市庁舎工事費補正予算問題はじめ、情報公開で常に問題となる
「行政不服審査委員会」8部を6部体制にする「行政組織の統合」、マイナンバー制に
関連した「個人情報保護条例」など重要な問題が並んでいました。

午前中に開かれた建設常任委員会に付託された陳情は一件もありませんでした。
しかしパンク状態で問題になった谷津小学校の建替え計画(平成27~32年)が、何と、
議案69号「習志野市地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例の一部を改正する
条例の制定について」として議論され、委員会の全員一致で採択・可決されました。
議案名からして、傍聴者には何が何やら分からず終いでした。
ただ参考人が教育委員会教育総務部になってから、小出しにされた説明でおぼろげながら知ることが出来た内容です
基本計画と実施計画を一括プロポーザル方式で募集した。
その結果、一次審査10社、二次審査が5社、最終佐藤綜合が3階案が出ているとのこと。
公聴会や戸別訪問をしたそうですが、周辺地域への説明が十分行われているのか確認できませんでした。
平成28年度には決まるそうです。賛成した委員側からは立体図、仕様書など基本的な資料の提出が求められました。
(事後ですから些か不安になりました。)

「陳情3件の審議結果」
受理番号42号 「基礎杭計画が変更になり工費増となった市庁舎建設工事の一旦停止を求める陳情」。
基本設計のための準備段階について落ち度はなかった。
責任の所在を問われるような問題ではない。で押し切られました。費用は既に議案で補正予算として可決済みでしたが、
ボーリング調査に問題はなかったか、など掘り下げた追及ができなかったかと思いました。

同43号「文教住宅都市習志野市憲章を活かし南の玄関口・新習志野駅周辺の活性化を求める陳情」。
現状追認、夢も希望もない答弁でした。大学とのまちづくりの協同作業なども積極的に推進したいという姿勢な感じられず、
そもそもこうした陳情を受け止める機能が習志野市には存在しないのだと思われました。

同44号「旧市庁舎跡地について売却を唯一の選択肢としないようご検討願います」。
上記陳情と同じく審査する姿勢を示したのは、入沢、立崎の両議員でした。
陳情は「できれば売却以外の選択肢について検討できないか」という常識的なお願いであり、これが「売却だ」という
「不動産業界が小躍りするような「結果」を招くことになったのは全く心外でした。

上記3陳情は、いずれも入沢俊行(日本共産党)、立崎誠一(民意と歩む会)両委員の賛成で少数否決で不採択となりました。
多数の反対した委員は、加瀬敏男(元気な習志野をつくる会)、関桂次(輝く習志野をつくる会)、鮎川由美(真政会)、
中山恭順(環境みらい)でした。(議長)木村孝浩(公明)
記録 T氏

※陳情書については次回3月議会からは氏名など黒塗りは廃止され実名入りでネットも含めて公表されるとのことですので
 当ブログでも必要と思われる陳情につきましては次回より氏名入りで全文を掲載します。


12.20習志野孫崎享講演会

2015年12月11日 | 集会・会合など
毎年行われる催しですが今回は孫崎享氏の講演会です。

●国際社会で果たす日本の役割(軍事力によらない貢献こそ)
日時:12月20日(日) 13:30(13:00開場)
場所:習志野市民会館ホール
講師:孫崎享(元外務省国際情報局長)
主催:守ろう平和!市民のつどい実行委員会
参加費 800円(当日1000円)
※習志野・船橋・八千代市民グループ合同開催。
レイバーネットイベント掲示板
http://www.labornetjp.org/EventItem/1450361629536staff01


辺野古基地建設推進のバラマキ陳情を何と!船橋市議会総務委員会が採択

2015年12月09日 | 他市情報
これはビックリ!!船橋市議会の総務委員会が7日に
名護市議会の辺野古基地建設推進派が全国にばらまいた
辺野古基地建設推進陳情を賛成多数で採択しました。
賛成した人たちは一体何を考えているのでしょうか。
言うまでもなく船橋市(習志野市も含めて)て自衛隊習志野駐屯地という
巨大な基地を抱えています。辺野古基地推進に賛成なら、その前に習志野駐屯地で
普天間の代替え基地として引き受けると言う覚悟があるのでしょうか。
賛成の人達にそのような覚悟もあるはずもありません。票を減らすばかりだからです。
沖縄など他人事で現政権与党に賛成しているだけではないでしょうか。
この陳情の悪質なのは「沖縄対政府」の構図から「沖縄対日本全体」の構図へと持ち込み分断を
図ろうとしていることではないでしょうか。
昨年6月、習志野市議会でも「原発再稼働陳情」が委員会で採択されましたが、習志野市民
は全国に発信し全国からの非難が集中して本会議では賛成少数で不採択となりました。
又同時に同じ陳情者が出した「生活保護バッシング」差別陳情も各方面の怒りをかいました。
このことをきっかけに習志野市民運動はその後の市長選や戦争法反対行動を経て結束が強く
なったと言えるかもしれません。
今回の辺野古基地建設推進陳情は習志野市議会にも送られましたが議題にも取り上げられず議員回覧で
審議はされません。
船橋市議会に意見を集中させましょう。
(12/8東京新聞記事)

(関連当ブログ記事)
http://blog.goo.ne.jp/narashinoshimin/d/20151202

(船橋市議会総務委員会名簿・・船橋市議会HPより)
委員長
朝倉幹晴 4期 市民社会ネットワーク 昭和37年12月23日 〒273-0044
行田2-6-9-411 info@asakura.chiba.jp 047-429-4080 047-429-4080
副委員長
岩井友子 8期 日本共産党 昭和35年1月28日 〒273-0048
丸山4-22-13 047-438-8647
(事047-429-2160) 047-438-8649
鈴木心一 1期 公明党 昭和50年7月8日 〒274-0064
松が丘3-49-2-206 s1rmk@ozzio.jp 047-468-8687 047-468-8687
石崎幸雄 4期 公明党 昭和28年7月15日 〒274-0064
松が丘5-46-4 mail@y-ishizaki.net 047-469-7966 047-469-7966
佐々木克敏 4期 船橋清風会 昭和42年1月25日 〒274-0063
習志野台4-47-6 047-466-7569 047-466-7433
うめない幹雄 1期 新成 昭和40年10月2日 〒274-0812
三咲3-5-2 umemiki2015@gmail.com 047-448-6703 047-448-6703
石川りょう 1期 新成 昭和55年11月15日 〒274-0816
芝山3-26-1-703 ishikawaryo1115@yahoo.co.jp 050-3516-9393
(事050-3516-9393) 050-3516-9393
七戸俊治 6期 自由民主党 昭和22年1月19日 〒274-0072
三山5-51-15 047-427-3216 047-767-5183
中村静雄 4期 市政会 昭和21年10月24日 〒274-0805
二和東6-42-1 047-449-3076 047-440-0871
立花孝志 1期 研政会 昭和42年8月15日 〒273-0005
本町1-11-29-101 tachibanakumi0112@hotmail.co.jp


カンパのお願い

2015年12月08日 | 日記
「習志野市民フォーラム」は設立以来7年間活動を行ってきました。
その間会費は一切取らず日々の活動は毎月の例会の参加費やカンパで賄っています。
会の運営、資料収集なども個々の持ち出しで行っている部分も多大です。
会報も無料で配布(郵送料も含め)しています。
資金的にはカツカツの状況です。
会の運営に理解される方で多寡にかかわらずカンパを頂ければ幸いです。
例会や会報、ブログ等を通じ今後も情報を提供いたします。

振込先 郵便振替口座 「習志野市民フォーラム」 番号「00130-4-263936」

水木しげるさんの死を悼む

2015年12月06日 | 日記
漫画家「水木しげる」氏が11月30日に亡くなりました。93歳。
「ゲゲゲの鬼太郎」等の妖怪漫画は有名ですが過酷な戦争体験にもとづいて描かれた戦争作品は、
戦争が如何に酷いものかを現わしています。
水木氏も戦争で片腕を亡くし、片方の手一本で漫画を描き続けました。
水木氏は「平和が大事」とか「戦争反対」とか訴えたりしませんが、その飄々とした作品からは
戦争の馬鹿らしさや悲惨さがヒシヒシと伝わってきます。




(2014年8月13日毎日新聞記事より)
命懸けで合流した部隊で「死ね!」こみあげた怒り−−水木しげるさん(92)
 「最近、戦争の夢を見る夜が増えた」という。鬼太郎ブームを巻き起こした日本を代表する漫画家、水木しげるさん(92)
が見る夢の中で、亡き戦友たちが無言で目の前を通り過ぎる。水木さんの右手は空をつかむようにして戦友を呼び止める。
だが「『おーい!』と声をかけても誰も振り向いてくれない」。
 東京都調布市の水木さんの事務所。鬼太郎や妖怪たちのフィギュアやお面が見守る。太平洋戦争中、激戦地、ラバウル
(現パプアニューギニア・ニューブリテン島北東部)にいた。目の前の机に置いたのは、戦記漫画「総員玉砕せよ!」の初版本。
「90%は戦地で自分が見聞きしたこと」という。
 召集令状が届いたのは1943年春、21歳の時だった。古い船に乗せられラバウルに着いたのは秋。ラバウルはガダルカナル島
などへの中継地点で、連合国軍の空爆の標的になった。すでに戦局は悪化し、水木さんの船はラバウルに到着した最後の船だった。
 戦場は常識が通用しない世界だった。「上官から毎日50発ぐらいビンタされていました。水木さん(自分のことをこう呼ぶ)は、
一秒でも長く寝ていたいから起床が一番遅い。だから朝から『ビビビビビン!』とビンタされる。銃の手入れが悪いと指摘されたり、
軍の規則に少しでも外れる行動をしたりすれば、これまたビンタなのです」。兵隊は消耗品と位置付けられ、初年兵と畳はたたくほど
良くなると言われていた。
「戦時中、特に前線では人間扱いされることなんてあり得ないことでした。人間なのか動物なのか分からないほど、めちゃくちゃだった」
 分隊で、間もなく夜明けという頃に海岸線の歩哨に立った。望遠鏡でオウムを観察していて時間に遅れそうになり、慌てて隊に戻る途中、
分隊は森側から敵襲を受け、全滅。水木さんは海に飛び込み、現地住民に襲われたり密林の中をさまよったりしながら本隊と合流を試みた。
重い銃や弾は捨て、5日ほどの逃避行。「時間の感覚がまったくなかった。あるのは『生きて日本に帰りたい』という気持ちだけだった」と振り返る。
 死線を乗り越えて部隊に合流すると思いがけない言葉が返ってきた。小隊長は「天皇陛下からもらった銃をなぜ捨てて帰った!」と怒鳴った。
中隊長は「なんで逃げて帰ってきたんだ。みんなが死んだんだからお前も死ね!」と。

 水木さんはこの時の心境について一言だけ述べた。「兵隊が逃げていたら戦争なんかできないから、生きて帰ったと叱られたわけですよ。
だけどね、命からがら逃げてきて『死ね』と言われてもできるわけないですよ」
ジャングルの中で、負傷兵を護送する衛生隊。水木さんはこの地で多くの戦友を失った=ニューブリテン島ラバウルで1944年
 著書「水木しげるの娘に語るお父さんの戦記」(河出文庫)にはこう記されている。<中隊長も軍隊も理解できなくなった。
同時にはげしい怒りがこみ上げてくるのを、どうすることもできなかった>
 「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が、戦場にいた人の心を狂わせた。水木さんは口調に力を込めた。「体面を重んじたり、
部下を忘れて美しく死のうとしたりする上官が多かった。玉砕という言葉が、生きたいと願う兵隊一人一人の人生に絡みついて離れない感じだった」。
水木さんの直属の上官、27歳の大隊長は、皇国史観の下で「忠臣の鑑(かがみ)」とされた楠木正成に心酔していた。
のちに戦況不利と判断すると玉砕を決行している。
 爆弾で手足をもぎ取られたり、腹を撃たれたりしてうめく兵士。戦場では死は常に隣にあり、命は軽すぎた。
作品では仲間の死に兵隊が涙を流すシーンがあるが、「水木さんは戦場ではあまり悲しんでなんかいられなかった。
なんていっても誰かに次の死がやって来ましたから……」。水木さんがソファから背中を浮かすとシャツの左袖がひらりとした。
そう、この人は命こそ助かったが、左腕を失った。
 マラリアで40度以上の高熱が出て兵舎でふせっていた時、空襲による爆発で左腕を負傷した。「バケツ1杯分の出血があった」(水木さん)。
治らないと判断した軍医がナイフで腕を切断。傷口にウジ虫がわき、腕は顔よりも大きく腫れ上がった。マラリアもひどくなり、状態は悪化。
「周りは『死ぬだろう』と言っていました」。実際、埋葬用の穴が掘られていた。
 持ち前の体力でなんとか持ち直し、野戦病院に運ばれた。現地住民との交流で食べ物を得たことなどで回復。
復員は46年、24歳の時だった。
 戦時中にニューブリテン島にいた旧日本軍は約10万人。厚生労働省によると、戦没者は約1万3700人に上る。
 ふと気がつくと、水木さんが「総員玉砕せよ!」のラストシーンをじっと見つめていた。兵士たちが玉砕する前に好きな歌をうたう場面だ。
命の最後に選択したのは女郎の歌だった。<私は〜 な〜あんで このよう〜な つら〜いつとめ〜をせ〜にゃなあらぬ>。
突撃。体を吹き飛ばされる兵士、誰にもみとられなかった死体の山、そして白骨の山で作品は終わる。
 「日本に戻ってからは『かわいそう』という言葉は使わなかった。この言葉は戦場で命を落とした兵士のためにあるのですから」。
残った右手がページの上をなでるように動いた。「これを描いている時はアイデアを考えたりしなくても、何も意識しないで右手が勝手に動いた。
あの島で死んでいった兵士がね、描かせたんだね」
 再び戦争ができる国を目指しているかのような安倍政権。現状を戦友にどう伝えるのだろうか。答えはなかったが、「平和を維持するには」
と尋ねると、こう返ってきた。
 「水木さんは国のことはあまり考えません。それよりも自分の生か死−−。この二つを戦場では強烈に突き付けられていました。
誰が何と言おうと『自分は生きたい』と思うことが大事なのです」
 ひょうひょうとした口調。「平和が大切!」と声高に叫んだりはしないし、国を批判するわけでもない。
それでも「戦争は嫌だ」との気持ちが伝わってくる。
 暑い。涼を求めて東京都内の大手書店に足を踏み入れると、特攻隊をテーマにした「永遠の0」が平積みされていた。
一方、水木さんが「自身の著作の中で一番好きな作品」という「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)は棚に静かに置かれていた。
戦後日本が変わりつつある今、政治家、そして若者に「死んでいった兵士たちが描かせた本」を手にしてほしいと切に願う。【瀬尾忠義】