Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

HANEDAからOMORIへ

2008年03月16日 | 東京
 3月15日は音工場のお引越しの日。音工場HANEDAが、音工場OMORIになる日といっていいのかな?羽田空港に行く途中、平和島で途中下車して引越し作業中の音工場に寄った。もう荷物はすべて運び込まれていて、大勢の講座生が手伝いにきてくれている。なんだか、私は邪魔に来たようだ。
 それでもこうしてスタジオの引越しにいたるまでのさまざまな出来事を考えると、喜びもひとしおである。ゴングと一緒にハンスもやってきたかな?と思いながら、ゴングの写真を撮影した。嬉しくて部屋の中をほっつきまわっているんだろう?
 きょうから君の住まいはここだよ。そしてぼくの帰る場所もここになるんだ・・・。



最後の音工場HANEDA

2008年03月15日 | 東京
 今週の月曜の夜、音工場HANEDAで最後の練習があった。教え始めたのはいつ頃だったのか記憶に無いが、沖縄に行ってからもたまに教えていたことを考えると、講師として十五年以上はここと関わってきたことになる。
 沖縄に移ってからは、正直、実家とならんで、音工場HANEDAは私の帰るべき場所となった。空港に近かったことも幸いし、羽田から直行で音工場にでかけたり、また出発の1時間前まで教えて、空港行きのバスに飛び乗るなんてこともざらだった。
 音工場HANEDAは今週で幕を閉じて、平和島にスタジオを移し、音工場OMORIとなって生まれ変わる。なんだかリニューアルオープンのお店みたいだが、やはりHANEDAの文字の消えるのがちょっぴり寂しい。かけがえのない多くの人々との出会いや経験をさせてくれた音工場HANEDAに感謝。そして、スタジオの皆をやさしく見守ってくれた通称「ハンス」にも感謝。きっと音工場OM0RIにもついて来てくれるよね。

羽田空港限定

2008年03月13日 | 
 JALのマイラーの私は、もっぱら羽田空港第一ターミナル愛用者である。たいてい機械でチェクインを済ました後、かみさんに頼まれるお土産を名店街に買いに行くのである。そして、そこではいつもこんな呼び声に遭遇する。
「羽田空港と東京駅だけで・・・」「羽田空港限定の・・・」「ここでしか買うこのできない・・・」
とまあ、こんな感じである。とにかく、限定商品が多いのだ。しかもそのどの呼び声も、まるで抑揚のない鼻から抜けるような声なのだ。あまりにも機械的な響きだ。まあ、一日中やっているのだろうから、感情を込めて言い続けるのは無理で、淡々と言い続けるのがいちばん疲れないのだろう。
 それにしても限定が多いのである。とうとう先週には、いったい一つのフロアーで限定のお菓子がいくつあるのか数えてみた。すると、あるある!軽く10種類は超えるのだ。もちろんそれぞれメーカーや種類はことなっているのだが、それにしても多い。
 限定という言葉に私は結構弱いタイプである。しかしこんなに限定があっては、正直のところ限定に「ありがたみ」が感じられないのだ。たぶん、そう思うのは私だけではあるまい。限定というのは希少価値である。もちろん、それぞれのお菓子屋の中では「限定」かもしれないが、購買する側にはこうも限定商品が多ければ、その価値は、「希少」ではなく「希薄」なのである。

上野公園にて

2008年03月12日 | 
 昨日、出張で上野に行った帰り、ポカポカ陽気の上野公園を西郷さんの銅像の方に向かってぶらぶらとと歩いた。まだソメイヨシノの時期ではないので人通りもそれほど多くない。しかし歩いているうちに、淡いピンクの桜の花が咲き乱れる桜の木が何本かあることに気が付いた。
 大寒桜である。ソメイヨシノよりも早い時期に咲く桜の木。それにしても、あると思っていなかった桜の花に遭遇するとは、なんだか妙に得した気分である。しかも、その花は沖縄のヒカンザクラとは大違いである。沖縄の桜は濃いピンク色で、花は終ると花ごとポトリと落ちる。桜の花びらは、ハラハラと散っていくものだと思っていた私には、この沖縄の桜との出会いは相当にショックであった。しかも沖縄の桜は1月から2月初頭にかけて咲くが、この桜の季節はまさに沖縄に本格的な寒さが到来する時期である。つまり、桜の花を見ると、「寒い」、「寒くなる」という感覚を持ってしまうのだ。
 東京で生まれた私にとって、当たり前だが、桜は春の到来を告げる花だ。20度を超えるような春の暖かな陽気を「待ってました」とばかり、開花した大寒桜を見ることで、まさに「春」を実感できるのだ。やはり桜はそんな季節を感じさせる花である。そしてもう一つ、自分がまた一つ年齢を重ねる季節の到来を告げる花なのだ。ソメイヨシノが散る頃、私は46歳になる・・・。

バリ猫

2008年03月10日 | 
 リトルワールドのバリの屋敷に併設されているお土産屋には長方形の籠の中に、バリで作られたものすごくたくさんの、いわゆる「バリ猫」がつめられている。なんだか身動きのとれない猫のブロイラーみたいだ。どれもこれも原色にべったり塗られ、じっとこの猫たちを見ていると目がちかちかして、しまいには眩暈がしそうになる。それにしても、この感覚を私は今までにどこかで一度、味わった気がする。いや、待てよ。これはデジャブーか?
 この写真を見たかみさんは、「バリ猫」ってこうしてたくさん置いてあると素敵だけど、これ一匹あってもね・・・、とちょっと寂しいことを呟く。続けて「あなた、こんな写真をどこかで撮ってなかった?私見たことあるけど。」と言うのだ。しばし考えて、はたと思い出したのだった。こんな大量の猫ちゃんたちを見たのは、鎌倉駅のすぐそばの土産物屋だった。なぜかこの鎌倉の土産物屋には「バリ猫」が数百匹並べられ、まるで「鎌倉みやげ」のような場所に整然と並べられていたのだ。確かにぼくはその写真を撮影した記憶がある。
 そんなことを考えているうちに、沖縄のお土産屋にもバリ猫がたくさん売られていることがふと頭に浮かんだ。東京時代のガムランの後輩は、高校時代に沖縄に修学旅行にきて、バリ猫を「沖縄みやげ」だと勘違いして買ったらしい。そう考えるとバリ猫なんて、バリの土産でもなんでもないわけだ。となると、リトルワールドのバリの屋敷の横で売っていた「バリ猫」は、「真正なるバリ土産」ということになるぞ。


ホテルでにんまり

2008年03月09日 | 
 二日間に買ったミニカーをホテルの机に並べた。一台は、数日前のブログにも書いたスマートである。友人が宿泊したホテルのすぐそばでゲットしたドイツのボッシュ社のミニカーで、この色と模様はまだ所有していない。大収穫。さてもう一つの収穫は、やはり友人のホテルのそばで発見したのだが、トラバントのミニカーである。
 トラバントをご存知だろうか?かつて東ドイツで生産された国民車で、なんと材質は強化プラスチックなのだ。この車の存在は以前から知っていたのだが、実際に走っているトラバントをみたのは、2003年に旧ヨーロッパ共産圏に行ったときである。まだ現役で走っているのに驚いた。それを機に、トラバントのミニカーもスマートとともに集め始めたのだった。
 しかし、スマートと違って、トラバントのミニカーというのはそうそう簡単にお目にかかれない。スマートは、日本のトミカにも、チョロQにもあるくらいメジャーであるが、トラバントはもはや生産されていない80年代までの車である。今回は、そのトラバントのミニカーをゲットしたこともあり、ホテルではミニカーを見つめながらにんまりである。こうした自分の趣味の収集も出張でできる楽しみの一つ。


ここはどこ?

2008年03月08日 | 
 写真の建築物はまるでバリです。その通り、これはバリの建物なのですが、さてここはどこでしょう?正解は・・・日本のバリ業界の中では有名な犬山のリトルワールドのバリの屋敷です。この建物、移築ではなく、バリの職人が何人もきて、今から20年ほど前に建てたものなのです。
 その約20年前、私はここでワヤンの上演したことがあります。留学から戻ったばかりのことで、日本語でワヤンをやるのはたとだとしく、今思えば恥ずかしい限りです。
 あれから20年、バリの衣装を着て撮影ができたり、バリの民芸品を売る店が併設したりしていますが、あのときのままです。バリはどんどん変わっていくのに、リトルワールドのバリは時間が止まったかのように「伝統」がいつまでも変わることなく展示されているのです。

金の鯱(しゃちほこ)

2008年03月07日 | 
 きょうから名古屋に出張である。出張の大半は大阪か東京なので、名古屋はひじょうに久しぶりだ。だからといって、名古屋で行きたいところがあるわけでもない。名古屋も観光地なんだろうが、あまり行くべき場所が思い浮かばないのである。名古屋城というのもあるが、毎日、研究室から首里城を見てるし・・・。あとは・・・何だろう?観光地よりもむしろ、食べ物の方が身近である。ちなみに名古屋駅の観光案内所でもらったガイドには、名物として、ひつまぶし、味噌カツ、きしめん、天むすなどがあげられていたが、個人的に、これといって食べなければ帰れないようなものもない。
 そんなことを考えながら、名古屋駅からホテルまで歩くうちに、目に留まったオブジェがある。なんと金の鯱(しゃちほこ)である。そうだ!これこそ有名な名古屋城の鯱だ。そのオブジェが、街中の時計の上にくっついているのである。これはすばらしい。名古屋でなければ見れない街の光景である。
 なんだか、それを見ただけで名古屋を十分楽しんだような気になってしまう。寒さに震えながらも、名古屋で最初の感動!ちょっぴり心が温まる。
 

アメリカの菓子

2008年03月06日 | 大学
 ソウルミュージックを研究テーマにしているゼミの女子学生が、初の海外旅行、しかも一人旅でアメリカに行ってきた。私はゼミの学生達に、アルバイトをしてでも研究テーマの音楽が演奏される国に旅行で行くことを勧めている。やはり日本で手に入る映像資料や音響資料、文献だけから論文を書くとしても、その国の空気を吸ったか、吸わないかでだいぶ見方、聞き方、読み方が変わるものである。
 26日に「がんばってきます」とメールをくれて旅に出たゼミ生だが、親でなくても「行け」といったからにはそれなりに心配である。しかし行ってしまえば、あとは帰ってくるのを待つしかない。
 本日、他のゼミ生とともに「帰って来ました」とお土産を持って元気に研究室にあらわれた。とても楽しかったそうだ。私には「コップ」。相当に重いマグカップである。そして私の息子にアメリカのお菓子をたくさん買ってきてくれた。その菓子の包装のド派手なこと!原色オンパレードの包装は、日本ではなかなか見られないシロモノである。次なる楽しみは息子が封を開けて食べるときに便乗することである。味も「原色」だろうか?



スマート

2008年03月05日 | 那覇、沖縄
 スマートをご存知だろうか?メルセデス=ベンツ社製のかわいい車で、日本でもたまに見かけることができる。こんなことを書く自分も実は、ヨーロッパに行くまでスマートなんていう車については全く知らなかった。オランダで生活を始めてから、かわいいパトカーがあることに気づき、それがスマートであることを知ったのは、しばらくしてからだった。 オランダからドイツ、ベルギー、スイス、チェコとどこにいってもこのスマートが色を変え、模様を変えて走っていることを知るとすっかり魅了されてしまい、とうとうスマートのミニカー収集まで始めてしまったのだった。
 日本に帰ってから、スマートのホームページを一度だけ興味本位で開いたことがあった。日本語の頁ができていて、日本にもファンがたくさんいることを始めて知った。そして東京の街を歩くと、一日に数台はスマートとすれ違った。四輪車には全く興味がなかった私も、スマートを見て以降はじめて、「この車欲しいなあ」なんて漠然と思うようになったのだ。しかし、ホームページでは価格が200万近く。それに外車なのでパーツの値段も高く、修理代なんて半端じゃないのだろうと思うと自家用車として買うなんて夢のまた夢である、
 さて、そのスマートが家のそばの中古車屋に突然二台並んだのだ!それも色違いで、価格は60万円台である。沖縄でスマートの現物が売られている!これは画期的なことだ。それに新車とは価格的に大違いだ。じゃあ、買えばいいじゃん、なんていわれそうだが、そう簡単なものでもない。しかし買わなくてもこの車の前を毎朝ウォーキングしているために、ゆっくりと眺めることができるのである。ウォーキングは、毎日、この車を眺めるための口実のようだ。ゆっくり眺めていつも思うのは、「欲しいものはこうして眺めているのが一番だ」ということ。やはり、私はスマートのミニカーで十分である。すでにその数は20台を超えているのだし。