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どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

犬戎国9

2011年02月11日 16時10分09秒 | 


匈奴・三才図絵・・・諸橋広漢和辞典
「倭漢三才図会」編集者は大坂の医師寺島良安。1712年発刊。
匈奴は、二人とも、弓をさげ、左の人物に矢が見える。左は、豹の皮を着る。右はフェルト生地?を着る。左の人物は、弁髪らしい。右の人物は、ピアスをしている。・・・絵は想像図?

犬戎国9

匈奴(漢キョウド、呉フンヌ、梵フ―ナ)

ゴビ砂漠のモンゴル高原を中心に、前4世紀末から蒙古を中心として勢力を振るった遊牧騎馬民族。これが南北に分裂、北匈奴は、100年頃、キルギス地方へ移住、遂に消息不明となる。

問題は、北匈奴の後が、悦般(エフタル)になるのかどうかです。

1史記匈奴列伝
匈奴の先祖は、夏后氏の苗裔なり。淳維(ジュンイ)という。唐虞以上は、山戎、獫狁(ケンイン)、葷粥(クンイク)あり。北蛮に居り、畜牧にしたがって、転移する。
(七海注)夏后氏は、洪水を止めた夏王朝の初代禹(う)。
姓は娰(じ)、名を淳維という。唐虞は、尭帝、舜帝の時代をさす。
山戎は、燕国[北京]の北方に住んだ連中。(山住が燕を襲うので、前663年、山東省・斉の桓公が出陣して燕を助けた)

2晋書四夷伝
夏は鬻といい、殷は鬼方といい、周は獫狁といい、漢は匈奴と言った。

3史記索隠
楽彦括地譜にいう夏の桀王は無道なため、前1600年頃、殷の湯王により鳴條へ放逐され、三年して死んだ。その子の獯粥(葷粥)は、桀王の妾を妻とし、北野(ほくや)へ避居して遊牧生活を始めた。

匈奴の先祖は、夏王朝(前2070頃)の苗裔というから、古い民族です。
犬戎の盤孤・犬信仰は、帝コク高辛氏の時から信奉されました。
殷の時代は、犬を犠牲にして祀りを行い、災難よけを願い、殷が畏れている鬼方を討った。

七海の感心事

淳維という名前・・・開化天皇の長男・大彦の子を武淳河別(建沼名川別)という。(たけぬなかわわけ)は、阿倍氏の本家となる。魏志に云う交易の監督官一大率です。壱岐に派遣され、伊都(深江)に常駐した。

1沼名と淳維
210年頃、四道将軍・大彦尊は、崇神12年、北陸道へゆく。沼名川を通り、新潟県上越市頚城(くびき)を通過、福島県相津(会津)まで行った。これで建沼名川別の名前がついたのではないか。

また、大国主の別名の八千矛は、富山県の翡翠産地・姫川の沼名川姫を貰っていた。沼名川は、夏王朝の淳維と関係するのでしょう。
魏志倭人伝で、日本の天皇は、夏王朝6代目の庶流と記す。

2沼名川姫神社[姫川]の翡翠は、随分と昔から日本で流通し、加工され、島根県や長野県八が岳で、工房がありました。縄文時代に流通していたのでしょう。
翡翠は、日本やミャンマーで取れるが、中国では取れない。
魏志倭人伝に於いて、266年、西晋へ壹與が遣使するとき、貢献品に白珠5(枚)、千孔青大句珠2枚と記載されていました。白珠は白翡翠。
翡翠は硬玉といわれ、翡翠の薄い円盤を回転させて、翡翠その他の固い石を加工するのでしょう。当時の最新技術を持って行った。
なお、奈良県田原本町の唐古鍵遺跡に、翡翠の勾玉が出土しています。

3沼名の意味を考えます。

トルコ語のヌマナは、ペルシャ人の居住地という。
富山県の姫川は、沼名(ヌマナ)の漢字が当てはまります。ヌマ―ナの音写とみています。

北京大学の林梅村、「北魏出土・エフタル貨幣」の考察
ナ(-na)は、東イラン語の民族名、または地名に付ける接尾語です。
北魏には、エフタル貨幣が出土し、alxanoと表記。大夏(バクトリア)の言語です。
正確にはalxanno alaxhanaという族名であって、意味は王河で、河が含まれています。
アルは、土地とか王国で、上記は、アル汗国となる。

七海の解釈

北匈奴は、後漢時の93年に、消滅した。
この追記記事は、魏書列伝、北史列伝に於いて、北匈奴は、康居[サマルカンドあたり]の土地へ行ったと記載され、これが悦般[エフタル]となったとさています。
しかし、400年代にエフタルが出てくる。

七海は、北匈奴が、白フンまたはフ―ナとは考えられないのです。

エフタルは、北魏に毎年、使者を出して貢献しています。富山県滑川は、滑[エフタル国の滑王]の名残を留めた河川と考えられます。

ここで、再度、犬戎国を考えます。

犬戎国に、呉将軍が出て来ましたが、呉将軍を三国志列伝の燕王公孫氏と記載した外国人の文献がありました。全くのでたらめでした。
公孫氏が、燕王と自称したのは、237と238年で、司馬仲達に切られています。

呉将軍の意味が判明しました。

呉は、古代、虞(グ)に同じで、虞字の下部は、呉です。
帝舜有虞氏の将軍の事でした。ゆえ、帝舜は、三苗を追放したのでした。

狼は、インドのリグ・ヴェーダにも出て来ます。国を裂く意味など、裂く、裂ける奴の意味でした。

山口県萩市見島・ジーコンボ遺跡
ジーコンボとは、何でしょうか。・・・アラビア語のように読めば解ります。

盤孤児・・・盤孤の児。犬封国でした。右から左へ読んだ結果です。

なかなか、直ぐ気がつけばよいのですが、そうはいかないのです。
七海は、電源をいれても、直ぐつかない蛍光灯のようなものです。

犬戎
やはり、河伯がいます。翕族(きゅうぞく)・・・河童でしょう。
洪水を起こす共工、即ち窮奇は、風神、雷神の元祖と考えられます。
また、300里四方の壱岐にも来ていました。
壱岐は祭祀遺跡が二か所あり。これを総称して、天一騰(あがり)の宮といい、白龍、黒龍の祀ったとみています。
奇しくも、きょうは、建国記念日。妙なことです。

犬戎国8

2011年02月09日 16時53分02秒 | 


エフタル地図、佐藤圭四郎「古代インド」河出書房文庫1989
エフタルの北側は、柔然です。これ以前は北匈奴でした。エフタルは大月氏クシャン朝の後と考えられます。

犬戎国8

犬トーテムの連中
狼を信仰する、中国、柔然、高車、突厥も然りです。
狼の乳で育った古代ローマのロムルス、青き狼のチンギスハーンなど。
犬信仰は、犬肉を食べないインド、キリスト教、イスラム以外、世界的です。
犬肉の効用を今の日本人の多くは知らないだけで、古代の医術は、シャーマン(巫)が兼ねていました。

犬戎国、後漢書南蛮伝
昔、高辛氏の飼い狗(いぬ)の名前を盤瓠という。犬戎の将・呉将軍の首をくわえて来た。これが犬祖の初見で由来です。後漢書では、南山の石室(湖南省邵陽市の巨大洞窟)に止まり、6男6女を生む。高辛氏自身が、犬祖族の可能性が高いと考えます。
また、三国史記の高句麗は、高辛氏の後裔と明記されていますが、河伯女(水)を母体に、陽(光)が射して鶏の卵のようなモノで子供が生まれたとする。

1福建省泉市宗武鎮(犬戎国)から、
(1)鏡の方向では、甘粛省平涼市霊雲台朝那鎮。犬戎国。
(2)東南[現在の東北]山口県萩市見島。犬封国。

その後は、どうなったか、不詳です。

2柔然・・・犬の国
柔然王の大檀は、牟汗紇升蓋可汗(在位:414年 – 429年)。
柔然は、400年代に中央アジアに存在したテュルク系遊牧国家。これは北匈奴の子孫で、のちにエフタルになったとされる。(松田寿男)
悦般王(エフタル:白フン)は、
泰常8年(423年)頃、柔然と好を結ぶため、数千人を率いて柔然に入り、エフタルは、柔然可汗の大檀に謁見しようとした。

悦般王は、柔然の国境百余里に入ったところで、
その部人の洗濯されてない衣服、結われてない髪、手を洗わないところ、婦人が舌で食器を舐めているところなどを見て、
悦般王は、
その従臣に「汝の仲間は我にこの狗国(犬のような国)の中に入れと申すのか!」と言い、馳せ還った。
大檀は騎を遣わしてこれを追ったが追いつけなかった。
これによりお互いは、仇敵となり、何度か征討し合った。(松田壽男「古代天山歴史地理学研究」)以上、ウィキぺディアを編集。

3人身狗頭の国
小笠原には、扶桑國がありました。ここに人身狗頭の人あり。507年、インドのカシミールの人が漂着ました。(南史扶桑國)
また、チベットの金産地の女國に対して、七海は、小笠原を東女國と看做します。ここには、扶桑木がありました。
扶桑木は、四川省・蜀国の都広野に立つ建木も同じ原理で、時刻樹の証明にもなっています。

4古志王、古四王、越王、「胡四王」「巨四王」、「高志王」、「腰王」、「小四王」、「小姓」とも表記される。・・・小姓は、九姓のこと。昭武九姓(先祖は月氏)と考えられます。九の意味は、もと小で、数字の9に使用される以前です。

5匈奴と劉邦と盧氏
匈奴の冒頭単于(ぼうとうぜんう)は、はじめ月氏の人質になっていました。冒頭(前209~前174)は、父を殺して王になると、漢の劉邦が攻めてきた。劉邦は、冒頭に捕獲された。劉邦は、冒頭の皇后・閼氏(あっし)に贈り物をして、どうにかこうにか逃れた。
東胡が冒頭の閼氏をくれというので、嫁にやった。次に土地をくれというので、怒りだし、東胡を攻めて叩きのめした。
前195年、漢の劉邦は、幼馴染の燕王・盧ワンを疑って殺そうとしたが、盧ワンは、匈奴に逃げた。冒頭は喜び迎え、盧ワンに東胡の土地を与えた。
同年、劉邦は、死ぬが、その前に盧ワンを疑った。・・・何故なのか。
おそらく、冒頭が月氏の人質時代に、盧氏との縁があって、劉邦はこれを知ったのではないか。

前176年、月氏は、匈奴の冒頭に敗れた。
冒頭は、月氏のドクロのシャレコウベで、杯を作り祝杯をあげた。月氏は西へ逃げ、バクトリアへ行った月氏を大月氏という。
ところが、小月氏は、そのまま居残り、冒頭は小月氏を討たず。なぜか。
冒頭は、人質時代、盧氏に世話になっていたのではないか。
盧氏は、盧水胡といい、小月氏です。

国語・周語の戎狄(周の国のことば)
盧は、荊嬀に出る。(注記)嬀姓の国なり。
鬼方と同じ。盧水胡は、大月氏が、匈奴に追いやられて残った残党小月氏である。(周一良と唐長儒の分析に拠る)
七海注)荊嬀は、荊州は湖南省南山洞窟の嬀姓。犬戎です。嬀水は、バクトリアのアム川で、ここにも盧氏が居るのでしょう。そして、湖北省にも盧氏と羅氏がいます。

匈奴の解釈
匈奴には、黒フンと白フンがあった。これを如何にして区別するか難題です。
以下、白フンのみを揚げてみます。

東胡は、冒頓の閼氏(単于の妻)をほしいと要求した。
黒フンは、冒頭単于であろう。閼氏を皇后とする。・・A慶州は金閼智で小昊金天氏の末裔。フンヌ語を話すから閼氏と関係する。

閼氏が、白フンとみられる。・・・B白帝は五行で、もと少昊でしょう。五方上下の守護を司る(六合+黄帝)に、七つの帝あり。ここに、西の白帝が居ます。少昊の後裔でしょう。

エフタル(白フン)は、呉音でフンヌ、サンスクリットでフ―ナという。
夏王朝の淳維(じゅんい)の後は、インドのクシャン朝[大月氏]、次に白フン・エフタルではないか。エフタルは、北匈奴の後ではなく、大月氏の後と考えられます。地図を見て下さい。
・・・C書紀の淳河姫の系統でしょう。(古事記の沼名川姫)

柔然は、上記のとおり狗の国だった。
エフタルは、東胡の後の北魏と友好、毎年使者を派遣している。北魏の先祖東胡のうちの一派は、匈奴の閼氏をもらっている。・・・D魏書[北魏]
531年、北魏僧侶・善正が、豊前・英彦山へ来ていました。

ABCDで、整合しますが、みな状況証拠でしかありません。

しかし、神功紀で、豊前には、閼川(ア川)が出てきます。新羅大明神の須佐之男が、降伏しました。
紛らわしいことは、慶州から迎日湾へ閼川(アリナレ)が流れています。神功は慶州を討ったのではなく、豊前新羅を討ったのです。

結論
末盧國は、小月氏で、盧氏の末裔でした。親族は大陸に沢山居ました。
筑紫は、月氏でしょう。月の満ち欠けだから「尽し」です。
もまた、木兎(つく)は、猛禽類の梟です。梟の師は、肥前の熊襲梟師でした。盧氏の後裔です。肥前佐賀市に犬童(いんど)と言う地名が在ります。

山口県下関市に小月と言う地名あり。滋賀県に小槻山君がいます。
みな、盧氏が関係すると見ています。

以前のブログで、沼名川姫、宗像三女神を匈奴としました。
正確には、白フンでした。
やはり、魏志倭人伝にいう。日本の天皇は、夏王朝6代目の庶流は、確実です。実に、紛らわしく、込み入った話になっていました。

・・・ワンと言いなさい。


犬戎国7

2011年02月01日 07時55分45秒 | 


虎に似た犬
漢代の焼物
写真:佐藤雅彦「中国の土偶」平凡社

犬戎国7

儺(漢音ダ、呉音ナ)は、「鬼やらい」です。追儺(ついな)ともいう。

中国古代の鬼やらいは、疫病やこれを引き起こす悪気を祓(はら)いのける祭祀(さいし)です。
儺は、難に通じ、厄祓(やくはらい)の意味です。男の厄歳は42歳というように使う厄です。災難・禍(わざわい)のことです。

鬼とは、何か。
これは、本を3冊とその他、読んでも、余り記憶が残っていません。一番残っているのは、血食せざる者という漢字で、聞きなれない漢字です。

後継ぎが居なくなって、無縁で、誰にも祭られなくなった人。
不慮の事故での死人。不条理、若くして亡くなった死人など。
誰も祀られなくなったら、世間では祟ると信じられてきた。
近年は、無縁社会からのひとつとして、独居死があります。

血色されない、つまり祀られないという意味です。
垂仁天皇紀、街中のあちこちに、死体がころがっていて、烏や犬が死体を食う。天皇は心が痛み何とかしなければならないという。野見宿禰が埴輪を作って祀ることを提案した。
日本武尊が、九州からの帰途、吉備や難波で、出雲の悪神を殺した。この悪神を天皇が、祟られないように祀る。これが、浪速の八十島祭の起源です。
応仁の乱後、京都嵯峨の化野念仏寺が無縁仏を祀るのも同じでしょう。

また、鬼(やまいき)がいます。(レイ、ライ)は、病と同じで、伝染病、マラリア等がはびこる意味です。中国の礼記では、春に厄祓する行事が始まります。

春は、陰気がまだ残っていると信じられてきた。これをお祓いするため、陽畜の犬が、陰気の病に勝つから、春に犬を「はりつけ」にする。即ち犬が厄祓いしてくれる呪物として、追儺祭に添えられたのです。

節分
時代は変わって、日本では平安期から節分が始まります。
節分に追儺を行うのは、春にまだ残る陰気を退治して、人々は、無病息災を祈ったのでしょう。現在では、厄払いのために豆を使う。なぜでしょう。

河童
九州で、村人の飼う馬を水に引き込もうと悪戯した河童がいました。村人につかまって、河童は謝ったが、豆をくれという。
炒ったエンドウ豆をくれたら、以後、悪さをしないという。

たったこれだけの記事、七海は逃がしませんぞ。捕まっておきながら、豆をくれとは厚かましい奴。河童は何者ぞ。

さては、河童も鬼嫌いなのか。否、河童自身が、鬼の化身でしょう。鬼の好物はモモです。桃の固い種をバリバリ食うのが、鬼ですから、炒った豆も硬いので、暴露しています。もと鬼軍団でした。

殷代は前1600頃から前1027年。殷は、鬼を恐れ、犬を磔(はりつけ)にして予防した。むかしから、風俗では、犬は、鬼が最も恐れる動物と信じられてきた。
しかし、一方で、鬼神は、福をもたらすと信じられてきたから、これでは、矛盾します。(犬戎国5参照)

一体どういうことなのか。これを考えてみます。

中国の皇帝は、宗廟祭祀で、祖先と同時に鬼神を祀ってきた。同時に皇帝は代々、鬼神を祀って来た。つまり、鬼神を味方につけていたのでしょう。

ここで一転して、卑弥呼の鬼道とは、なにかを考えます。
鬼神の道に通じる義、鬼神と付き合って災難がないように、鬼を祀って来たとみます。したがって、後に、鬼は、宇佐の小倉山の北階段を99段作りました。卑弥呼の墓も7代孝霊天皇の娘・モモソ姫同様、昼は民衆が作り、夜に鬼が作ると考えます。

また、朝鮮半島の鼻荊郎は、一晩で橋を鬼にかけさせる人物でした。同様、一言主は、夜遊びが好きで、鯛釣りに行く。これも鬼神に橋を作らせるのでしょう。役行者が、葛城山と二上山に石橋を架けろと、一言主をいじめる。日本霊異記で判ります。

大国主は、国譲り後、冥界の神事をやる。大国主の子、一言主の後裔は、おそらく卑弥呼を守っています。また、三輪の大物主も皇孫の守り神です。

卑弥呼は、60年に5回ある亥の年に生まれたのではない。亥の付く日に生まれた。60日に5回巡る日でした。
また、卑弥呼は、狗奴国とあわないと倭人伝に書かれている。
この狗奴を単に犬とすれば、ここでも、矛盾してきます。

さあ、弱りました。皆さんの解釈は、いかがですか。

犬猿の仲はあっても、犬猪の仲も猟犬をつれた猪狩りがありました。
犬、猪、鬼の関係、これいかに?
ジャンケンポンの三すくみ。堂々めぐりにはなりません。

犬は鬼に勝つ。猪は鬼に勝つ。鬼は猪に勝つ
犬勝鬼を絶対条件とします。
1犬勝猪とすれば、猪勝犬は不成立。
2猪勝鬼とすれば、どうでしょう。犬は不要です。
卑弥呼は鬼神を祀り、大神氏が鬼を祓うのもおかしい。

一体どうなっているのでしょう。
やはり、卑弥呼は、拘奴国とあわないのでした。
倭人が、ワザと呉音でいうべきところを、漢音で言った。
あるいは、魏の文官が取り違えた。・・・前者でしょう。
1狗の漢音ク、呉音コゥ
2拘の漢音コゥ、呉音ク (あべこべにした)
理由は、次の通り。国名が一挙に、とり代わるからです。
後漢書では、拘邪韓国、国内は旧美東町の拘奴国。
魏志では、狗邪韓国、国内は旧美東町の倭種国(狗奴国)

顧みますと、野馬(ヤバ)は、陽の「かげろう」。陽炎とも書く。陽畜の犬よりも、数倍嗅覚がすぐれた猪です。
後漢時は、ヤバタイ・邪馬臺國・・・景行紀の耶摩苔(やばたい)
魏志では、ヤバイ・邪馬壹國。・・・通史も邪馬壹國

梁書では、祁馬臺(キバコ、またはキバタイ)として国を付けず。猪の牙を指し、陽の切っ先を指します。
この件から推定すると、日本は、シャーマン(巫)国家でしょう。巫は「かんなぎ」ともいう。医術もやりました。
卑弥呼の兄大彦命は、占い力が、ナンバーワンと、埼玉稲荷山鉄剣に書かれていました。
なお、筑前・五郎山古墳の壁画では、犬を大人(うし)が連れていました。
また、博多港は、難の津(難の県)で、厄払いの義です。ヘンな人が国外から入らないように、名づけられているのでしょう。
また、山口県下関、岡山県の児島も大阪市難波も同じでしょう。これは、垣根(守り)です。天皇の居る奈良大倭を垣根が幾重にも取り巻いています。

やはり、日本には、犬は居ます。東北は宮城県石巻市矢本町、犬舎人、あるいは大舎人と書いた土器も出ています。また、日高見神社は、石巻市桃生という所に在ります。犬3000頭を飼う連中も居ました。

鬼とはかくれたものと言われますが、七海は、そんな解釈はしません。鬼と言う軍団と解釈します。必ず、皇帝や天皇、国民の行いを見守っています。鬼神に見放されたら、天皇もおしまいです。
道教の三尸虫(さんしちゅう)は、怖い神です。人間の体内には、三尸虫がいて、行いが悪ければ、直ちに天帝に云いつけて、天罰を下すとある。

鬼とは、功罪半ばするのでしょう。また、この世とあの世の境に居るのでしょう。

肉体(魄)は朽ちても魂は不滅
漫才、青霊(あおび)が、ポー、ボヤがポー・・・
火の魂、犬火、狐火というのがあります。死後、人体の燐が燃える。さわっても熱くはないのです。

狛犬
島根県出雲大社は、祭神は大国主。これを宮司(天穂日の後裔)が祀っています。神社に、けったいな狛犬(こまいぬ)を置くのは、けしからん。我こそは、出雲神道である。吉田神道のような幕府の「ごますり神道」とは、わけが違う。幕府も出雲国造には、手が出せないのでした。


犬戎国6

2011年01月30日 00時04分51秒 | 

漢代の焼き物
佐藤雅彦「中国の土偶」平凡社

犬戎国6

追儺(鬼やらい)は、次回に回します。

前回で、魏の明帝が、古代の祭祀が出来た。つまり、始皇帝が焚書して以降、古代の祭りが解らなくなっていた。これが、復活できたのは、大月氏が、もたらしたと、書きました。しかし、この祭祀は、犬ではなく、鶏を使っていました。

人日という祭日
旧暦の正月7日を人日という。名もない造物主が、人日を作った。
たしか、現在も、中国の正月は、鶏から始まります。(・・月火水、五行は、七海が挿入。中央は土、東西は木・金、南北は火・水ですから、全く違います)

元旦、鶏・・月
2日、犬・・火・・五行
3日、羊・・水・・五行
4日、豚・・木・・五行
5日、牛・・金・・五行
6日、馬・・土・・五行
7日、人日・・日
また、天地が切り開かれたとき、白い鳥が三羽いて、さまざまな鳥の繁殖と成長を取り仕切ったという説話を載せています。以上袁珂「中国の神話伝説」

鶏の卵。・・・日本書紀の開びゃく神話
昔、天と地がまだ分れず、陰陽の別もまだ定まらなかったとき、
鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に、
・・・形は、葦の芽のようなものが、神となった。国の常立尊という。
(七海注記)
国常立尊を天頂軸という。皆さんが立った頭の上の垂直線を指します。
のちには、国民一人一人を意味していました。同時に、みなさんの足元から北極星[天御中主]へ線が引かれています。
地球の回転軸は、天頂と23.4度傾いた北極星を中心として、回転しており、天頂は、盤古の背丈に相当し、背丈のみでは、国常立尊と同じです。

「あてずっぽ」でいうと、六曜は、6男6女だから高辛氏の暦、上記は、七曜を知った連中が、もたらしたのでしょう。
少昊氏は、鳥の王国を作って辱収を残し、西へ帰ったというから、金官(官名)の辱収がもたらしたと思いますが、不詳です。

洪水で、二人の兄妹の子供が助かった話は、別の展開がありました。

「たわし」に含んだ水で生きかえった雷神は、大地を震わすような雷鳴をたて、あわただしく歯を抜いて、二人に渡した。二人は大地に歯を埋めた。不思議なことに新芽が出て、たった1日で花が咲き、大きな実(葫蘆)がなった。二人は、葫蘆(コリョ)の歯をのこぎりで切り、中に入って洪水から助かった。
葫蘆に入っていたので、兄を伏義哥、妹を伏義妹と名づけた。
注記)葫蘆は瓜や瓢箪。哥(か)は歌の意味。

兄弟は、伏義と女渦でした。伏義(ふっぎ)は、匏キ(ホウキ)とも書く。匏は、勹(つつみ構え)の部で、瓜や瓢箪です。キは、左が虍の下に豆。右に瓜を合成した漢字です。
そして、子供が大きくなり、巨木を兄と妹が、廻った。・・・日本書紀のいざなぎ、いざなみと同じです。また、天上では、龍坐の牡・雌の星座でした。

また、共工は、水神でした。
変わった奇譚を作る連中が居るもだと思います。
奇魂命(くしたま)は、須佐之男、饒速日尊、二二ギの三つに、ついていました。奇人でしょう。日本では、奇は妙とおなじです。落語で使う「けったいな奴」です。

葫蘆(ひょうたん)からコマ。犬の尻尾の米のもみ殻。
葫蘆(コリョ、クロ)の葫は、にんにく、ふくべ、ゆうがお。蘆は、葦、芦です。もまた、葫蘆は、酒器です。

中国には、甘粛省に瓜州市があります。
木瓜(もっこう)は、バラ科の植物で、もこうバラともいう。紀州出身の紀子さんの花は、つる状のバラです。

古くは、漢帝室の銅製の飾りが、もこうバラをモチーフにして造られ、この葉片4枚が、九洲の糸島市、旧前原市の遺跡から出土しています。後5年の物、事でした。
前原には、葉木国尊ほか7つの名をもつ人物がいます。葉木を箱とすれば、瓜も箱舟でしょう。古くは、炭火を運ぶ「かんてき」も瓜を使いました。
箱崎八幡宮、もと筑穂町大分宮、大分県の大分は、もと大碩と書く。
もと碩人:石人で、どえらい連中でした。碩学の人でした。

ふりかえると、
ばらばらの話しがあちこちに書かれ、
あたかも、フランケンシュタインの様ですが、
ストリーは、必ずくっつきます。

玉手箱、開けてビックリです。みなさんの玉手箱は、なんですか。


犬戎国5

2011年01月29日 00時19分56秒 | 


北斉時代の土偶
写真:佐藤雅彦「中国の土偶」平凡社
犬か人間か、紛らわしい。それとも、戯画か。

犬戎国5

犬を贄(にえ)にした話は、多岐にわたる。
ひとつは、宗廟(鬼神を含む)、竃神、雨乞の祭。
ひとつは、追儺の行事で、鬼やらいともいう。
後者は、次回に回す。

1宗廟祭
宗廟は、始祖。宗廟祭祀には、特別品種改良した犬肉が捧げられる。
古代中国では、祭礼を重視。吉、凶、賓、軍、嘉の五つの礼(れい)の中で祭礼が最重要視されていた。礼は、人民と国家を治める根本である。(礼記祭統偏)

祭と薦
犠牲を使うのを祭りといい、犠牲を使わない祭祀を薦(セン)という。
およそ、宗廟の礼は、犬を祭り、これを羮厭(コゥエン)という。
(七海注記)羮(コゥ、キョウ):吸い物。

周礼では、犬羮(ケンコゥ):羮厭と呼称された。これを神饌(しんせん)という。神への供え物です。
神饌は、鼎(かなえ)で、犬肉、菜の吸い物を作り、先祖に供える。
祭りに当たっては、必ず、祖先の尸(神像)を立てる。
祭りを終えると、全員で、お下がりを共食する。これをシュン礼という。
日本で言う、磐座(いわくら)で、祭りを終えると、直会(なおらい)をするのと、同じでしょう。注記:シュンは、食+の漢字で、そろそろと往く様子。また、(シュン)は、高辛氏の名前でもある。
(鄭玄注)
先祖の祭礼には、鬼神も祭られ、祭礼に立ちあえない周りの人は、祭りを行う当事者のあとで順に神饌を味わってゆく。鬼神は、神饌を一人占めせず、その恩恵を全員に施す。これを、飲福という。
七海注記 鬼神は、この場合、福の神とみられる。中国では歴代の皇帝は、みな、鬼神を祀って来たが、ここで、祀られるとは知りませんでした。
皇帝は、7祀(始祖から7代)を祀らなければならない。諸候は5祀などの規定があった。

2竃神祭祀
かまど、へっつい、おくど。
人類にとって、火は、地・水・火・風・空を五大の中でも在るように、生活にとって欠かせないものでした。
かまどは、薪などをくべて火を起こす装置ですが、火神ではありません。
また、製鉄や銅を取る時も、土製のかまどを必要としました。
岐阜県の南部神社は、鍋釜等の実用。大和高田市の菅田神社は、剣など、祀り用のものではないか。

後漢書陰識伝
臘日(旧暦の12月23または24日)、陰子力という人家に、竃神が突然現れた。彼は飼い犬の黄色い犬を生贄にして竃の神を祭ったら、どんどん財産が増えて行った。世間もこれに見習い臘日に竃神を祀るようになった。
斉の国では、犬を地羊という。楚辞の校注も、狗は黄羊という。

これらは、羊ではなく、犬のことであった。・・・まいった、まいった。犬とは、ついぞ知りませんでした。

3雨乞
犬を犠牲にして、雨を乞う風習は、古来盛んに為されてきた。
明治の日本でも、犬を犠牲にして、雨を乞う風習が残っていた。
日本の宮中神楽の蘇尸茂利(そしもり)も雨乞い神事であった。

聞一多。1040年代に書いた研究論文。古典の事例から、龍は犬に似ているという。
仙人の説話から、龍が犬に化けて仙界から降りてくる途中、あるいは飛び上がる瞬間に、嵐と共に豪雨を起こす話が多い。民間でも飼い犬を、黒龍、烏龍という。桂小蘭「中国古代の犬文化」

七海は、下記の件が思いあたる。
むかしから、人々は、星は火であり、星が落ちると、犬の相をしていると、信じられてきた。司馬遷。
公孫淵が滅ぶ前、犬が屋根の上に登っていた。隕石は、流れ星で不吉。公孫淵が滅ぶ前、大きな帚(ほうき)星が落ちた。その隕石の落ちた所で公孫淵は、司馬仲達に切られた。魏志列伝・公孫度。

犬は、吉凶を先に感じる霊犬とみられていたのであろう。
どう考えても、三国遺事記載の鬼を使う鼻荊郎が動いているとしか、考えられない。鬼とは、人間の集団でしょう。鬼頭、鬼塚、鬼藤、鬼方、九鬼などです。これらが、必ず皇帝の周りに居て皇帝の行いを見ているのでしょう。
司馬遷の自信を持つ史記天官書は、ほとんど占星術ですが、史実と合致していることをまとめたものとみています。