戦後、ひがし茶屋街の北側に近接するかたちできた赤線。詳しいなりたちは不明。
ひがし茶屋街が芸妓主体のため、娼妓を補うかたちで成立したのだろうか。
昭和30年ごろ、業者数36、従業婦数184

愛宕加登長。愛宕の名が確認できる唯一の場所のようだ。

近くに掲げられていた古い案内板。「くるわ鍋焼うどん 東くるわ加登長」とある。
遊廓時代からの歴史を持つ老舗なのか。

車が通れない幅の小路が延びる。ひがし茶屋街が広い道ばかりで構成されていることを
考えると、明らかに性格を異にする土地構成だ。

その小路にあった木造家屋。遺構かどうか定かではないが、風流な雰囲気がただよう。

豪壮な木造三階建て。ちょうど道が分岐する地点に建っており、存在感が際立つ。

二階が異様に低く造られた建物。どういった建築意図があるのか興味深い。

出窓が特徴的な二軒。いかにもといった外観ではないものの、気になる構えをしている。
ひがし茶屋街が芸妓主体のため、娼妓を補うかたちで成立したのだろうか。
昭和30年ごろ、業者数36、従業婦数184

愛宕加登長。愛宕の名が確認できる唯一の場所のようだ。

近くに掲げられていた古い案内板。「くるわ鍋焼うどん 東くるわ加登長」とある。
遊廓時代からの歴史を持つ老舗なのか。

車が通れない幅の小路が延びる。ひがし茶屋街が広い道ばかりで構成されていることを
考えると、明らかに性格を異にする土地構成だ。


その小路にあった木造家屋。遺構かどうか定かではないが、風流な雰囲気がただよう。


豪壮な木造三階建て。ちょうど道が分岐する地点に建っており、存在感が際立つ。

二階が異様に低く造られた建物。どういった建築意図があるのか興味深い。


出窓が特徴的な二軒。いかにもといった外観ではないものの、気になる構えをしている。
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