2004年9月市議会で建設反対派議員は8人に増えた。
これまでの6人(入沢俊之、辰巳久美子、谷岡隆、中村容子、馬場信、宮内一夫)
に井上千恵子、平川博文が加わった。
(反対の会の地域集会)
「反対の会」はこの問題を湾岸地域だけの問題ではなく全市的問題と位置づけ
各地域での会合を広げて行った。
又2004年10月16日には市政50周年記念式典へ向け、会場の習志野文化ホール前の津田沼公園で14名が参加して街宣行動が
行われた。ハンドマイクで訴えチラシ500枚が配布され署名も集まった。
さらに11月23日にはボートピア予定地見学ウォーキングが実施され多くの市民が参加して建設予定地まで歩いた。
更に街頭での宣伝行動は各所で頻繁に行われた。
(やめさせる会の集会デモ行進)
新体制になったやめさせる会は秋津小学校内にある秋津コミニティを拠点として会合、打ち合わせを継続した。
実行委員の6~7人が夜に集まり遅くまで討議が行われた。
メンバーは地元の主婦、会社員、自営、元裁判所書記官、タクシー運転手、建築士等様々で過去に競馬などギャンブルに
のめり込んでいた者もいて経験に基づいたギャンブルの実態も話された。
元裁判所書記官が中心となり後の訴訟に結びつくことになる。
会の活動は地域への継続したチラシの配布が行われ、集会デモ行進が企画された。
デモコースの策定や警察への届け出、建築士が中心となりカラフルなプラカードを何本も作成し横断幕も作った。
2004年10月23日には秋津4丁目集会場で市民集会が開催され多数の住民のほか中村容子議員や井上千恵子議員も参加した。
2004年11月14日湾岸地区では初めてのデモ行進が行われた。
袖ヶ浦公民館横の袖ヶ浦西近隣公園に60~70人位が集まり簡単なリレートークの後京成津田沼駅まで沿道の注目を集めながら
パレードを行った。
ハンドマイクで訴え独自に作った様々なプラカードを手に持ち笛を鳴らしコールをしながら歩道を行進し駅前で気勢を上げた。
集会デモの様子は翌日の新聞にも写真入りで掲載された。
デモ行進はその後も新習志野駅前などでも定期的に継続することとなる。
(文教都市にギャンブルはいらない市民の会発足集会)
湾岸地区からは離れた大久保地区を中心に「いらない市民の会」(代表 木村しずこ)の発足集会が
10月7日に開催され事務所開きが行われた。習志野市の中部で活動することとなる。
※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
次回は市民連絡会結成集会