土曜日に羽根木公園で行われたガムランスタジオ音工場HANEDAの講座生によるバリ・ガムランの発表会にゲスト(特別出演)で参加した。ゲストというと普通、一、二曲に参加するというのが普通であるが、私の場合は、演奏された曲のすべてに参加したので、講座生よりずっとたくさんの曲を演奏したことになる。
音工場HANEDAは東京におけるジャワ、バリガムラン活動の拠点のひとつであり、今年で設立20周年を迎える。私も沖縄に赴任するまではここで週一、二回の講座でガムランを教えていたし、今でもここのグループの演奏活動に参加している。羽田空港からバスで20分程度の距離に位置することもあってか、現在もなおこのスタジオに入り浸る日々が続いている。というより、音工場が第二の故郷みたいなものである。
さて発表会であるが、例年、世田谷の羽根木公園プレーパークの仮設野外ステージで行われ、大勢の観客がブルーシートに座って、新緑の中でガムランと舞踊を堪能する。講座生は普段、大音響の青銅製打楽器のアンサンブルを室内で演奏しているわけで、年に一度の発表会はバリのように野外でガムランを演奏できる数少ない機会なのだ。
この発表会にほぼ毎年参加して思うのであるが、この舞台はすでに音工場の「年中儀礼」と化していて、「行わない」ということは考えられないのである。実のところ、今年は9月末に20周年のイベントを開催することから、「5月の発表会はいいんじゃない?」などという声もちらほら上がったのだが、結局は開催してしまったのであった。つまり儀礼なのだから、規模を縮小してでも行わなくければならないのである。そしてこれに参加し実践することで、音工場にかかわる人々(音工場共同体)はその絆を確認し、絆は強化されるのである。さて、この「儀礼」につきものなのが、ハレの食事である儀礼食「グリーンカレー」である。プレーパークの人たちが準備するこの儀礼食を共食することも不可欠な儀礼行為である。いつの頃からか始まったこの習慣について説明できる参加者がおらず、すでに慣習的行為と化している。もちろんハレ着であるバリの演奏者の衣装を各自が着用する。最近のバリのオダランのように同じ衣装を着用するような規則はないために、衣装は色とりどりで1980年代のオダランを彷彿させる。
儀礼が終わるとたいていは饗宴となるのであるが、今年は久しぶりに吉祥寺の「いせや」で知人と小宴会を開いた。ほろ酔い気分で帰宅途中、私の頭の中には、バリのガムランと高田渡の《自転車にのって》が絶妙にコラボレーションをして、言い知れぬ快感に酔いしれた。
音工場HANEDAは東京におけるジャワ、バリガムラン活動の拠点のひとつであり、今年で設立20周年を迎える。私も沖縄に赴任するまではここで週一、二回の講座でガムランを教えていたし、今でもここのグループの演奏活動に参加している。羽田空港からバスで20分程度の距離に位置することもあってか、現在もなおこのスタジオに入り浸る日々が続いている。というより、音工場が第二の故郷みたいなものである。
さて発表会であるが、例年、世田谷の羽根木公園プレーパークの仮設野外ステージで行われ、大勢の観客がブルーシートに座って、新緑の中でガムランと舞踊を堪能する。講座生は普段、大音響の青銅製打楽器のアンサンブルを室内で演奏しているわけで、年に一度の発表会はバリのように野外でガムランを演奏できる数少ない機会なのだ。
この発表会にほぼ毎年参加して思うのであるが、この舞台はすでに音工場の「年中儀礼」と化していて、「行わない」ということは考えられないのである。実のところ、今年は9月末に20周年のイベントを開催することから、「5月の発表会はいいんじゃない?」などという声もちらほら上がったのだが、結局は開催してしまったのであった。つまり儀礼なのだから、規模を縮小してでも行わなくければならないのである。そしてこれに参加し実践することで、音工場にかかわる人々(音工場共同体)はその絆を確認し、絆は強化されるのである。さて、この「儀礼」につきものなのが、ハレの食事である儀礼食「グリーンカレー」である。プレーパークの人たちが準備するこの儀礼食を共食することも不可欠な儀礼行為である。いつの頃からか始まったこの習慣について説明できる参加者がおらず、すでに慣習的行為と化している。もちろんハレ着であるバリの演奏者の衣装を各自が着用する。最近のバリのオダランのように同じ衣装を着用するような規則はないために、衣装は色とりどりで1980年代のオダランを彷彿させる。
儀礼が終わるとたいていは饗宴となるのであるが、今年は久しぶりに吉祥寺の「いせや」で知人と小宴会を開いた。ほろ酔い気分で帰宅途中、私の頭の中には、バリのガムランと高田渡の《自転車にのって》が絶妙にコラボレーションをして、言い知れぬ快感に酔いしれた。