20年前、バリで始めて新年を迎えたとき思ったことは、あまりにも日常と変化がないことだった。12月30日も31日も、師走、年の瀬なんていう慌しさは何も感じなかった。ただ1月1日が祝日だった、ということしか記憶にない。
ところが今、新年を迎えるバリは大賑わいである。まず、トロンペットtrompetとよぶ紙でできた音具が屋台で15円から30円程度で売られ、それをブーブーと子ども達が吹きまくるのである。チャルメルのようなすごい音がして、ともかく大騒音である。いったいいつからこんな習慣が始まったのだろう?
もう一つ、31日の夜はあちこちで喧嘩が勃発する。つまり、アルコールを飲んで、寄った若者たちが暴れるわけだ。これは街でも村でも同じで、私がこの31日を過ごした山村でも喧嘩を仲裁するために、プチャランとよばれる村の自警団が夜遅くまで見回りを続けていた。だいたい20年前は村でアルコールを飲む人の話なんて聞いたこともなかった。
12月31日の何もかもが20年の間に大きく変わった。いつのまにかこの日はハレの日になってしまっているのだから。今のバリでは、バリ=ヒンドゥー文化にもとづくローカルなハレと、世界中の人々が共有するグローバルなハレが、ところ狭しとカレンダーを埋めている。
ところが今、新年を迎えるバリは大賑わいである。まず、トロンペットtrompetとよぶ紙でできた音具が屋台で15円から30円程度で売られ、それをブーブーと子ども達が吹きまくるのである。チャルメルのようなすごい音がして、ともかく大騒音である。いったいいつからこんな習慣が始まったのだろう?
もう一つ、31日の夜はあちこちで喧嘩が勃発する。つまり、アルコールを飲んで、寄った若者たちが暴れるわけだ。これは街でも村でも同じで、私がこの31日を過ごした山村でも喧嘩を仲裁するために、プチャランとよばれる村の自警団が夜遅くまで見回りを続けていた。だいたい20年前は村でアルコールを飲む人の話なんて聞いたこともなかった。
12月31日の何もかもが20年の間に大きく変わった。いつのまにかこの日はハレの日になってしまっているのだから。今のバリでは、バリ=ヒンドゥー文化にもとづくローカルなハレと、世界中の人々が共有するグローバルなハレが、ところ狭しとカレンダーを埋めている。