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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

チャロナラン――大スペクタクル編

2011年09月07日 | バリ
 昨晩、M氏と出かけたチャロナラン劇は、筋もこれまでとはまったく違う大スペクタクル編のチャロナランだった。東ジャワとバリの歴史的な物語に準拠しているタイプでなく、疫病が流行り死者が出て、その魂(アトマ)の会話、死後の世界、葬儀、その後の浄化儀礼が漠然と筋になっているのだが、その演出はリアルそのものだった。しかも最後は、ランダが乱舞する中で大トランス状態になり、そこにシダカルヤが出てきて浄化儀礼をおこなうのだが、そのシダカルヤもトランスになり、最後はなんだかわからず、乱闘試合のように終演するのである。
 これを見て、ふとワヤン・チェンブロンを思い出してしまった。ワヤン・チェンブロンにはもちろんラマヤナやマハバラタの筋があるのだが、単純明快であり、その筋書きを楽しむというよりは、お笑いを楽しむ芸能である。今回のチャロナランには歴史的な物語はほとんどない。諸儀礼の芸能化というか、舞台上で死と関わる儀礼を演出するのである。もちろん、そこには道化役が出てきて、お笑いを楽しませてくれる。演劇全体を構成する物語よりも、場面場面の面白さや演出を楽しむという芸能の在り方は、昨晩見たチャロナランもチェンブロンも似ているのである。ちなみに同じ場所で、今日はワヤン・チェンブロンの上演がある。
 私としては、演劇なのだから人々を感動させるような筋が欲しいのだ(これは演劇ではないのかもしれない)。とにかく次から次に「おー」とどよめきが続くようなスペクタクルの連続では、筋書きのない戦争映画を見ているようである。4時間くらいの間に7,8回は主食を食べさせられて、もうお腹がはちきれそうな舞台なのだ。でも、現代のバリの都市に住む人々には、もう理屈っぽく、教訓に満ち満ちた歴史物語は退屈で時代遅れの遺物なのかもしれない。(写真は後日)

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