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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ダンボールにつまった510本の「うまい棒」に思ったこと

2013年05月10日 | 家・わたくしごと

 夕方、510本の数十種類のうまい棒が野菜炒めの具材みたいにぐちゃぐちゃに混ぜ合わされたダンボール箱を前に、たぶん読者はこんなものを見るとちょっとは興奮するんだろうなんてひそかに細笑みながら撮影してFBにアップしたのだけれど、なんだか、さっきそんな自分が投稿した写真をみたらすっかり悲しくなってしまったんだよ。

 突然、自分の子どもが、母親からもらった、たった一本のコーンポタージュ味のうまい棒を食べていた風景を思い出したからなのさ。アニメに出てくる出っ歯のうさぎがいかにも硬そうな人参を、カリカリ食べるみたいに(本当にそうやって食べるかどうか確証はないんだけれど)、息子はうまい棒をまだ生え揃わない乳歯で器用に「削って」いてね。そりゃあ机の周りも床も粉だらけだよ。でも、とにかく一秒でも長くその存在を認めていたいんだな。そりゃ貧乏くさいっていうか…。そんな姿を思い出したらなんだか泣けてきたわけ。

 あの時、ダンボールにつまった510本のうまい棒が、突然、息子の前に届いたらどんなことになったろう?まず、子ども用の体がはめ込まれたような小ちゃな椅子のまま、興奮のあまり床に転倒しただろうな。こういう風景をみたら、自分が今どこにいるか、どうしていいか一瞬わかんなくなっちゃうのさ。大人も同じだよ。ほら、子どもにとってはうまい棒でも、そりゃうまい棒一本は、たとえが悪いけど、ボクにとってはアラビアやロイヤルコペンハーゲンのエッグスタンドみたいなものなんだよ。

 別にこのうまい棒を買った人を批判しているわけでもないし(それどころか、すごい勇気の持ち主だって尊敬さえしている)、うまい棒をウサギ食いしていた息子を情けないと思っているわけでもない。それどころか自慢さ。ぼくだって子供の頃は、屋台で買った焼き鳥のシロのひと切れを、15分は噛み続けていたからね。串にささったあと三、四切れは、もう冷たくなってタレがしみた紙みたいな味しかしないってわかっていても、そうしていたかったんだから。

  やっぱりこれが「大人買い」なんだな。これは大人の遊びだよ。たいてい大人なんて10本もうまい棒を一度に食べたって、財布は痛くも痒くもないんだろうけど(ぼくはそれだけで胃が焼けて死にそうになる気がする)、やっぱり子どもには見せたくない風景だね。これは駄菓子屋の売り物の風景か、スーパーのおねえさんが商品棚に並べる前の品物にしか子どもには見えないだろう。握り締めた1本、2本だから「うまい棒」なんだよ。握れなくって、抱えるような「棒」は、もう「うまい棒」じゃないんだ。