どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

月とスッポンと神功皇后

2012年03月28日 07時48分32秒 | 海(わた)
月とスッポンと神功皇后

なぜ、月にスッポンが居るのか。
きょうはこの話です。

林巳奈夫は、中国古代の画像を解析しています。ここに、多く、鼈(スッポン)がでてきます。しかし、林さんの解析はあっても、七海は文献(書物)にでているのを見たことありません。

みなさん御承知のように、日本では月にウサギがいます。中国でも、ウサギもあったが、主として蝦蟇(ガマカエル)とスッポンでした。
玄奘三蔵がインドから仕入れた話に、インドラ神(帝釈天)が、ウサギの犠牲的精神に感心して、今後、月にウサギを留めようと言った。

中国では、月に蟾蜍(センジョ:ガマガエル)とスッポンがいます。

蟾蜍は、西王母が不死の薬をもっているので、絶世の美女・嫦蛾がその薬を盗んで飲んだ。それで、醜い蟾蜍となって、月に閉じ込められたという。
ところが、鼈(スッポン)がいる話は、なぜか出てこない。

老いた兎が寅を生む
たぶん、浦島太郎の安曇氏がつくる話しでしょう。
浦島太郎は、一年を10倍しています。3年で30年、たちまち、おじいさん。
十二支の「子、丑、寅、卯・・・」の巡りを反対に回して、老いたウサギがトラ
を生んだ。(吉田隆英「月と橋」)
これは、本は時計と反対回りでしたので、これを知った者が再現したのです。
一年を10倍して、老いたウサギが虎を生んだとした。

八百比丘尼は、八百才も生きた。これは一年を百倍しています。
ウソ八百の語源でしょう。

では、月になぜスッポンが居るのか。
七海は、最近やっと解って来た。

天円地方
天は傘のようにできている。天は、亦、傘がぐるぐるまわっています。
地は四角で出来ていて亀の上に乗っている。(中国の神話伝説)

ハマグリが欠伸(あくび)すれば満月と為る。
月を観察すれば、よくわかりますが、円い月を蛤(ハマグリ)に見立て、両足が出たように見える時があります。蜃(シン)と云う漢字に二義あり。一つは大ハマグリ。一つは蜃気楼。後者の義です。

土の影
月に地球の影(ひかり)が映る時があります。(地球照という)
これが、スッポンのヒントです。

地球照
地球はもと暗黒星でした。その後古代人はよく観察して、月に地球の反射光の影が映るのを知りつくしています。

三段論法
大地は亀の上に乗っている。地球は太陽の反射光を放つ。地球に近い月に、反射した亀が映る。これで極まりです。

思い起こせば、地球は水の惑星でした。
水は鏡ですから、地球の影(ひかり)が月に移るのでした。

日本書紀や古事記で、解釈違いは、結構多くあります。

日本古代は、「なぞ、なぞ」の話しが多すぎます。
「おめめ」がひとつで、足がひとつの物、なーに? この類です。

「面、白い」・・・月のひとつの表情
漫画で、水木しげるは、山海経の怪物を自己流に仕込んで皆さんに提供しています。
赤塚不二夫は、神功皇后とスサノオのやりとりを取っています。
「東に登る日が改めて西から出る時は別として、阿川の川の水が逆流して、川の石が天に昇る時は別として、末長く朝貢します」・・・天地の逆:倒立ちして物をいう。
スサノオは破天荒の好きな人でした。
絵本にも古典から取られたものがみられます。

あたまは、体操すれば、よろしい。
時に、月とスッポン程ちがう話、煙に巻くのもよし。(神功皇后のこと)

話しを神功皇后にうつします。
ところで、大地は亀の上に乗っている。
これは、事実、南宇佐の宇佐八幡宮が、亀山に建つ。小倉山:小椋山という。
ということは、月信仰や長生を意味するのでしょう。

比売大神は、宗像三女神で、最初宇佐島に降って、大元山をはじめに祭って先鞭
をつけた。のち、玄海町辺津、海北道中の中の島、沖の島の三島に移った。

宗像氏の後裔・宇佐津彦、宇佐津姫は、宇佐に居て祭りを受け継いでいた。

国譲り後
大巳貴は三女神の長女と結婚しているが、国譲り後に冥界の神事をするというから、宇佐神宮の奥宮大元山(第一宗廟)は、宗像三女神までつながっていた。
宇佐八幡宮(第二の宗廟)の比売大神も三女神で、応神天皇と神功が載る。
法身(神武)、報身(崇神)、応身(応神)のように思います。
すると、途中に卑弥呼、壹與(171~300年頃)も大元山を祭ってきた。

神武紀では、中臣氏と宇佐津姫が婚姻し、中臣村が中津市にある。
大物主は、娘の前玉比売をスサノオの子孫へ娶らせた。大物主は高みむすび神の娘をもらう。

大物主の後裔大神(おおが)氏は、大巳貴の後を引き継いでいる。
神官は、ここに、宇佐氏、中臣氏、大神氏が当初からそろっていた。

157年、迎実湾の都祈野(トキノ)から辛島氏の先祖「延烏郎・細烏女」が亀に乗って来る。(三国遺事)
これは高辛氏の末裔ではないか。狗奴は慶尚南道の東莱にも九州にも居ます。

神功皇后の暴露発言
1、辛国息長帯大姫大目命
・・・豊前が辛国と露呈しています。
2、八流の幡を韓国(からくに)にあげ、われ(神功)は日本の神になれり
・・・七海注、日本と書いてヤマトと読む。九洲もヤマトでした。同時に「からくに」は、九州の三韓国(新羅、高麗、百済)と辛国(狗奴)をさしていた。
これらは、気比大神スサノオ(新羅大明神)に貰ったのです。

まさに、神功皇后は、まんまと、国(九州)を取った。同時に朝鮮半島の韓のエリアを後9年から都慕大王が支配しているから、自動的に三韓を取った。

宋史は、神功を太奈良姫命という。
太は天照大神の加護、奈良は「ならす」(均)と云う意味です。
みな同族の争いですが、旧唐書、新唐書にも暴露されていた。

第三の宗廟は、弥勒寺で、これは天照大神をさします。

第一の宗廟は、天御中主、高みむすび神、神むすび神。

スサノオの養子・国造り大巳貴は偉い。宗像三女神とともに、神代の時代から天皇へつなげていった。
一連の物語は上手く出来たものです。

以下の三点は、結合しています。
八蕃大菩薩(宋史)
蕃は、茂る、垣根、ふくろうの三義あり。
茂るは、青カシ。気比大神は、垣根。梟は、熊襲梟師。(新羅大明神の系統)

八幡大菩薩は、梵語Bodhisattva(ボディサッタバ):菩提薩埵です。大道心衆生、覚有情大士、高士などと訳す。大勇猛心をもって衆生を済おうとする者、仏に次ぐ位置にある者。・・・応神天皇は気比大神と名代えして広幡八幡麻呂となる。

孝謙天皇
「新羅は、神功以来、我が国の垣根になってきた」という。(続日本紀)
(七海注)この新羅はスサノオの後裔です。同時に、敦賀気比大神(八角垂)を言外に褒めています。



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