Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

夢で祖父と会う

2009年02月08日 | 家・わたくしごと
 バリでは火葬儀礼やその後の浄化儀礼を終えた死者が、再び夢の中に現れたとき、それを大声で公言することを控えることが多い。場合によっては、儀礼が不完全だからまだ現世に現れると批判されかねないし、夢を見た自身も儀礼に問題があったのではないかと疑心暗鬼になったりするからである。しかし、だからといって死者に再び会ってしまったことに落胆するわけでなく、喜びの気持ちもまた存在する。私の友人などは、外国人である私には、小さな声で「今日、おじいちゃんが夢に出てきてね・・・」などと嬉しそうに語ってくれることもある。
 昨晩、私は、夢の中で本当に久しぶりに祖父に会った。今でもその様子を現実の出来事のようにはっきりと語ることができる。夢の中で私は、現在、病院で治療中の97歳の祖母と話をしていた。「現在は治療がたいへんだけれど、医者をみかえすために絶対に治して私はアメリカに行くんだ」と豪語している。祖母らしいなんとも頼もしい言葉かと私は喜んでいる。そしてふと隣の部屋を覗いて見ると、祖父が祖父の家の黄土色のソファーに座っているではないか!
 鉄筋でできた彼の家と同じような色の灰色の厚ぼったいカーディガンを羽織り、ニコニコしながら手をひざの上に置いている。晩年の祖父のこの笑顔は、生まれたばかりの私の息子を眺めたときに見せた静かな笑顔に似ている。私は「おじいちゃん、いつ帰ってきたの?」と声を出して、祖父の手を握った。その手は子どもの時に感じた祖父の手で、そのぬくもりをはっきり感じた。私は祖母に「おじいちゃんが帰ってきたよ」と声をかけ、祖父には自分のことをたくさん話しをした。祖父は、嬉しいそうな笑顔を絶やさない。けれど何の言葉も発することはない。
 いつも間にか私は真っ暗な部屋の中の自分の布団の上に座って、涙を流していた。夢の中の不思議な体験だったのだ。祖父が亡くなったのはもうかれこれ十年も昔の話である。しかしなんで夢に出てきたのだろうと考えてしまう。私はバリ人ではないので、儀礼の一部に不備があったなんて考えたりはせず、それでもきっと意味がある出現なのだろうと不思議な気持ちになった。ありきたりの想像に過ぎないが、死者は私を見捨ててはいないし、私は祖父にどこかから「見つめられて」いるのだろう。だからこそ、植物学者だった祖父に笑われないような学者としての人生を私も歩まなくてはいけないんだと自らを戒めた。そしてもう一つ思い出したこと。それは、祖父が亡くなる前に、自分が病床に横たわっているにもかかわらず、私には「無理をしないで、体を大切にするように」と語っていたこと。その通りである。なんだかこのところ、私は首の痛みに怯えながら日々を過ごしているのだから。祖父はそんな私にやさしい無言の笑顔でさまざまなことを語ってくれたのだろう。