浜松祭りのとき、街を歩いていてトチの木にたくさん咲く花を見つけた。それにしてもトチの花がこんなに美しいものとは全く知らなかった。そんなことも知らなかったのかと、植物に詳しい父にお小言をいわれそうである。 しかしトチというのはやはり花より実の方が有名な気がする。たしか「栃餅」というのはこの実を加工するのではなかったか?
いろいろ調べてみると、この花の蜜を集めたはちみつもかなり美味らしい。なんだかそんなことを知るとこの写真を見るだけで、口の中に甘い感覚が広がるではないか。それにしてもこの写真を見ていると、浜松で撮影したのではなく、インドネシアで撮影した花の写真のように色彩が鮮やかである。
ちなみにトチには、日本でもともとあるトチとヨーロッパ原産のセイヨウトチの二つがあるそうで、後者はフランス語でマロニエである。これはどっちだろう?ちなみに木にかけられていた標識には、トチの木とだけ書かれていたが…。
凧場は太平洋に面する遠州灘のすぐ側に位置しています。浜松に住んでいても車で15分も走れば到着する海に行くことは全くありませんが、この凧場に行くときだけ海を見ます。去年は凧場に行かなかったので2年ぶりの遠州灘です。
このときにしか見ない浜松の海ですが、ぼくはこの光景が大好きです。法被を着た祭りの参加者がちょっと陣屋や凧揚げを抜け出して海岸で一服する姿、太陽がかんかん照りつける中、そんなことを気にも留めず、午前中から顔を真っ赤にしてビールを飲んでいるおじさんたち。法被を着たデート中の若者。どれもこれも絵になる光景です。
もちろんそんな光景を盗み撮りしようとしたわけじゃないんです。ただ2年ぶりの海を眺めたかっただけなんです。
浜松まつりは終わりましたし、今さら祭りについて書くのもどうかな、と思いましたが、やはり印象的な写真を掲載することにします。これはアクト通りに展示(いちおう展示となっていましたが、夜の引き回しのための待機ですね)してあった御殿屋台。夜の街でみる御殿屋台は提灯に明かりがともされ、中にはお囃子連が座り、それはそれは情緒満点ですが、昼に新緑とともに見る御殿屋台もまた素敵でした。
近くを通りかかった自転車のおじさんが、監視役の自治会のおじさんに話かけていました。
「やっぱりね、こんなものが作れるんだから浜松市は金持ちなんだね」
それに対して法被をきたおじさんはこんな風に答えていました。
「そうなことはないですよ。浜松市が出したんじゃなくて皆でお金を出し合って作ったんだからね。」
別に喧嘩口調なんかじゃなく、おたがい春の昼下がりのような穏やかで、とりとめもない会話かもしれませんが、新緑の風景になんとなく似合った会話でした。
あるものが無くなって、気分が落ち込むことを「~ロス症候群」と言うそうです。最近よくラジオやテレビから耳にする言葉です。この言葉、今、私にとっては「浜松まつりロス」という表現がぴったりです。別に参加していたわけでもないので、偉そうなことはいえませんが、やはり浜松の街中に住む私にとってはあの祭りの音や雰囲気が、もう今日にはなくなっている、と思うだけで「浜松まつりロス」なのです。
今年はあまり体調も良くなかったし、例年に比べればお酒を友人と飲むこともなく、静かに祭りを見つめる三日間だったのですが、これまでになく「ロス」な気分です。浜松に住んでいる時間も長くなり、それなりに思い入れがでてきているのでしょうね。しかも昨年は二日間、諏訪の御柱の儀礼を見に行っていたことから、間近に浜松まつりが感じられなかったからかもしれません。三日間、天気が良くてよかったと思います。同じ時期の5月4日、沖縄でのガムラン祭りが開かれていて、ずっとそちらの天気も気になっていましたが沖縄も晴天だったそうです。浜松も沖縄もどちらもよかった、よかったという気持ちでいっぱいです。
大学に行く途中、私の住む自治会の御殿屋台の掃除と倉庫への収納が行われていました。立つ鳥跡を濁さずですね。祭りが終わって、片づけが終わってはじめて当事者にとっての祭りは終わるのですから。
凧場で偶然、平田町(なめだちょう)の陣屋を見つけました。特にこの扇の凧印を見ると胸が熱くなります。前にも書きましたが、これは琉球王妃が江戸上りの使者に託したものです。江戸上りとは江戸時代に将軍が変わるたびに琉球使節が江戸を訪れた使者のこと。江戸に向かう途中、浜松で亡くなった使者が王妃から託された扇子がこの凧印になっています。平田の人々はその遺体を丁寧に葬ったそうです。
こんなところに私の大好きな沖縄と浜松とのつながりあると思うと、毎年、浜松の人々に感謝の念がたえません。小さな出来事ですが、浜松と沖縄がもっともっとつながってほしいと思います。
さてそんな私の気持ちを知ってか、知らぬか、平田町の凧は昨日も高く空に泳いでいたのでした。万歳!万歳!と勝手に心の中で叫んでみました。
本日、凧場に行ってまいりました。午前10時半くらいに到着しましたが、人、人、人。ここで重要なことは見に来ている「人」ではなく参加している「人」なのです。そこは祇園祭とは全然違います。ほとんど参加者なわけで、私のように法被を着ていない者は肩身が狭いというのが正直気持ちです。来年はもう参加者になっちゃおうか、と真剣に考えているほどです。
凧をあげる、ということにこれだけ真剣になれるということが、もう感動です。正直、彼らの真剣な姿勢を見るだけで涙が込み上げてきます。一人で行ってよかったと思います。誰かにそんな姿を見られたくありません。私はこの光景が本当に大好きです。
この三日間、凧はこの祭りに参加している大勢の浜松の人たちにとって、もはや「玩具」ではありません。僕は「内側」の人間として祭りを見ているわけではないのでわかりませんが、たぶん凧に描かれている文字や絵柄は、その地域に住む人々にとってアイデンティティそのものなのでしょう。ましては初子を祝う凧であれば、その子どもそのもののようにも見えるのかもしれません。そこには「魂」のようなものが吹き込まれているのでしょう。凧に対する真剣なまなざしに触れるたびにそう思わざるをえないのです。
浜松まつりで使う太鼓は基本、一人で首からかけて使用するのだが、このグループはなんと棒に太鼓を吊り下げているではないか?たぶんこのタイプはかなり珍しいと思う。太鼓が大きくてとても一人で持てないのである。まるでこれは青銅製ゴングを吊り下げて歩くバリのバレガンジュルである。
浜松まつりで使うラッパは基本的には二種類である。いわゆるラッパの「巻き」の違いにより、音の基本となる高さが違うのだ。同じグループは当然同じラッパを使うが、合同練りなどの場合は音がずれるため、交互にフレーズを演奏する。複数のグループで演奏するときの音楽的特徴である。
街中で行われる合同練りや、御殿屋台の練りを見る楽しみは、それぞれの団体の演奏の旋律や楽器の種類を見ることもまた楽しみだ。今晩が今年最後の合同練りである。すでに三日目、どのグループもぐったりなんだろう。たぶん各地域に帰ると夜遅くまで「後夜祭」が行われて、浜松の人々の3日間にわたる祭りは終わるはずである。
ROOTOTEが出してる浜松まつり限定のトートバックだぜ。知ってたかい。(えっ、知ってた?すんません。) わたくし初めてそのことを知りまして1枚購入いたしました。いいじゃありませんか。浜松で使うのはちょっと恥ずかしいものですから、それ以外の場所で堂々と使わさせていただきます。
まだ今年は体調のこともあり凧場には行けていませんが、最終日の今日こそ、と思っています。もう初凧は終わっていると思いますが、やっぱりその雰囲気だけでも味わってきたいので。だって明日を逃したらまた1年先ですからね。
今年はカメラを持って出るのはやめています。携帯で撮影する程度です。別に研究しているわけではないので、浜松の一市民として純粋にお祭りを楽しみたいと思ったからです。そんな風に割り切ったら、なんだかトートバックを買うのも何ら抵抗がなくなりました。それでいいと思っています。記録に頼ることなく、印象に残ったことはしっかり記憶しておくつもりです。
浜松駅北口ロータリーの迎車専用のスペースの花壇。それほど大きな花壇ではありませんが、ここは植物の名前ではなく、浜松まつりの各会所ごとの法被の種類が、土にさされています。不思議ですね。植物の名前のようにも見えますし、知らない人には意味不明です。
実はこの花壇、今だけでなく一年中この状態です。普段はほとんど気にしなかったのですが、祭りの期間に見るとなんだかリアルでもあります。
今日は二日目。朝は静けさに包まれる浜松の街も夕方には大音響に包まれるでしょう。今日は凧場に出かけてみるつもりです。凧場、初子祝いこそ、浜松まつりの神髄ですから。
東京の友人から「浜松は熱いですか?」というメールが来ました。お答えします。
「浜松は超熱いです」
まだ1日目ですが(現在21時30分)、あちこちで万歳!おめでとうございます!が聞こえます。今年、私が住む町内では7人の初子、2件の企業の接待があり、全部で9件でラッパが鳴り響きます。にぎやかです。一日3件ですから演奏する方も最後は酔いが回ってベロベロだと思います。
そういう僕は残念ながら絶好調ではないわけですが、たぶんこの浜松の状況が「薬」です。きっとお祭りの三日間が過ぎた後はすっかり元気になっているはずです。3日間といえば、ガルンガンみたいだな。