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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

京都国立博物館で見た祇園祭――祇園祭にて(6)

2007年07月25日 | 
 山鉾巡業の翌日、京都国立博物館に行く。正直、あまり交通の便のいい場所にあるとは思えない。三十三間堂が隣になければ観光客が立ち寄るとはとても思えなそうな博物館である。建物は由緒正しき洋風建築なのだろうが、個人的な感想としては、常設展だけを見る限り、少々物足りない感じがする。というよりも、だいたい京都には神社・仏閣がありすぎて、よほどの特別展でもない限り、博物館で仏像を見てもそのリアリティが感じられないのかもしれない。やはり限られた時間内で京都をめぐるのであれば、博物館よりは、一つでも多くの観光名所をまわってしまうのだろう。だからかどうかはわからないが、私が行った時間は入館者も少なく、そのおかげで展示品を一つ一つ眺めるのには都合がよかった。
 私の目的は、江戸の作品である洛中洛外図屏風と祇園祭礼図屏風を見ることだった。ちょうど祇園祭の期間中、この博物館が所蔵する二枚の屏風絵が展示されていることを知ったからである。現代の祇園祭は今回の見学やそれまでの体験から知ることはできたが、江戸時代の祇園祭がどんなものだったのか、自分の目で見ておきたかったのである。もちろん文書などに書かれたものは多いだろうし、また研究もあると思うがそこまでのめりこんでいるわけではなく、とりあえず目で見える範囲で理解しておきたかった。
 洛中洛外図屏風と祇園祭礼図屏風は、雲の上から除いたような構図で京都の街全体が描かれており、書かれた場所によっては実に詳細である。どちらの屏風絵も祇園祭の山鉾巡業の様子が描かれており、山鉾の形は前日見たものと何一つかわらない。ただ違うのは見物人の数と、実にのどかな市中を巡業している様子だ。もちろんこれは絵画であり、観客人の存在にいたるまでのリアリティを追求しているわけではないだろうが、全くのデタラメともいいきれない。そんな光景を見ながら勝手な想像をする。その頃の京洛は、今の京都のように騒音で溢れることもなく、表通りは高層建築物で縁取りされることもなく、祇園囃子は他の音に打ち消されたり、遮蔽されることもなく、街のあちこちに響きわたっていたのではないだろうか?祇園祭は見るだけのものでなく、囃子である「コンチキチン」の音の調べを感じる祭礼だったのかもしれない。だから表通りを埋め尽くすほどに見物人はいないのだ、なんて解釈は成り立たないだろうか?ただ、少なくても祇園祭は、今以上に聴覚に訴える儀礼であったのではないかと考えるのである。


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