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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

金沢 愛宕

2011年09月24日 14時30分00秒 | ◆北陸
戦後、ひがし茶屋街の北側に近接するかたちできた赤線。詳しいなりたちは不明。
ひがし茶屋街が芸妓主体のため、娼妓を補うかたちで成立したのだろうか。
昭和30年ごろ、業者数36、従業婦数184


愛宕加登長。愛宕の名が確認できる唯一の場所のようだ。


近くに掲げられていた古い案内板。「くるわ鍋焼うどん 東くるわ加登長」とある。
遊廓時代からの歴史を持つ老舗なのか。


車が通れない幅の小路が延びる。ひがし茶屋街が広い道ばかりで構成されていることを
考えると、明らかに性格を異にする土地構成だ。

 
その小路にあった木造家屋。遺構かどうか定かではないが、風流な雰囲気がただよう。

 
豪壮な木造三階建て。ちょうど道が分岐する地点に建っており、存在感が際立つ。


二階が異様に低く造られた建物。どういった建築意図があるのか興味深い。

 
出窓が特徴的な二軒。いかにもといった外観ではないものの、気になる構えをしている。

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