本日、凧場に行ってまいりました。午前10時半くらいに到着しましたが、人、人、人。ここで重要なことは見に来ている「人」ではなく参加している「人」なのです。そこは祇園祭とは全然違います。ほとんど参加者なわけで、私のように法被を着ていない者は肩身が狭いというのが正直気持ちです。来年はもう参加者になっちゃおうか、と真剣に考えているほどです。
凧をあげる、ということにこれだけ真剣になれるということが、もう感動です。正直、彼らの真剣な姿勢を見るだけで涙が込み上げてきます。一人で行ってよかったと思います。誰かにそんな姿を見られたくありません。私はこの光景が本当に大好きです。
この三日間、凧はこの祭りに参加している大勢の浜松の人たちにとって、もはや「玩具」ではありません。僕は「内側」の人間として祭りを見ているわけではないのでわかりませんが、たぶん凧に描かれている文字や絵柄は、その地域に住む人々にとってアイデンティティそのものなのでしょう。ましては初子を祝う凧であれば、その子どもそのもののようにも見えるのかもしれません。そこには「魂」のようなものが吹き込まれているのでしょう。凧に対する真剣なまなざしに触れるたびにそう思わざるをえないのです。
浜松まつりで使う太鼓は基本、一人で首からかけて使用するのだが、このグループはなんと棒に太鼓を吊り下げているではないか?たぶんこのタイプはかなり珍しいと思う。太鼓が大きくてとても一人で持てないのである。まるでこれは青銅製ゴングを吊り下げて歩くバリのバレガンジュルである。
浜松まつりで使うラッパは基本的には二種類である。いわゆるラッパの「巻き」の違いにより、音の基本となる高さが違うのだ。同じグループは当然同じラッパを使うが、合同練りなどの場合は音がずれるため、交互にフレーズを演奏する。複数のグループで演奏するときの音楽的特徴である。
街中で行われる合同練りや、御殿屋台の練りを見る楽しみは、それぞれの団体の演奏の旋律や楽器の種類を見ることもまた楽しみだ。今晩が今年最後の合同練りである。すでに三日目、どのグループもぐったりなんだろう。たぶん各地域に帰ると夜遅くまで「後夜祭」が行われて、浜松の人々の3日間にわたる祭りは終わるはずである。
ROOTOTEが出してる浜松まつり限定のトートバックだぜ。知ってたかい。(えっ、知ってた?すんません。) わたくし初めてそのことを知りまして1枚購入いたしました。いいじゃありませんか。浜松で使うのはちょっと恥ずかしいものですから、それ以外の場所で堂々と使わさせていただきます。
まだ今年は体調のこともあり凧場には行けていませんが、最終日の今日こそ、と思っています。もう初凧は終わっていると思いますが、やっぱりその雰囲気だけでも味わってきたいので。だって明日を逃したらまた1年先ですからね。
今年はカメラを持って出るのはやめています。携帯で撮影する程度です。別に研究しているわけではないので、浜松の一市民として純粋にお祭りを楽しみたいと思ったからです。そんな風に割り切ったら、なんだかトートバックを買うのも何ら抵抗がなくなりました。それでいいと思っています。記録に頼ることなく、印象に残ったことはしっかり記憶しておくつもりです。