習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯(21)(開業後の状況)

2014年07月21日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年より新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。
2006年9月の開業後数カ月がたったが、新習志野駅からボートピアへ向かう客はパラパラ程度。
無料バスの乗客も目立って多くはなかった。
大半がくるまでの来場者と見られるが予想された交通渋滞も見られなかった。
駐車場にはそれなりに車が止まっているが満車というような態度はなかった。

市民連絡会は定期的に夜間調査を行ったが、場内は1階は200数十人何程度。2階は百数十人程度。
指定席はほとんど満席。3階はオール指定席でいつもガラガラ。常時300~400名前後と言ったところ。
レースが始まると声をかけたり、舟がターンする所で大声をあげる人もいるが全体的におとなしいイメージ。
各階に食堂レストランがあるがガラガラ(間もなく3階のレストランは閉鎖された)
最終レース後のバスは3台で1台目、2台目は満員。
駐車場はこの時は帰りの車でゲート付近は混雑8。
場内のこの状況は入場者は減っているが今も変わっていない筈。
徒歩で新習志野へ向かう人は百数十人程度。警備員の誘導にもかかわらず水泳場の裏を通るのは稀で
ほとんどが水泳場の正面を通り駅へ向かう。

周辺への影響や環境は変わったのだろうか。
時々秋津公園や香澄公園や住宅地でハズレ舟券が散乱していたり、出走表や予想紙が捨てられていることがあった。
食べ物のカスやビールなどの空き缶が捨てられていることが以前より多くなった(ボートピアとの関連は不明)。
又競艇客と思われる人から「金を貸してくれ」とか女性が「一緒にボートピアに行こう」と声をかけられる
ことも報告された。
しかしこのような事象は各ギャンブル場では一般的に見られる現象で想定されていたことでもあり、むしろ
他のギャンブル場と比べるとおとなしい方であると思われる。
それだけボートピア自体に活気がなくなっていることかもしれない。
(場内の状況も掲載された市民連絡会のチラシ)


一方、この「ボートピア習志野」の訴訟に懲りたのか政府は「競争法の一部を改正する法律案」を提出し国会で
審議が始まることとなった。市民連絡会は全国の反対する団体に呼び掛け各党に申入れを行った。
この申し入れ行動後「ボートピア反対全国市民連絡会」が結成される運びとなった。
参加団体は下記チラシの通り。


(推進派の巻き返し)
2007年2月の下旬に香澄、秋津を中心に「ボートピアの健全な運営を望む住民の会」なる団体?から
「ボートピア習志野Watch」というチラシが各戸に配布された。
内容はボートピアが開業しても問題はなかったじゃないか。売り上げも伸びてきている。隣接の茜浜ホールを活用しようなどと
いうボートピアよいしょのチラシである。「市民連絡会」が発行する手作りのチラシと比べチラシの質はかなり良く費用をかけて
いることもうかがえる。

このチラシは3月下旬の第四号まで発行された。
この年の4月は統一地方選挙で、習志野市でも市長・市議選が行われる。「ボートピア」問題は地元を中心とした住民の反発を
かい、特に地元香澄選出の宮本博之議員は評判がかなり落ちていた。会の住所は香澄2丁目で発行責任者は宮本議員の後援者
であり4月の選挙に備えた巻き返しであることは容易に想像される。
4号では舟券を散らかしているのは秋津、香澄の住民ではないかとのとんでもない内容が住民の声と言う形にして掲載されている。
地元住民に疑いの目を向けさせようとしているこの内容は後にこの年の6月議会で宮本博之議員が議会で同様の発言をして物議を起こした。
このチラシの連絡先に電話をしたが常に不在であった。


市民連絡会は2007年4月選挙に向けて、荒木現市長に対抗する市長候補を模索するとともに出来る限り多くのボートピア反対議員を
当選させることも模索した。但し「市民連絡会」は特定の候補者を支持応援する団体ではないため、市長候補を擁立するならば
「市民連絡会」とは別組織で行うことが確認されていた。
「市民連絡会」としては市長や議員候補者に質問書を送ることとなった。

※文中敬称略・肩書き等はいずれも当時のもの
  次回へ続く








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