習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

劇団蚊帳の海一座第22回公演(12月7日~8日)

2013年11月30日 | 市情報
年定期公演を行っている市内の劇団より公演の案内を再度掲載します。
地元の劇団として年に1回定期公演を続け22年になります。
毎回やや難解なストーリーですがそれなりに想像しながら観劇するとイメージが広がります。
劇団が長年公演を続けてきたばかりか様々な交流の場である拠点「菊田公民館」が公共施設統廃合で
近々廃止されるとのこと。一方ではJR津田沼駅南口開発に多大な税金をつぎ込み、谷津小学校の溢れた
児童の教育施設すら作ろうとしない。
市庁舎新築にも多額の税金(80億・・実際はそれではすまないらしい)を投入。
財政難を理由とした公共施設の統廃合による地域コミニティの破壊(大久保地区再編では市民の声すら聞こうとしない)。
劇団の菊田での公演は今後出来るかわかりません。是非ご来場をお勧めします。


習志野パチンコ店建設強行問題で、反対住民に相次ぐ嫌がらせ被害(日刊サイゾー記事より)

2013年11月27日 | 日記
反対の声を余所に住宅地のど真ん中に11月22日にオープンした大型パチンコ店「マルハン習志野店」
駐車場は連日満杯で誘導の係員も少なく、誘導にも従わない車もいるらしい。
以下「日刊サイゾー」11/25記事より転載します。

死んだハト、血まみれのティッシュ……習志野パチンコ店建設強行問題で、反対住民に相次ぐ嫌がらせ被害

反対運動が起こっていた千葉県習志野市のパチンコ店建設で、一部の反対住民が嫌がらせ被害を受けていたことが分かった。
「おまえの施設が出て行ったらええねん/20人ぐらいのガキのために/何千人もいるパチンコファン犠牲にすんなや」
 同市にある障害児童福祉施設に、こんなメールが送られてきたのは、ちょうど建設が始まったばかりの今年5月のこと。
新設のパチンコ店とは、わずか90メートルの距離とあって、施設の関係者がこの建設に対して問題提起を行っていたところ、
こうしたメールのほか、多数のゴキブリの死骸や血のついたティッシュペーパーなどが敷地内に投げ入れられた。さらには
運営者の自宅にまで連日、石やゴミが投げつけられるありさまで、反対運動をしていた中心メンバーにも被害が集中。
反対集会を主催した男性の自家用車が傷つけられたり、この件を取材していた地元の記者には「おまえパチンコに反対して何の得があんねん」
という脅迫電話があり、庭には死んだハトの死骸が複数、投げ込まれた。
「それまでこんなことは一度だってなかったのに、パチンコ反対運動をした途端にこれですからね……」(ある住民男性)
 マルハン習志野店の建設は、今年2月ごろになって住民の知るところとなったが「その時点ですでに、4月に着工予定と、
ストップはかけられない状態だった」(同)という。現場は閑静な住宅街だが、約4,000平方メートルに777台の駐車場を
持つ大型店ができるという話に、周辺は騒然となった。目前には高校や福祉施設があったからだ。
 習志野市は、教育施設から200メートル以上の距離を置く独自のルールを制定していたが「まったく同じタイミングで、
市はその条例を撤廃して、まるで市がパチンコ店を誘致したような形なので、宮本泰介市長にも掛け合いましたが
“もう決まったこと”と冷たく突き放された」と住民男性。現地では「行政と店側がデキているのではないか」というウワサも立った。
 癒着疑惑がささやかれたのは、地元警察もしかり。数々の嫌がらせ被害に対し、被害者が所轄の警察署に相談したところ
「イヤなら引っ越せばいい」と冷たく返される始末だった。パチンコ業界には多くの元警察OBが天下りするなど、長く
癒着関係がいわれてきただけに、住民の不信感は高まるばかり。
「もちろん嫌がらせの犯人は分かっていませんが、マルハンは説明会でも一部の社員が住民に対する横柄な応答で反感を
買っていて、市の定めた開発事業指導要綱というルールにも違反していながら建設を強行したり、工事の進め方に協定を
締結したいと申し入れてもダメで、そういう姿勢なので、嫌がらせは“ここを担当する(マルハンの)連中がやったん
じゃないか”って言う人もいます」(別の住民男性)
 結局、店舗が完成し、大きな看板と照明群が夜遅くまで点灯。
「交通量も増えて、変わってしまった住環境は元には戻せない。店の営業時間は23時までですが、せめて照明だけでももっと
早く落せないかと要望をしているんですが、現時点で色よい返事はもらえていない」(同男性)
 相次ぐ嫌がらせ被害には、怖がって反対運動や交渉をやめてしまった人も続出。別の住民女性によると「11月に入っても、
気を滅入らせるようなメールが続いている」という。
マルハンが犯人だとは言いませんが、説明会では住民の名前と住所を書かせていたし、近隣のマンションには戸別訪問の意思も示していて、
まるで反対住民の個人情報を把握したがっていたように見えたので、怖い」(同)
 おびえる住民をよそに、店舗前の道路には車の通行が急増。こうした問題は全国各地で起こっており、実質は賭博場である
パチンコ店の建設には、さらなる規制が必要という声も根強い。しかし、パチンコ業界は、関連企業の役員の親族の結婚式に
安倍晋三や小泉純一郎ら新旧の首相が出席するほど、政界の後押しを取り付けており、自民党が進めているカジノ解禁にも
深く食い込む動きを見せている。こうした巨大利権の結びつきの前では、抗議むなしく、市民も悲しい目で見つめるだけとなっている。
下記「日刊サイゾー」ホームページより
http://www.cyzo.com/2013/11/post_15235.html


習志野市政の歴史(習志野市民フォーラムだよりNO6より)

2013年11月24日 | フォーラムだより
次期市長選まで1年数か月となりました。
歴代の習志野市長についてのレポート記事を元市会議員のK氏が執筆し「習志野市民フォーラムだより」に掲載しました。
「市民フォーラム便り6号」の記事より転載します。

習志野市政の歴史
市内藤崎 K
前振り
 宮本市長、荒木市長がどういう市長なのか、本人をいくら見てもわからない。
そもそも、地方自治とは何なのか?市長の役割とは何なのか?習志野市という市はどういう市なのか?
何でも評価するには物差しが必要!その物差しを明らかにし、その物差しで宮本市長、荒木市長を評価
しないとわからない。物差しとは我々が市民として、どういう市政を良いものとするのかという評価観、
あるべき市政の全体像ということである。
 さてしかしながらそれがまた難しい。では、まちづくりの価値観という問題をもう少し具体的に考えてみよう。
このヒントはやはり歴史に学ぶということである。習志野市はどのように出来上がってきたのか?そこから
習志野市のあるべき姿の物差しを考えてみたい。
 習志野市→もともと軍都であった。大久保商店街というのは、その軍都の商店街だった。
当時の中心地区は明らかに大久保地区であった。津田沼地区というのは今でこそ、市の中心であるが、習志野市全体
から見れば、地理的には端っこの位置にあたる。当時その端っこの地区であった津田沼に市役所を建てたこと自体が
昔の尺度でいえばすごいこと。将来性ということ、ここが市の中心となるという見通しがあったということ。
習志野市というのは、その市の成立、誕生からして、基本的なポリシーのもとにできた市である。
明確なビジョンをもった政治家がいなかったならば、習志野市自体が存在しなかったと言っても過言ではない。
そこにこそまた市としてのアイデンティティがある。
 市民生活を物心両面から、つまり文化や精神面も含めて快適な町をつくっていくことを町づくりとするならば、
ビジョンを持った市長が良い市長であり、何もしないで利益誘導だけで政権を維持してきた市長は強大な権力を
もったとしても悪い市長ということになるであろう。荒木市長は選挙に強かった。それだけ多くの市民が支持したのだと思う。
しかし、市全体の発展ということから言えば明らかに失われた20年であったと言われてもしかたがないであろう。
この20年の間に習志野市のあらゆる組織(行政、町会関係、福祉、人権組織等々)は硬直化し活力を失っていった。
他の先進市との格差は開くばかりである。
初代習志野市長  白鳥義三郎
昭和29年(1954年8月1日)習志野市誕生 (K、小学1年生)
昭和22年(1947年)4月7日~昭和38年(1963年)
旧津田沼町会長
 ・全国町村会長
 ・千葉県市町村会長
  経歴 
ベルリン工科大学建築科出身、早稲田大学建築科教授、ドイツと日本の両方で都市計画論を教えていた。 
白鳥義三郎氏がドイツの大学で教鞭をとっていた頃、大きな都市を理想とする考え方に対して、人口2万人規模の中小都市
を理想とする「小都市論」も唱えられていた。
また、彼が視察で訪れたアメリカでも巨大都市と衛星都市のついての研究がさかんであった。白鳥義三郎氏はこれらの議論
を踏まえたうえで新生習志野市の都市建設を明確に考えていたといえる。
そのエピソードを一つ
昭和29年(1954年)1月12日
 千葉市に入るか津田沼町と合併するか幕張町は町を二分するほどに揺れていた。その幕張町の講演会で意見を求められた
白鳥津田沼町長は次のような話をしました。
 「私は去年娘を嫁に出すにあたって、大資産家や名望家にするか、あるいは庶民階級ではあるが、前途ある青年にするか
ということについてずいぶん考えた。結局後者のほうを選んだが、今は幸せに暮らしている。大きな市への合併が必ずしも良いとはいえない。」
 その後、新聞のインタビューに対しても、「おそらく全国で最小の市かもしれませんが、こじんまりとしたモデル都市として、
市民が住みよい都市建設をしたいと思います。」と答えています。この白鳥市長の知識・理論に裏打ちされた明確なビジョンがなければ、
今の習志野市は存在しない。そして、習志野市はこの理想を実現することを施策の基本としてきた。
 学園都市、教育重視、安い水道・ガス、住宅都市という市のイメージ
 町が発展するためには、子どもを教育することが最も重要 ついた名前は教育市長
 津田沼小学校の円形校舎、市立習志野高校は市の王冠である!
昭和39年建築、習志野市役所庁舎、庁舎前に古代ハスの咲く池、玄関までの丸いアプローチ
 都市建設を市が先頭になってぐんぐん推し進めた。市の土木課=習志野建設部隊、建設機械をもつ直営の建設部隊。
 白鳥市長の理想⇒小さくとも効率の良い活力あふれる中小都市(強烈なビィジョンであり理想)

戦後すぐに手をつけたこと
 ・軍隊の跡地に日本大学(騎兵第一旅団跡地)、千葉工業大学(鉄道第二連隊跡地)、順天堂大学(藤崎五丁目、1951年騎砲兵連隊跡地)、
東邦大学付属校(騎兵第二旅団跡地)・東邦大学(騎兵第一旅団跡地)を誘致し学園都市に!
 ・市営水道、市営ガスの工事
 ・市立習志野高校(市の王冠である)、市立中学校、市立小学校校舎建設
 ・市庁舎、市民会館、図書館、公民館の建設、給食・視聴覚教室・清掃施設(センター)の建設
 ・公園、体育館、球技場の建設
 ・海を埋め立てても工場を誘致せずに基本的に住宅街とした。当時の他の市と正反対の道を取る。
 ・市立幼稚園、保育所も手掛ける。

 人口3万人にも満たない全国最小の市、財政規模も極めて小さい市大胆にも莫大な借金をして、次から次の公共事業

ドイツ語が話せてドイツの事情に詳しい市長⇒第二次世界大戦ではドイツは先に
降伏し、すでに戦後インフレに入っていた事情を熟知していた。インフレで莫大な借
金はすぐに返済できるという明確な見通しをもって大規模な町建設をした。当然すご
い借金をしたが、その後のインフレであっという間に借金は解消。
 しかし、本人が言うところの井戸塀政治家。

 第2代 大塚軍記市長
 昭和38(1963年)5月1日~昭和42年(1967年)4月30日
 ほとんど資料がないので、不明。大久保の人。代々医者の家系。

 <1964年  東京オリンピック>

 第3第  吉野 孝市長 昭和42年(1967年)5月1日~昭和58年(1983年)3月2日
 白鳥市長がハード面での理想を追求していったとすれば、ハード・ソフト両面習志
野的町づくりを集大成したのが吉野市長ともいえる。そういう意味では、白鳥市長の
系譜を引く正統な後継者市長だったといえるかもしれない。
 ○市民主体の民主主義を育成するということを施策として実行
 旧態依然とした町会体制に代わって、町づくり会議を設置。しかし、現在は有名無
実化している。ただし根っこは残っているので、活用化している連合町会は活用されて
いる。地域の町づくり、活性化を市民自身が行う。
 ○音楽教育、市民スポーツ
 習志野秋津サッカー場、野球場等の施設、習志野文化ホールの建設
 ○文教住宅都市憲章
 ○広大な緑地帯→香澄・秋津・谷津にまたがる。
 ○意識的な子育て、幼児教育の充実 市立幼稚園・市立保育園(全入体制)
○議会答弁は全て自分で行う。行政のすみずみまで熟知。かなりの頭脳明晰。
津田沼一の名家といえる。
 一族の吉野信は昭和6年から昭和21年まで旧津田沼町の町長を務めた人、
 習志野市の現在の姿は吉野市長時代に完成。
 当時全国でもめずらしい社会党員市長の誕生。徹底して政治の民主化を図る。市職
員はまず市民のところに出かけ市民の声を聞け。

 第4代  三上文一市長
 昭和58年(1983年)4月24日~平成3年(1991年)4月25日
 三上市長昭和61年(1986年)4月26日 アメリカタスカルーサ市と姉妹都市提携
 市立第2中学校校長 習志野教育界のドン 習志野教育界の特徴→ほとんどが縦
系列で人閥化している。
 K 市議当選 1987年4月

 三上市長の特徴
 ○議会答弁での常套文句は「重点順序化して検討します。」=実際は何もしない。
 ○私が二中の校長の時は便所のドアだって古くなって隙間風が入るような状態だ
った。それでもみんな頑張った。今はあそこを直せ、ここを直せて要求ばかり多い。
 ○とにかくケチケチが基本なので、市のお金は残った。それを全部使ったのが荒木市長。
 具体的なエピソード
 市庁舎建設基金
 三上市長は自分の在任中に10億蓄えたが荒木市長はゼロ。荒木市政、別名習志野市不動産政権。

  第5代  荒木 勇市長  平成3年(1991年)4月~平成23年(2011年)3月
 土地ブローカー久米三雄と深い関係
 市議会100条委員会設置さる。谷津の1h土地問題、藤崎の不法土地買収問題
 なかよし幼稚園跡地売却問題
 ファーストエステイト(バックはリクルート)
 市の多くの土地が売却され、市有財産調査委員会はいつも紛糾。
 藤崎の土地不法買収問題については、警察が市に捜査に入った。担当課長は首になった。
その後のめんどうは荒木市長がみた。
 ☆行政組織の硬直化 
 ☆人事は半永久的に人閥優先→有能な人材が無能に 
 ☆箱モノ行政で借金は増え続け
  習志野市の土地に老人施設、秋津・屋敷・大久保
  こども園、芝園清掃工場、東部体育館、JR津田沼駅南口開発

 100条委員会の調査から
 この100条委員会の議論をわかりやすく歴史に残す作業は、またチャレンジしてみたい。

市川赤レンガ見学会

2013年11月22日 | 集会・会合など
学会日時:11月23日(土)10:00~13:00 
全体の説明と意見交換会 11:00~12:00
会場・交通 :市川市国府台 旧血清研究所構内 市川駅から松戸行きバス真間山下又は和洋女子大下車
(市川赤レンガとは・・赤レンガを生かす会HPより)
広い空が心なごませる千葉県市川市の江戸川流域。その豊かな国府台緑地の斜面に、明治初期に建造された赤レンガの建造物
が今も静かに生き残っています。
かつて市川は、旧日本陸軍の錬兵場を中心とした軍都でした。ここからはたくさんの兵士が戦場へと狩り出されて行きました。
その悲惨な運命を見つめ続けてきたのが、今は廃止された旧千葉県血清研究所の跡地にある赤レンガ建造物です。
戦争遺跡の赤レンガ建造物を、平和と文化と環境の創造と交流の拠点に生まれ変わらせたい。これが私たちの願いです。



赤レンガを生かす会ホームページ
http://ichibun.net/akarenga/

※市川市では24日(日)に市長選挙の投票が行われます。
市川市も習志野市と同様、市庁舎の建て替えが市民無視で進められています。
 習志野市長選はは再来年の春です。
 こちらも注目しましょう。
 (市民目線で市政を考えるブログ)
 http://shiminnome.exblog.jp/

市民フォーラム例会のお知らせ(第51回)

2013年11月21日 | 市民フォーラム例会
日時 2013年11月23日(土) 午後1時~3時          
場所 袖ヶ浦団地自治会館(047-453―-6560)
習志野市袖ヶ浦2-4-10
                         
会費 500円
司会、記録は恒例によります
一 前回議事録の確認。
二 情報交換・報告事項
①12月議会について・・対応など
②その他(地域、市政他)       
三 議題
1 新庁舎等基本設計検討委員会について
2 公共施設統廃合関連新情報・・大久保地区
  ・大久保地区再生基本構想業務委託
  ・生涯学習施設改修整備計画  他
3 市長選挙に関する提起
4 次回フォーラム日程    
5 その他
《事務局より》
市民フォーラムニュース6号ができました。
例会で配布できると思います。
国政も市政も相変わらず一方通行の大衆無視の悪政や悪法の施行準備。
あらためて、田中正造の言葉
「民を殺すは国家を殺すなり、真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず
村を破らず人を殺さざるべし」をかみしめて、考えてみましょう。
       K
※習志野市民フォーラムの運営にご理解いただける方でしたら参加は自由です。

習志野市民フォーラムだより(会報)NO.6発行

2013年11月19日 | フォーラムだより
志野市民フォーラムだよりNO.6を発行しました。
従来の先へは順次配布しています。
無料で配布しておりますので新規にご希望の方は下記メールへご連絡ください。
メール narashinosf@yahoo.co.jp
市南部(袖ヶ浦、秋津、香澄、津田沼等)の方は郵便受けに届けることは可能です。
それ以外の方(市外も含む)は郵送などにより発送します(郵送代実費)。
バックナンバーもあります。

大型パチンコ店「マルハン習志野店」11/22オープン

2013年11月18日 | 市情報
周辺マンション住民の反対の声が上がっていたにもかかわらず、着工された大型パチンコ店、「マルハン習志野店」
が11月22日にオープンすることとなった。
11月14日から整理券が配られ、早朝から周辺の路上は車で満杯。
駐車場を早く開放しなかったために路上でエンジンを掛けっ放しで交通の妨げ状態だったそうだ。
市の定めた「開発事業指導要綱」に違反して建設を強行したり、市も風営法を緩和したりもちつもたれつ。
荒木-宮本市政の中で急速にギャンブル化が進む文教住宅都市習志野。

市議会第4回定例会(陳情・請願締切)

2013年11月15日 | 市議会
第4回定例会は11月25日からです。
陳情の締め切りは11月22日勤務時間内です
市議会日程(,習志野市議会ホームページ)
http://www.city.narashino.lg.jp/shigikai/teirei/h25/4/nittei.html
児童満杯の谷津小学校問題、仲よし幼稚園跡地高層マンション(議案第91号)など様々な問題があります。

今開催されている津田沼駅南口開発に伴い発掘された古代遺跡の展示会です。
古代の人は現在の高層マンション群を観て何を思うでしょうか。

あの高齢者宅強制執行で・習志野市、前市長ら、国家賠償請求訴訟など提起される(取材メモ)

2013年11月12日 | 市情報
2011年1月31日100人以上の男達が女性2名の住居に押しかけ、いきなり電動のこぎりでドアを破壊。
一見マンションのようだが店舗併用住宅の一軒家。
容体の悪い高齢女性を寒さ攻めにして布団をはがし、着の身着のまま寒空に放り出す。
同女性は自分の土地を知らぬ間に売られたあげくに、このような強制執行をされた。
この日、高齢女性の移転先新居は建築中であり容体が悪いので良くなるまで、­少し待ってほしいと、
協議を申し入れていたが、協議さえ拒絶し行った暴挙が行われました。(当ブログでも継続して幾度か取り上げ)
被害者は強制執行は違法として、区画整理組合、荒木勇前習志野市長、習志野市等を相手に7月24日に提訴
しています。違法強制執行に対する、損害賠償請求訴訟及び国家賠償。

以下ジャーナリスト「山岡俊介」氏の公開されている取材メモの一部を掲載します。
本紙でも強制執行の必要性への疑問からウォッチしている、11年1月31日に当時の荒木勇・千葉県習志野市長がゴーサインを出し、
JR津田沼駅南口の民間高層マンション建設のために行われた都市計画区画整理法を根拠とする強制執行ーーその建物を取り壊され、
追い出された高齢者(当時79歳)側が、今年7月24日、損害賠償請求及び国家賠償請求訴訟を提起していたことがわかった。
第1回目の口頭弁論期日は10月11日(金)午前10時30分から(千葉地裁602号法定)。
被告は荒木前市長、習志野市の他、土地区画整理組合とその理事だった12名、組合の業務を代行したゼネコン「フジタ」、
その職員5名など計21団体・個人。土地区画整理法は77条で、組合員の3分の2以上の合意があり、その行政区のトップが高い公益性、
緊急性などがありやむを得ないと判断すれば強制執行できるとしている。逆にいえば、行政トップ(荒木前市長)と、区画整理組合
(トップは当時の荒木市長後援会長)、それにこの地の建設業者側(フジタ)が組み、同法を悪用すれば、合理的理由が無くても
強制執行は可能であり、習志野市のこの案件はその疑惑があると思わないわけにはいかない。

※全文は「アクセスジャーナル」より有料購読になります。
http://accessjournal.jp/modules/weblog/
※山岡俊介氏  『噂の真相』(休刊)の常連ライター。その意思を引き継ぎ、タブー無しで、あらゆる社会の矛盾を告発しています。

地方自治体の情報開示にも影響が及ぶとんでもない「特定秘密保護法」

2013年11月09日 | 日記
11月7日から「特定秘密保護法」が国会で審議入りしました。
この法案が通れば公務員だけでなく全ての国民に網がかけられます。
原発事故もTPPも全て隠されてしまいます。国民の命にかかわることも隠される恐れがあります。
やがて容易に戦争遂行がなされていくでしょう。
国政だけでなく地方自治にも及び、地方行政に対する情報開示すら出来なくなる恐れが充分あります。
国の情報は地方自治体や独立行政法人にも流れます。
地方自治体は今まで以上に情報の開示を拒むことが予想されます。
・市民の開示要請は極力非公開に
・特段秘密でないことも非公開に
・地方自治体と国との関係は全面非公開
・市会議員を含めた地方議員にも網がかぶせられる可能性
われわれは自由に情報開示要請や陳情(秘密にかかわると当局から拡大解釈される)すら制限され
場合によっては処罰の対象とされる恐れもあります。
余程国民に知られてることを恐れたのかパブリックコメントも僅か2週間で締め切られました。
しかしながら9万件の意見が寄せられ8割が反対でした。
政権は広範な国民の意見も組織的意見集中として切り捨てようとしています。
余計なことを言ったり考える人間は排除されます。何処の独裁国家の話でしょうか。
市に対する文書公開請求は現状でも遅れ気味なのががさらに遅れるか、全く開示されないことも予想されます。

谷津小学校の市の対応(習志野市ホームページより)

2013年11月08日 | 市情報
11月5日付で掲載された。テレビで取り上げられたからか・・
開発計画段階で予想できたことではないのか?
以下「習志野市ホームページ・教育委員会」より
JR津田沼駅南口特定土地区画整理事業の進展に伴う児童増加への対応について
(経過と概要)
JR津田沼駅南口は、公共文化機能を持ち合わせた本市玄関口として位置づけられており、
平成17年3月にJR津田沼駅南口特定土地区画整理事業基本構想策定調査報告書(以下、「報告書」という)が策定されました。
その後、平成19年に千葉県知事から地権者による区画整理組合の設立認可を受け、計画人口:7,000人、将来世帯数:2,800世帯
とする都市計画が決定され、現在に至っています。
 一方で、この区画整理事業における児童の増加予測が示され、当該報告書の策定以降も、毎年児童生徒数及び学級推計を行っ
てきましたが、社会経済情勢も変化してきた中で、平成24年度末に推計の修正を行ったところ、大幅な児童増加が見込まれる結果となり、
現在、その対策案について市民の皆様に御意見を伺いながら、検討を進めています。
(説明会開催状況・開催結果)
平成25年6月に、推計の結果と通学区域を変更しない場合の対策案について、当該校(谷津小学校・第一中学校)、及び対策案として移転
を伴う谷津幼稚園のPTA役員へ説明をいたしました。その中で、通学区域を変更した場合の案の提示がないと判断できない等のご意見を受
けたことから、7月に、通学区域を変更した場合の対策案について改めて説明をいたしました。その後、9月から当該学校(園)の全保護者
を対象に、また、10月からは谷津地域や奏の杜地区にお住いの皆様を対象に説明会を開催いたしました。
(次回説明会日程)
現在、調整中です。
http://www.city.narashino.lg.jp/kyoiku/oshirase/cc600120131028201846896.html

ボートピア習志野反対運動の経緯⑬(着工阻止現地行動)

2013年11月05日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年に新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

 2005年5月29日議員会館で福島社民党党首(当時)に面会。連絡会より8人が参加。40分にわたり事情を説明し意見交換をした。
 7月16日には大久保地区で集会が開かれ19人が参加して活発な意見交換がなされた。
 7月17日 交量調査委員会が結成され10名が参加、道路調査研究資料を原告団長の土居が分析。
 七中のPTA臨時総会で反対の決議がなされた。
 7月29日警察協議が終了し市に資料が渡される。
 交通量調査と並行して住民の生活実態調査も行い500余世帯より回収した。
 9月3日夜香澄地元集会が開催され20人が集まる。
 工事着工時に備え見張り、着工時には現場前で抗議行動を開き搬入を止めることなどが話し合われる。

 工事着工の準備は進み、10月1日に杭打ちが始まるとの掲示。トラック搬入が行われるとの情報が入る。
 10月1日早朝7時より現場前に40人が集まった。既に新習志野駅前周辺には搬入のトラックが待機している。
 離れた場所には県警のパトカーが警戒している。
 抗議行動は現場正門前で行われ、次々と抗議のリレートーク。
 約2時間ほど行い引き揚げた直後にトラックの搬入が始まった。
※この着工抗議行動の成果としてはトラックの搬入を数時間遅らせたこと。
  これについては様々な評価がある。連絡会内部でも異論もあった。
  何故、入り口前でピケを張って阻止行動をしなかったのか。目に見える阻止行動が行われなかったではないか。
  その通りではある。道路交通法や威力業務妨害の恐れがあったにしても、実力行動は行うべきではなかったのか。
  仮に排除されたとしても住民の意思は目に見える形で示され、ニュースにも取り上げられ裁判の下支えになったはずだ。
  「市民連絡会」に批判的だった「リコールの会」の動きはどうだったのか。この時こそ阻止行動を起こせばリコールの
   弾みになったはずだ。抗議行動には「リコールの会」のメンバーも数人加わっていたが「市民連絡会」と同化してしまっていた。
  
  10月2日日曜日に新習志野駅前で着工反対の抗議集会が開催される。

  10:30頃から署名活動。ビール箱や、プラカード身、拡声器、楽器、紙芝居などを持ち込み昼からの本集会。
  100人超が参加、ボートピア反対運動を行っている甲府から連帯のメッセージ。
  参加者は次々と抗議のアピールを行う。
  推進派議員の黒塗りの車が遠くに止まり、運転手が写真を撮っていたらしい。
  その後現地までデモ行進し、手をつなぎ「人間の鎖」で包囲。
  下記は反対デモの様子を伝える当時のチラシ
  

  10月3日 新習志野駅前で宣伝行動の後、東洋エンジニアリングに抗議。総務部長に署名5,950筆を手渡す。

  着工に対する一連の抗議行動はこれで終わるわけだが、工事は着実に進むことを許してしまった。

  
  ※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
   次回へ続く 
  
 

市内外催し(習志野市・八千代市)

2013年11月04日 | 集会・会合など
恒例の習志野市9条の会連絡会(平和大好き9条の会、実籾東習9条の会、
湾岸9条の会、津田沼9条の会)主催の集いです。
今年は講師にドイツ文学者の池田香代子さんをお招きして開催します。


八千代市での「渡されたバトン・さよなら原発」上映会です。
習志野では9月7日に上映し成功しました。八千代市での上映も応援しましょう。