Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

静岡県と私

2013年01月17日 | 家・わたくしごと
 今週月曜日、家でふと自分の人生と静岡県がどんな関係を持ってきたのか(なんか言い方悪い?)考えてみた。
【幼少期】
 親類が清水にいた。だからそこに泊まりにいったことがある(写真がある)。三保の松原に出かけた(気がする)。
 家族で伊豆に海水浴に行った(気がする)。
【少年期】
 東照宮を見た後、久能山のイチゴ食べ放題に行った。当時のイチゴはあまり甘味がないので練乳をつけて食べたが、食べ放題のわりには、練乳をちょっとしかくれなかった。少年のぼくは当時、「静岡の人はせこい」と思った。
【青年期】
 大学生時代、本栖湖(山梨県)のそばに大学のセミナーハウスがあって、ガムランの合宿によく言った。でもこれは山梨県だが、よくバイクで有料道路を富士宮までぶっとばして遊んだ。「酒を買いに行く」というのが言い訳。わざわざ静岡県まで買いにいくかね。アホな大学生だったな。
【社会人東京時代】
 上司が静岡出身だった。
ジャワとバリと合同で浜松でガムランのコンサート。今はなきフォルテホールだった。演奏したことより、行き、帰りのバスの中で飲みまくっていたことしか記憶にない。しかも酒を買うため、大型バスを酒屋の前に止めた気がする。
 浜松の楽器博物館に仕事で初めて行った。30代の時。
 ちなみにかみさんは長いこと浜松に本社があるYAMAHAに勤めていた。だから浜松の話をよくしていた気がするが、当時は「ふーん」と聞き流していた。
【社会人沖縄時代】
 この時期、静岡がなぜか身近になる。
 修士課程のゼミ生A 静岡出身
 研究生・修士課程・博士課程ゼミ生B 静岡出身
 修士課程でゼミ生ではないが、民族芸能研究していた学生C,D(2名) 静岡出身
 博士課程でゼミ生ではないが、民族音楽学を専攻していた学生E 静岡出身
 3年任期の音楽学の専任助手が浜松から来た。しかも今は浜松在住。
 楽器博物館、学外研修で学生と出かける。 
 なぜ、沖縄県芸大の音楽学にはこんなに静岡県人が多かった(今も)のだろう?

 ということで、この流れだと、ぼくが静岡に異動したもの不自然じゃあないな、と一人納得したのであった。なに考えてんだかね。

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