Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ハレのトゥンジュク村

2014年12月26日 | バリ
 先週の水、木、金の三日間、バリではガルンガンとよばれるお祭りがあり、祖先の霊がそれぞれの家の寺院に戻ってきている。いわゆる日本の「お盆」にあたる。この祖先の霊は、明日、27日のクニンガンというお祭りで再び祖霊の世界へと帰っていく。210日に一度めぐってくるお盆だが、今回は祖霊が戻っていている間にクリスマスが入っていて、なんだかバリ人は大忙しに見える。
 この時期、バリでは家々の前にガルンガン用の飾り、ペンジョルが建てられる。日本の正月飾りと同様に、今では購入する場合も多い(もちろん作っている人々もいるが)。村によっては義務づけているところもあり、そういう地域を通ると、本当に美しいバリを感じることができる。
 私が80年代に住んでいたトゥンジュク村に今、デンパサールから日々通っているのだが、この村も美しくペンジョルが飾られている。もうこの風景に慣れっこなった。しかし80年代、ペンジョルを立てている家などほとんどなかった。つまり、もともとはそんな習慣は村全体にはなかったのだ。それが二三十年の間に「創られて」いったものだ。
 もともとバリの宗教には教義は存在していなかった。いわゆる慣習的な方法によりそれぞれの地域が正しいと考えた方法で儀礼を執り行ってきた。その後教義が作られ、村ごとにコンテストが行われるなかで、村落ごとの儀礼が、いつしかバリの儀礼へと姿を変えていった。今なら、この時期、バリを車で走ればどこでもこんな風景を見ることができるものだ。そういう意味で、私から見ると個性がなくなり、面白さがなくなってしまった。しかし、見た目は変わっても、トゥンジュクの人々がこの時期、集会場で日々、闘鶏にあけくれるのは以前とまったく変わらない。闘鶏はバリ州の条例上は禁止なのだが、実はトゥンジュク村では、クニンガンの日に村のお寺の周年祭(オダラン)がある。彼らにとっては、この周年祭に向けての「行事」という「建前」がある。つまり儀礼のための闘鶏は許されているからだ。私と同世代かそれより上の「いいおじさんたち」が、戦う鶏を見て、我を忘れ大声で叫んでいる風景をみると、なぜかほっとするものだ。これが本当のバリだなんていわない。バリは変わって当たり前だ。しかし、これが私の中でずっと変わらない「僕の中のバリ」である。