Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

誘惑~雨の日のバス停にて

2010年04月15日 | 那覇、沖縄
 朝から雨……雨宿りする場所がない道路沿いのバス停。大きなトラックのタイヤがアスファルトに浮き出たような雨をひいて、霧のような微少な水しぶきをあげながらバス停の前を通り過ぎる。そんなしぶきのせいでメガネについた無数の小さな水滴は、私の視線を遮る。そんな日はすべてが腹立たしいのだ。バスは来ない。この日の時刻表はオブジェにすぎない。
 突然、タクシーがバス停の手前で徐行する。そして運転手は少しずつバス停のある側道に近づいてくる。そろりslowly、そろりslowly。タクシーはバスではないから決してバス停では止まらない。しかし、子どもの歩く速度と同じ速さでバス停の前を、まるでスローモーション映像ようにゆっくり通り過ぎていく。
 その瞬間、バス停で待つ人々はいっせいに近づいてきたタクシーから目を背ける。あるものは穴だらけの砂利がひかれた地面を、あるものはビニール傘ごしに黒い雲を、そしてある者は、用もなく自分のカバンの中に雑然と収まっている「何か」を見つめる振りをするのだ。そしてどの者もこう願う。「早く通り過ぎよ。早く、早く!」 しかしそんな願いもむなしくタクシーの運転手は、バス停に待つ人々をひとりずつ、誘惑するような不気味な笑顔で見つめながら、そろり、そろりと車を進める。まるで陸にあがった海亀のように。
 これが沖縄のバス停の雨の日の風景。雨の日の誘惑の風景。そんな徐行するタクシーの後方にバスの姿が見えたとき、人々の心の中は歓喜で満ち溢れる。そして人が変わったように背筋を伸ばして、たった今までその姿を消し去ろうとしていたタクシーを凝視しながら、誰もがこんな風に思い描くのだ。
 「君の負けだぜ。君の誘惑には負けなかったんだからね。」
 そして勢いよく走り去るタクシーのエンジン音が、ぼくの耳だけには運転手の舌打ちに聞こえるのだ。そして運転手はつぶやくように自分に語りかける。
 「まあ、見てろよ。次はぼくの勝ちさ。今日はほんの少しだけ運が悪かっただけなんだ。」