
匈奴・三才図絵・・・諸橋広漢和辞典
「倭漢三才図会」編集者は大坂の医師寺島良安。1712年発刊。
匈奴は、二人とも、弓をさげ、左の人物に矢が見える。左は、豹の皮を着る。右はフェルト生地?を着る。左の人物は、弁髪らしい。右の人物は、ピアスをしている。・・・絵は想像図?
犬戎国9
匈奴(漢キョウド、呉フンヌ、梵フ―ナ)
ゴビ砂漠のモンゴル高原を中心に、前4世紀末から蒙古を中心として勢力を振るった遊牧騎馬民族。これが南北に分裂、北匈奴は、100年頃、キルギス地方へ移住、遂に消息不明となる。
問題は、北匈奴の後が、悦般(エフタル)になるのかどうかです。
1史記匈奴列伝
匈奴の先祖は、夏后氏の苗裔なり。淳維(ジュンイ)という。唐虞以上は、山戎、獫狁(ケンイン)、葷粥(クンイク)あり。北蛮に居り、畜牧にしたがって、転移する。
(七海注)夏后氏は、洪水を止めた夏王朝の初代禹(う)。
姓は娰(じ)、名を淳維という。唐虞は、尭帝、舜帝の時代をさす。
山戎は、燕国[北京]の北方に住んだ連中。(山住が燕を襲うので、前663年、山東省・斉の桓公が出陣して燕を助けた)
2晋書四夷伝
夏は鬻といい、殷は鬼方といい、周は獫狁といい、漢は匈奴と言った。
3史記索隠
楽彦括地譜にいう夏の桀王は無道なため、前1600年頃、殷の湯王により鳴條へ放逐され、三年して死んだ。その子の獯粥(葷粥)は、桀王の妾を妻とし、北野(ほくや)へ避居して遊牧生活を始めた。
匈奴の先祖は、夏王朝(前2070頃)の苗裔というから、古い民族です。
犬戎の盤孤・犬信仰は、帝コク高辛氏の時から信奉されました。
殷の時代は、犬を犠牲にして祀りを行い、災難よけを願い、殷が畏れている鬼方を討った。
七海の感心事
淳維という名前・・・開化天皇の長男・大彦の子を武淳河別(建沼名川別)という。(たけぬなかわわけ)は、阿倍氏の本家となる。魏志に云う交易の監督官一大率です。壱岐に派遣され、伊都(深江)に常駐した。
1沼名と淳維
210年頃、四道将軍・大彦尊は、崇神12年、北陸道へゆく。沼名川を通り、新潟県上越市頚城(くびき)を通過、福島県相津(会津)まで行った。これで建沼名川別の名前がついたのではないか。
また、大国主の別名の八千矛は、富山県の翡翠産地・姫川の沼名川姫を貰っていた。沼名川は、夏王朝の淳維と関係するのでしょう。
魏志倭人伝で、日本の天皇は、夏王朝6代目の庶流と記す。
2沼名川姫神社[姫川]の翡翠は、随分と昔から日本で流通し、加工され、島根県や長野県八が岳で、工房がありました。縄文時代に流通していたのでしょう。
翡翠は、日本やミャンマーで取れるが、中国では取れない。
魏志倭人伝に於いて、266年、西晋へ壹與が遣使するとき、貢献品に白珠5(枚)、千孔青大句珠2枚と記載されていました。白珠は白翡翠。
翡翠は硬玉といわれ、翡翠の薄い円盤を回転させて、翡翠その他の固い石を加工するのでしょう。当時の最新技術を持って行った。
なお、奈良県田原本町の唐古鍵遺跡に、翡翠の勾玉が出土しています。
3沼名の意味を考えます。
トルコ語のヌマナは、ペルシャ人の居住地という。
富山県の姫川は、沼名(ヌマナ)の漢字が当てはまります。ヌマ―ナの音写とみています。
北京大学の林梅村、「北魏出土・エフタル貨幣」の考察
ナ(-na)は、東イラン語の民族名、または地名に付ける接尾語です。
北魏には、エフタル貨幣が出土し、alxanoと表記。大夏(バクトリア)の言語です。
正確にはalxanno alaxhanaという族名であって、意味は王河で、河が含まれています。
アルは、土地とか王国で、上記は、アル汗国となる。
七海の解釈
北匈奴は、後漢時の93年に、消滅した。
この追記記事は、魏書列伝、北史列伝に於いて、北匈奴は、康居[サマルカンドあたり]の土地へ行ったと記載され、これが悦般[エフタル]となったとさています。
しかし、400年代にエフタルが出てくる。
七海は、北匈奴が、白フンまたはフ―ナとは考えられないのです。
エフタルは、北魏に毎年、使者を出して貢献しています。富山県滑川は、滑[エフタル国の滑王]の名残を留めた河川と考えられます。
ここで、再度、犬戎国を考えます。
犬戎国に、呉将軍が出て来ましたが、呉将軍を三国志列伝の燕王公孫氏と記載した外国人の文献がありました。全くのでたらめでした。
公孫氏が、燕王と自称したのは、237と238年で、司馬仲達に切られています。
呉将軍の意味が判明しました。
呉は、古代、虞(グ)に同じで、虞字の下部は、呉です。
帝舜有虞氏の将軍の事でした。ゆえ、帝舜は、三苗を追放したのでした。
狼は、インドのリグ・ヴェーダにも出て来ます。国を裂く意味など、裂く、裂ける奴の意味でした。
山口県萩市見島・ジーコンボ遺跡
ジーコンボとは、何でしょうか。・・・アラビア語のように読めば解ります。
盤孤児・・・盤孤の児。犬封国でした。右から左へ読んだ結果です。
なかなか、直ぐ気がつけばよいのですが、そうはいかないのです。
七海は、電源をいれても、直ぐつかない蛍光灯のようなものです。
犬戎
やはり、河伯がいます。翕族(きゅうぞく)・・・河童でしょう。
洪水を起こす共工、即ち窮奇は、風神、雷神の元祖と考えられます。
また、300里四方の壱岐にも来ていました。
壱岐は祭祀遺跡が二か所あり。これを総称して、天一騰(あがり)の宮といい、白龍、黒龍の祀ったとみています。
奇しくも、きょうは、建国記念日。妙なことです。