Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

最後のランドセル

2009年03月17日 | 家・わたくしごと
 明日は息子の卒業式、ということは今日はランドセルを背負う最後の登校日ということになる。写真でもとろうとバス停までいっしょにでかける。しかし小学校6年ともなれば、他の人も待っているバス停で親に写真なんぞ撮られるのはたまったもんじゃないだろう。自分だったら「もう帰っていいよ」と仏頂面で言うところだろうが、そこは気遣いする息子で(たぶん)ぐっと我慢して親に目を合わさないようにバスを待っている。
 バスが来ると、少し離れたところに立つ私をちらりと見て、何くわぬ顔でバスに乗り込んでいった。これが最後のランドセルか。子どもより親の方がずっと感無量である。来月からは中学。今度はこのバス停から中学の制服を着て、違うバスに乗って通学。バスの窓から微笑む息子をみて、なぜかとてもおだやかな気持ちになる。今日はいい朝だ・・・。

連結を見る子どもたち

2009年03月17日 | 
 金沢駅で私の乗るサンダーバード20号の連結があった。子どもたちが集まって声も発さずその瞬間を見逃すまいと連結器を凝視している。私もそんな子どもたちの後ろでデジカメを構えた。
 だいぶ前のことだが、息子がまだ幼稚園か小学校低学年のころ、松山から寝台特急サンライズに乗ったことがある。息子は大喜びで興奮してなかなか寝付けなかったし、この日ばかりは早く寝ろと怒るのも気がひけた。子どもが眠った夜12時近く、寝台列車の連結がどこかの駅で行われたのだが、そのとき私とかみさんは、わざわざ眠ったばかりの子どもをたたき起して、車外に出てそんな連結を見たものだった。彼の記憶にはないだろう。残っているのは連結前のサンライズの前で眠い目をした息子の写真だけである。
 電車の連結というのはやはり非日常的な行為だ。しかもめったに乗れないであろう特急列車の連結なのだから。連結を終えたサンダーバードを見た子どもたちは満足した笑顔で親に手をひかれて車両に戻って行った。なんだかそんな笑顔が私に移ってしまったようで、私もたぶんにこやかな笑顔で8号車に乗りこんだはずだ。自分に見ることができなくたってなんとなくわかるものである。心は表情は顔の表情の生き写しなのだ。

久しぶりの特急列車

2009年03月16日 | 
 小松空港から那覇空港行きの便が満席でとれなかったために仕方なく金沢から大阪まで電車で移動することにした。どこに行くのにも空港から空港へ移動している私は、このところ時間をかけて電車で移動するのがおっくうになっていることに気づく。だいたい金沢から大阪までの2時間半あったら、小松空港から那覇空港に到着してしまうではないか。
 先週、東京に行ったときそんな話を父にすると「たまには空ばかりではなく、車窓をゆっくり眺めるのもいいじゃないか」と笑われた。確かにそうである。車窓をのんびり眺めるなんてこと自体、ほとんど私の頭の中にはなくなっている。飛行機の中では寝ているか、仕事をしているかどちらだし、飛行機の窓も電車の窓も今の私には存在していないようだ。
 不思議と父の言葉を聞いてから、電車に乗るのが楽しみになってきた。子どものころにもどったようだ。あの頃はいつも乗る西武線や中央線以外の電車に乗って、見知らぬ車窓の風景を眺めることがすでに「旅」だった。そして始終出張で家を空ける父を羨ましくも思ったものだった。
 車窓から山頂に雪をかぶった山脈が連なっている。この水田のずっと向こうには日本海が広がっているんだと考えるだけでワクワクする。オレンジ色の花粉をいっぱいにためこんだ杉山に列車が入るとなんだかそれだけで鼻がムズムズした。そんな風景を見ながら、青春18きっぷで息子と日本を旅してみたいなあ、なんてはかない夢を描いてしまう。時間は自分で作らないとできないとわかっているのだけれど・・・。

プチ観光

2009年03月15日 | 
 日曜日は朝から快晴。朝食後に一念発起して「よしゃ」と寒い金沢の街に飛び出してみる。といってもホテルから歩いて5分程度の長町武家屋敷に行ってみただけなのだが。
 朝8時前なので観光客は誰もいないし、正直、独り占め状態である。この武家屋敷は歴史的建造物として保存されている場所だが、周辺は普通の住宅地。そのせいか、映画セットの中に身をおいたような気がしてならない。
 しかしホテルでもらった観光パンフレットに掲載された武家屋敷と同じ場所、同じ風景の場所にたってデジカメで写真を撮影して満足。これこそ観光である。だって証拠がデータの中に残せたのだもの。このブログの写真がまさにそれである。

寒い金沢

2009年03月14日 | 
 金曜日の午後から出張で金沢へ行く。昨日はまだよかったのだが、今日はとにかく小雪が舞うほど寒いのである。ちょっとくらい寒いのは、沖縄から行くと環境の変化が実感できていいのだが、ここまで寒いと耐えられない。仕事が終わって、夜はライトアップの観光地でも見学しようと街に出たが、結局、断念したのだった。さらに沖縄を発つときは、近江町市場で海鮮丼でも食べようと楽しみにしていたのだが、それもまたあきらめる。
 結局、これからホテルの小さな机で原稿の校正やら、専攻のホームページの作成やらで金沢の夜が終わると思うとちょっと寂しいが、外の寒さを考えればずっとその方が健康的である。それでも観光で金沢に来ていたら、意地になっても観光したんだろうな。

相手がいるということ(音華鏡公演ー3)

2009年03月14日 | 那覇、沖縄
 先週の音華鏡公演は私たち沖縄のグループの単独公演ではなく、東京からもう一つのグループが参加するという形のジョイント公演だった。ジョイントとはいってもそれは、複数のグループが順に演奏していく複数グループ型のコンサートではなく、競演=対戦型の公演である。
 この演奏スタイルは、二つのガムランのグループが舞台の上手と下手に並び、交互に演奏を行いその演奏を競うというまさに演奏による対戦をイメージしたものである。バリでは今もよく行われる演奏スタイルである。コンクールとはちょっと違う。とにかく相手は一つ。結果は、切るか切られるか、時には相打ちのどれかなのである。ものすごい緊張感と集中力が試されるわけだ。隙あらばバッサリ。前日の練習からすでに舞台の上には敵が。「よしゃ、偵察や」とデジカメでパシャリ。そんな精神的余裕が持てたのは最初のうちだけで、あとは指をくわえて茫然自失で眺めるだけだった・・・。
 それにしても、20年以上ガムランを演奏してきて、この演奏スタイルで舞台を行ったことはない。東京だと複数グループはあるものの、メンバーが重なっていて、純粋な形では対戦できないからなのかもしれないし、できるだけ他のグループとは関わりたくないのかもね。そう考えてみるとこうした演奏スタイルが可能だったのは、沖縄ならではということか。いい緊張感の中で演奏ができて満足。

皆のおかげ(音華鏡公演-2)

2009年03月13日 | 那覇、沖縄
 公演は演奏者だけではできません。支えてくれる舞台スタッフがあってこそ。今回は舞台監督、照明の方はみな知っている方なかりで、主催者との打ち合わせもばっちりで、ほんとうに無理なく準備も公演もできたと思います。やはり舞台スタッフとうまくいく公演は結果もすばらしいもの。
 さてさて、もう一つ忘れちゃならないのが、受付スタッフ。音楽学と美術の学生達でした。私のゼミ生以外も手伝ってくれてありがとう。みなエスニックな「いでたち」で格好よかったな。心残りは、演奏を聞いてもらえなかったことですが・・・。

ランダ?(音華鏡公演ー1)

2009年03月11日 | 那覇、沖縄
 踊り手の控え室をチラッと覗いたら・・・「えー、ランダじゃん!」と驚愕。なんとハンガーといっしょに吊り下げられているではないか。舞踊の道具として使っているわけで、それ自身が神格化された仮面ではないこともあるのだろうが、やっぱり「大丈夫かな・・・」と心配してしまう。
 息子は小さい頃、私の大学の研究室にくるたびに一つの棚に収まったバリ研究の洋書を一冊ずつ開いてはランダとバロンを探して、見つけては大喜びしていた。そんな息子に「これは神なんだよ」と繰り返し説明してきたが、私と控え室を覗いた息子は私の顔をみて「ニヤリ」!いったいどんな意味の「ニヤリ」なんだい?
  

さよならエアコン

2009年03月06日 | 家・わたくしごと
 さよならエアコン。1999年の春からずっとがんばり続けてくれてありがとう。沖縄のエアコンだもの、休む時間なかったよね。今日、新しいエアコンが来るんだよ。だからぼくは君を写真に撮ったよ。人間は古い家電のこと、新しい家電に変わると瞬時に忘れてしまうから。君のおかげで毎晩、ぐっすり寝むれたんだ。だからせめてもの君への感謝の気持ちで。
 君はリサイクルされて、また何かに生き返る。そのときにどこかで会えるかもしれないね。ありがとう・・・。

父からのEメール

2009年03月05日 | 家・わたくしごと
 沖縄で見た冬のアサガオのブログを書いた後、父からEメールがきた。やはり几帳面な父である。インターネットで調べて、私がブログで書いたアサガオについて調べてくれ、その内容やこのアサガオについて書かれたアドレスを記してくれた。そのことで、リュウキュウアサガオとよばれる寒さに強いアサガオについて知ることができた。さらにこの花が今では、本土でも購入できて年中アサガオを見ることができることもわかった。また一つ物知りになった。
 今はまずわからないことがあれば、インターネットで調べる時代だ。植物に関する本を本棚いっぱいに持つ75歳の父だってたぶんネットで調べたはずである。若い学生ならば、今や調べるために図書館にはほとんどいかない。ネットで見つからなければ、次の段階で「しぶしぶ」本を探すのである。
 確かにインターネットは便利だし、私も積極的に利用する。しかしである。実はこのアサガオについて私自身もいくつかのタームで検索して複数のホームページを検索したのだが、自分の探す内容には行き着かなかったというのが事実である。しかし専門家の父はたぶん難なく適当なホームページを見つけ出した。重要なことはここにある。インターネットは便利だが、やはりその基本的な知識があってこそ適切な検索語を入力し、もっとも知りたいことが書かれているホームページを見つけ出すことができる。今や、私のような大学教員は、ネットで検索できる能力を学生にを身に付けさせることを意識しなくてはならないのだ。このアサガオに関する父からのメールは、私の授業のあり方についていろいろ考えさせてくれた。父に感謝。