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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ある肖像写真

2015年08月28日 | バリ
 私がワヤンを学んだタバナン県のトゥンジュク村のダランの家には、この写真が長きにわたり飾られている。その存在に気がついたのは1984年のことだったが、当時大学2年だった私にはこの写真の正体がわからなかった。それほどまでにインドネシアの歴史に無知で、バリの音楽を勉強していたということだ。
 1986年から留学をして、毎日、この写真と向かい合った。勉強しているときも、ワヤンを製作しているときも、すぐ私の上にこの写真の男がいた。その頃には、この写真の正体を突き止めていた。若き日の「スカルノ」である。しかし1980年代はまだスハルト大統領の時代であり、スハルトによって失脚させられ、さらいには左翼思想に傾いたスカルノに対して、社会は冷たかった。たとえ心中はスカルノびいきであったとしても、家にはスハルトの写真が飾られていたものである。だから、ときに村の人々はダランに対して陰口をたたいた。
 「あんたの先生は変わり者よ。ふつうスカルノの写真なんて大っぴらに飾らないものよ。だいたいスハルト大統領の写真を飾らないんだから。ダランだから許されるのよ。」
 スカルノを信奉するということは、ある意味、当時は禁止されていた「共産主義思想」の持ち主と思われてもしかたがない時代だったのかもしれぬ。つまり「左」であることを公然と公表していることになる。それでなくてもダランの家にはひっきりなしに客人が訪れる時代だったから、初めての来客はさぞ驚いたことであろう。それでもダランはこの写真だけは終生はずさなかった。
 1999年に政変が起きて、スハルト大統領は失脚し、インドネシアの民主化は大きく変わった。今では80年代が嘘のようにスカルノに関する研究や、書物が本屋にあふれているし、スカルノの肖像があちこちに飾られる。ある意味、スカルノを古き良き時代の象徴にまつりあげているようにも思えるのだ。
 私の師匠の一人であるダランがなくなって、もう十数年の歳月が流れた。しかし今なお、この写真だけははずされることなく主人の変わった家の壁にひっそりとかけられている。僕はこれを見るたびに時代に屈しなかった師匠の生き方を誇りに思う。そして自分もまたそうして生きなければならないと、毎年、この家に来るたびに思いを新たにするのだ。

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