河北省中山国の王墓から出土の鼎
桂小蘭「中国の犬文化」大阪大学出版会2005
カナエの中に朽ちた犬肉が残る。
邯鄲の北、中山国の先祖は、姫姓で、周と同じ姓。前327年~前313年(5代目の王)において、姓は王氏、名は(黌-黄+昔) に代わる。王氏を下賜る?
中山と改名する前は、春秋時代以来の中原の北部にいた白狄が建国した都市国家で「鮮虞」という名で知られていた。当初は太行山脈の西側にあったが、紀元前414年に2代目武公が衆を率いて太行山脈を越え、現在の河北省中部に中山国を建国した。中原の外で、遊牧民の国です。
犬信仰11 匈奴と戌日
匈奴の祭儀
護雅夫の本から、匈奴の祭典をあげます。
1竜城
君主単于(ぜんう)の本拠地を竜城という。
もまた、次の表記も同じ竜城です。
籠城:竹かんむり、籠(ロゥ、ル)。かご、こめる。
蘢城:草かんむり、蘢(ル、ロゥ)。犬蓼(いぬたで)の、いぬた。
(七海注記)犬蓼 (いぬたで)という赤い穂の花をつけるイヌタデ科。
関東での猫じゃらしは、「えのころ草」。狗尾草、犬の子草と書く。イネ科の植物。
2匈奴の祭儀
竜庭で、毎朝、日の神を祀り、単于が政を告げる。
(竜庭は、朝廷と同じ、政:祭を告げるところ)
祭りは、諸長が単于の庭に集まって挙行される。
正月の戌日、小集会、祭りを行う。
五月の戌日、大集会、蘢城で、祖先、大地、鬼神をまつる。
九月の戌日、大集会、林の周囲をまわり、人間、家畜の数量を調べる。
祭りでは、オボ祭、神楽がある。
神楽は、天地を祀り、国事を議し、馬を走らせ、ラクダを戦わせる。
蘢城、竜城は、もともと、自然の林木、または樹枝をたてたところ、あるいは、柴、「そだ」の類を積み上げた壇[オボ]をいう。
鮮卑、高車、契丹族も同じ祭天を行う。これをオボという。
4オボ祭
自然石を積み上げて、大きなカマド状に作り、柴や樹木を放り込んだものをオボという。
このオボに、馬、牛、羊などの犠牲をささげ、天神地祇とする。(天神と地神を祀る)
以上、護雅夫「遊牧騎馬民族国家」講談社現代新書
オボは、モンゴル、東トルキスタン、チベット、中国南部にもあるものです。
匈奴は、やはり竜信仰族で、戌の日を選んで祀っていました。
日本でも、垂仁紀に、出雲国造がオボ祭をやっていました。口のきけないホムチ別が「あれは、青葉の山か、山のように見えて、山ではない」と、初めて口を利いた。
垂仁の子ホムチ別は、火の中で生まれたのを、なんとかして助けだされましたが、結果は、オシでした。それが、出雲へ行って治りました。
匈奴は、戌の日に祭天をする。・・・狼も含めて犬族です。
匈奴の後継者の、高車、柔然、突厥は、狼信仰者で、やはり犬族です。
匈奴は、高辛氏の時代から連綿と続く犬信仰者でしょう。
日本では、九洲の大神氏も犬信仰とみられます。大きな白犬も竜でした。
出雲国造は、竃(かまど)を祀っていました。カマドは、製鉄のカマドにつながっています。
黒海北岸のスキタイ王も、天神地祇とカマド神(女神)を祀っていました。
狼は、インドのベーダに於いて、引き裂く者を指しています。
境界や国を引き裂く連中を指しているのでしょう。
犬は、古来、霊的動物で、予知能力にたけて、幸福、不幸の狭間、あるいは、冥界と現世の間に居るのでしょう。
犬と製鉄
犬はお産が軽い。人間のお産は、湯に包まれた袋からでてきますが、カマドから鉄も湯のように出て来ます。
日本では、カマドのある製鉄と鍛造は、金屋でつくる。或いは別所で作る。
鉄鉱石、砂鉄を火で溶かす。
カマドの無い時代、野蹈鞴(のたたら):野の風で、火を勢いづける。
カマドのある時代、カマドに人工の多々良(風送り装置)で、火力を高める。
犬信仰は、カマドや製鉄ともつながります。カマドは、金屋の狗奴、別所の拘奴という連中です。前者は漢音クド、後者も呉音クドです。
梵語アヤスは、インドの黒い鉄。金ヘンに夷で、銕と書く。おそらくヒッタイトの鉄が入っています。西欧では、西域の鉄をセレスの鉄という。
また、犬は、犬吠崎塔台、北九州犬鳴山の音のするさまをも表わす風の作用と関係します。
中国古代の蚩尤は、銅の頭に鉄の額、鉄石(砂鉄)を食う神ですが、雲をまき散らし、雷を従え、風(竜巻)を生じる荒神でした。黄帝と二度戦い、最初は蚩尤が勝つ、2度目は蚩尤が黄帝に負けました。
蚩尤、共工、窮奇、三苗(三毛)は、青銅から鉄への変化でしょう。いずれも鉱山師と考えます。
神武紀の吉野にて、岩間から尾のある吉野首の子が出て来ました。
これは、前に尻をつけて、尻に尾のある人です。
犬戎国は、尾のある人だから、吉野首は、犬族、犬信仰族で、鉱山師でしょう。
総じて、地(鉱物採取)、水、火、風が出て来ました。あとは火焔を待つばかりです。火焔山とは、何でしょうか。
余談
ブラウスやシャツの裾を出して着る者を、七海は、尾のある人と呼んでいます。
・・・ワンと言いなさい。
2011・2・28(ブログ同日)追記
周の康王(~前989年没?)の時、周の盂(う)将軍が鬼方を征伐した。この鬼方は、長安西北の犬戎と呼ばれた遊牧民です。のち、前300年代の終わり頃に登場する匈奴と同じ種族と看做されています。
詩経では、玁狁(ケンイン)、小盂鼎という青銅器の銘文により、犬戎と判明する。以上、貝塚茂樹「中国のあけぼの」
なお、七海のブログ、犬戎国1の地図を参照のこと。
固原県が高辛氏の王庭。犬戎国のあった所は、平涼市霊台朝那鎮。