どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

犬戎国8

2011年02月09日 16時53分02秒 | 


エフタル地図、佐藤圭四郎「古代インド」河出書房文庫1989
エフタルの北側は、柔然です。これ以前は北匈奴でした。エフタルは大月氏クシャン朝の後と考えられます。

犬戎国8

犬トーテムの連中
狼を信仰する、中国、柔然、高車、突厥も然りです。
狼の乳で育った古代ローマのロムルス、青き狼のチンギスハーンなど。
犬信仰は、犬肉を食べないインド、キリスト教、イスラム以外、世界的です。
犬肉の効用を今の日本人の多くは知らないだけで、古代の医術は、シャーマン(巫)が兼ねていました。

犬戎国、後漢書南蛮伝
昔、高辛氏の飼い狗(いぬ)の名前を盤瓠という。犬戎の将・呉将軍の首をくわえて来た。これが犬祖の初見で由来です。後漢書では、南山の石室(湖南省邵陽市の巨大洞窟)に止まり、6男6女を生む。高辛氏自身が、犬祖族の可能性が高いと考えます。
また、三国史記の高句麗は、高辛氏の後裔と明記されていますが、河伯女(水)を母体に、陽(光)が射して鶏の卵のようなモノで子供が生まれたとする。

1福建省泉市宗武鎮(犬戎国)から、
(1)鏡の方向では、甘粛省平涼市霊雲台朝那鎮。犬戎国。
(2)東南[現在の東北]山口県萩市見島。犬封国。

その後は、どうなったか、不詳です。

2柔然・・・犬の国
柔然王の大檀は、牟汗紇升蓋可汗(在位:414年 – 429年)。
柔然は、400年代に中央アジアに存在したテュルク系遊牧国家。これは北匈奴の子孫で、のちにエフタルになったとされる。(松田寿男)
悦般王(エフタル:白フン)は、
泰常8年(423年)頃、柔然と好を結ぶため、数千人を率いて柔然に入り、エフタルは、柔然可汗の大檀に謁見しようとした。

悦般王は、柔然の国境百余里に入ったところで、
その部人の洗濯されてない衣服、結われてない髪、手を洗わないところ、婦人が舌で食器を舐めているところなどを見て、
悦般王は、
その従臣に「汝の仲間は我にこの狗国(犬のような国)の中に入れと申すのか!」と言い、馳せ還った。
大檀は騎を遣わしてこれを追ったが追いつけなかった。
これによりお互いは、仇敵となり、何度か征討し合った。(松田壽男「古代天山歴史地理学研究」)以上、ウィキぺディアを編集。

3人身狗頭の国
小笠原には、扶桑國がありました。ここに人身狗頭の人あり。507年、インドのカシミールの人が漂着ました。(南史扶桑國)
また、チベットの金産地の女國に対して、七海は、小笠原を東女國と看做します。ここには、扶桑木がありました。
扶桑木は、四川省・蜀国の都広野に立つ建木も同じ原理で、時刻樹の証明にもなっています。

4古志王、古四王、越王、「胡四王」「巨四王」、「高志王」、「腰王」、「小四王」、「小姓」とも表記される。・・・小姓は、九姓のこと。昭武九姓(先祖は月氏)と考えられます。九の意味は、もと小で、数字の9に使用される以前です。

5匈奴と劉邦と盧氏
匈奴の冒頭単于(ぼうとうぜんう)は、はじめ月氏の人質になっていました。冒頭(前209~前174)は、父を殺して王になると、漢の劉邦が攻めてきた。劉邦は、冒頭に捕獲された。劉邦は、冒頭の皇后・閼氏(あっし)に贈り物をして、どうにかこうにか逃れた。
東胡が冒頭の閼氏をくれというので、嫁にやった。次に土地をくれというので、怒りだし、東胡を攻めて叩きのめした。
前195年、漢の劉邦は、幼馴染の燕王・盧ワンを疑って殺そうとしたが、盧ワンは、匈奴に逃げた。冒頭は喜び迎え、盧ワンに東胡の土地を与えた。
同年、劉邦は、死ぬが、その前に盧ワンを疑った。・・・何故なのか。
おそらく、冒頭が月氏の人質時代に、盧氏との縁があって、劉邦はこれを知ったのではないか。

前176年、月氏は、匈奴の冒頭に敗れた。
冒頭は、月氏のドクロのシャレコウベで、杯を作り祝杯をあげた。月氏は西へ逃げ、バクトリアへ行った月氏を大月氏という。
ところが、小月氏は、そのまま居残り、冒頭は小月氏を討たず。なぜか。
冒頭は、人質時代、盧氏に世話になっていたのではないか。
盧氏は、盧水胡といい、小月氏です。

国語・周語の戎狄(周の国のことば)
盧は、荊嬀に出る。(注記)嬀姓の国なり。
鬼方と同じ。盧水胡は、大月氏が、匈奴に追いやられて残った残党小月氏である。(周一良と唐長儒の分析に拠る)
七海注)荊嬀は、荊州は湖南省南山洞窟の嬀姓。犬戎です。嬀水は、バクトリアのアム川で、ここにも盧氏が居るのでしょう。そして、湖北省にも盧氏と羅氏がいます。

匈奴の解釈
匈奴には、黒フンと白フンがあった。これを如何にして区別するか難題です。
以下、白フンのみを揚げてみます。

東胡は、冒頓の閼氏(単于の妻)をほしいと要求した。
黒フンは、冒頭単于であろう。閼氏を皇后とする。・・A慶州は金閼智で小昊金天氏の末裔。フンヌ語を話すから閼氏と関係する。

閼氏が、白フンとみられる。・・・B白帝は五行で、もと少昊でしょう。五方上下の守護を司る(六合+黄帝)に、七つの帝あり。ここに、西の白帝が居ます。少昊の後裔でしょう。

エフタル(白フン)は、呉音でフンヌ、サンスクリットでフ―ナという。
夏王朝の淳維(じゅんい)の後は、インドのクシャン朝[大月氏]、次に白フン・エフタルではないか。エフタルは、北匈奴の後ではなく、大月氏の後と考えられます。地図を見て下さい。
・・・C書紀の淳河姫の系統でしょう。(古事記の沼名川姫)

柔然は、上記のとおり狗の国だった。
エフタルは、東胡の後の北魏と友好、毎年使者を派遣している。北魏の先祖東胡のうちの一派は、匈奴の閼氏をもらっている。・・・D魏書[北魏]
531年、北魏僧侶・善正が、豊前・英彦山へ来ていました。

ABCDで、整合しますが、みな状況証拠でしかありません。

しかし、神功紀で、豊前には、閼川(ア川)が出てきます。新羅大明神の須佐之男が、降伏しました。
紛らわしいことは、慶州から迎日湾へ閼川(アリナレ)が流れています。神功は慶州を討ったのではなく、豊前新羅を討ったのです。

結論
末盧國は、小月氏で、盧氏の末裔でした。親族は大陸に沢山居ました。
筑紫は、月氏でしょう。月の満ち欠けだから「尽し」です。
もまた、木兎(つく)は、猛禽類の梟です。梟の師は、肥前の熊襲梟師でした。盧氏の後裔です。肥前佐賀市に犬童(いんど)と言う地名が在ります。

山口県下関市に小月と言う地名あり。滋賀県に小槻山君がいます。
みな、盧氏が関係すると見ています。

以前のブログで、沼名川姫、宗像三女神を匈奴としました。
正確には、白フンでした。
やはり、魏志倭人伝にいう。日本の天皇は、夏王朝6代目の庶流は、確実です。実に、紛らわしく、込み入った話になっていました。

・・・ワンと言いなさい。