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どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

長髄彦の兄・安日

2011年10月03日 07時03分37秒 | 
長髄彦の兄・安日

秋田家系図
孝元天皇・・・人皇第8代
開化天皇・・・孝元天皇第二の皇子
 大毘古命・・・安倍将軍、是安倍姓之祖也
―建沼河別命
「七海注、系図の線は次の1へは、つなげていない」
1兄・安日
1弟・長髄彦
2安国・・・安日後孫
3安東(やすはる)
4至東(むねはる)・・・号奥洲日下将軍
5長国
6高丸・・・一説家麿、宝亀之頃為羽洲鎮狄将軍
6継人・・・同御宇
7安尭
8国東(くにはる)
9頻良
10頼良・・・後改頼時、安東太郎、時称云安倍将軍:奥羽二州押領使
以下は、七海が省略。番号は、七海挿入。
出典:喜田貞吉著作集9蝦夷の研究

喜田貞吉
よく家系図は、仮托されることがあるが、
上述のように、秋田家系図が孝元天皇に関係があっても、神武紀の長脛彦の兄が、秋田家の祖と主張して、変えない件について、尊敬すべきものがあるとする。蝦夷研究に資して展開された。
他の学者の書籍では、偽系図とする意見もある。

秋田家は、わざわざ、大毘古命の所へもってきた事由は、以下の件にあると想います。

七海は、すでに、安倍文殊院で論述した通り、大毘古命が捨児を伊賀で拾って育てた。この子孫が文殊院の安倍倉橋麻呂、その後裔の安倍晴明であった。
この件に、安日は、関わるのではないか。
すなわち、捨児の親の先祖が、長脛彦の兄・安日と考えられるのです。

古事記、書紀ともに、大彦命は、阿倍姓ほか七族之祖です。
大彦命の長男・武淳河別は、阿倍であって、安倍ではありません。
直接に家系を示すと同時に、紛らわしいが、わざわざ大彦命の所へ持ってきた。

系図の大毘古命の安倍将軍とは、なんでしょうか。
10の頼良のところに出てくる安倍将軍のことで、奥:陸奥、羽:羽洲です。

また、6の高丸は、家麿ともいう。羽洲の狄を併合したので、鎮狄将軍としています。宝亀年間は770~781年。

4の至東は、奥洲(陸奥)の日下将軍と号す。これは、くさか将軍と読む。
A日下の日は、地平線の下にある状態で、「かぎろひ」:火焔です。
B日の本(ひのもと)は、地平線のセンターにある状態で、全く違います。
日下(くさか)の状態で、太陽が浮き上がって見える場合を、饒速日尊(にぎはやひ)という。これをにぎにぎしい日という。物部臣の遠祖です。

したがって、系図は、神武紀から6の高丸の770年では、省略があります。
山口県の大内氏、豊田氏の各系図も、こんな調子ですから、信じない人が多いとみます。しかし、喜田貞吉は、否定するよりも、むしろ尊重しています。

そこで、大漢国(白神山地突端の代表地点)とは、蝦夷を指していますが、具体的には何をさすのか。

蝦夷の代表例
遠蝦夷・・・陸奥(十三湊の安日)、羽洲を併合。
麁蝦夷・・・陸中岩手県。胆沢(いざわ):現在の水沢市が中心。
熟蝦夷・・・陸前宮城県。山の佐伯、野の佐伯。イヌ舎人、大舎人。
文身国・・・磐城、石代の福島県。上記の三つを含む?

梁書(訂正、南史)の大漢国の意味
1、夏は、大の意味だから、夏漢国。
2、大は、長の意味だから、兄の漢国。
いずれも、日本では、漢国は、アヤとかカラともいう。
アヤは文身国、カラは、文字通り、漢人の国とみます。

喜田貞吉は、この梁書(訂正、南史)の文身国、大漢国を把握していない。
しかし、蝦夷(えみし)を加伊(カイ)民族として扱い、夷俘と俘囚の違いを持て余しながらも、蝦夷が王化へ馴染んでゆく様子を丁寧に言及されています。

大彦命の系図
阿倍臣・武淳河別
膳臣・彦稲輿別
阿閉臣・伊賀国上野市
狭狭城山君・近江国蒲生郡安土町
筑紫国造・成務紀、大彦5世孫田道命
越国造・高志国頚城郡(上越市)・屋主田心命
伊賀臣・姓氏録の道公の条に、大彦の孫。
すべて七族の始祖なり。
このうち、唯一、君姓の狭狭城山君がいます。これが棄て児でした。七海のブログ2010・9・24を見て下さい。

再録、近江の佐々貴山君

167年頃生まれた狭狭城山君は、安倍倉橋麻呂の先祖です。
安倍倉橋麻呂は、645年、左大臣でした。167年から数えて約500年前の先祖が、狭狭城山君でした。後裔の倉橋麻呂は、文殊院の建立者です。

では、167年頃生まれた狭狭城山君の本拠は何処でしょう。

沙沙貴神社 (滋賀県蒲生郡安土町常楽寺)
1神代に少彦名神を祀ったことに始まる。・・・紀元前
2古代に沙沙貴山君が大彦命を祭る。・・・・・200年頃
3景行が大規模な社殿を造営させた。・・・・・320年代
景行天皇は、志賀高穴穂宮遷都。

上記2の記事から、孝元天皇の長男大彦命を祀るとあるので、棄て子の狭狭城山君:沙沙貴山君は、必然的に恩人大彦命を祀ったと考えられます。
(九代開化天皇の大臣大彦命は、天皇と相談、封地を安土に与えたとみます)

なんだか、雄略天皇の462年の少子部蜾蠃(ちいさこべスガル)と590年代の崇峻天皇の子・蜂子皇子と関係しているように、思えてなりません。
A蜾蠃は、ジカ蜂の義ですが、ス音の転で、ツ音となり、津軽を暗示。
B蜂子皇子が、出羽の羽黒山の湯殿神社を創建しています。

狭狭城山君は、645年の安倍倉橋麻呂(名代)の先祖でしょう。
当時の人・倉橋麻呂は、崇峻天皇(588~592)の倉橋宮に因む名代を引き継いだのであろう。崇峻は雄略(訂正、蘇我馬子)に殺された天皇だからです。
崇峻の子・蜂子皇子は、出羽の羽黒山へゆき湯殿神社を創建した。仏教でいう出家のような者となり奈良を出て居ないからです。

そして、遣唐使で、大の部の漢字・夨(ショク)が出て来ます。弓の名人で、熟蝦夷という。

やはり、遠い蝦夷は、十三湊(とさみなと)ですが、東夷(とおい)蝦夷でしょう。
日本は、開ビャク以来、東夷の一員でした。
神武紀で、奈良に居た蝦夷は、その後、陸奥へ行ったのでしょう。
これが、長脛彦つまり蛇つまり龍族の兄・安日でしょう。

日高見神社の桃生(鬼の寓言)
方位を90度左回転すれば、茨城県から陸奥国八戸市まで、太陽が一番初めに子午線(真南)を通過する邦だ。これは縦と横を入れ替えているから、寓言です。夨人の「く」の字に曲がった頭が証拠です。
日、高見国の原義を示唆していました。東北六県は、太陽が、一番先に来る邦と言う意味です。なぜならば、日下将軍とは、「日は地平線の下ですよ、次に、日の本で、地平線の中心になりますよ」と言っている。
八戸市是川遺跡に、弓が出土。

万葉集の天照大神

2011年09月25日 09時19分13秒 | 
万葉集の天照大神

1巻0003
天皇遊狩の内野の時、中皇命の使い、間人蓮老の献歌

やすみしし、わがおおきみの、あしたには、とりなでたまい、
ゆうべには、いよりだたしし、みとらしの、
あずさのゆみの、なかはずの、おとすなり、

あさがりに、いまただすらし、
ゆうがりに、いまただすらし、みとらしの、
あずさのゆみの、なかはずの、おとすなり。

八隈知之、我大王乃、朝庭、取撫賜、
夕庭、伊縁立之(X)、御執乃
梓弓之、奈加弭乃、音為奈利・・・普段の姿。

朝狩尓、今立須良思
暮狩尓、今他田渚良之、御執乃
梓弓之、奈加弭乃、音為奈里・・・軍神の狩。

七海の解釈
1ステップ、
はじめに、語句を解釈します。
八隈:国の八方の隅(すみ)。
伊は、強めの接頭語、縁(より)、最後の「し」は過去形。一字抜け?

弭は、弓のユハズ:はじくところ。(神武紀の金鵄鳥参照)
渚を「ス」音としている。(神代紀、伊勢のさざ波を参照)
音は、弦の音だが、言外に国を落とすと掛けている。

2ステップ
御執乃・・・執行するに、御がつく。なんのことかは、お分かりでしょう。
御:制御する。御する。
ここに、ミトラ(金鵄鳥)が、もろに隠れています。
漢字で、金鶏と書けば、太陽のことですが、あくまで、中国の話です。これは、まぎらわしきこと、日本では、日の神は(太陽)で、天照大神(金星)ではありません。

3ステップ
前の三行は、普段の天照大神。後ろ三行は、狩に変身の軍神と判って来ます。

金星の天照大神は、
普段は、和魂(にぎたま)で、ヴィーナスです。
変身すれば、荒魂となり、日の神の光を受けて、猛烈な閃光となる。

したがって、荒魂:軍神となり、神武の弓ハズに金鵄鳥が止まります。
長脛彦の軍団は、眩しさで、戦に負けたのです。
司馬遷は、天に柱を建てていても、金星の動きを見ておかないと、国を取られる。(又は、執られる)という。

間人・・・はしひと、又は、たいざ(兵庫県地名⇒訂正、京都府丹後)
老・・・・老師
たいざ:太座、俀座で、太は、太白とみなす。

天照大神は、⇒天照大御神⇒天照皇太神の変遷表記あり。
これで、アマテラスは、太陽神ではなく、金星と判明しました。

中西進「神話力」に、この歌の解釈がありますが、解説は判りにくく、意味が通りません。

追記9・26
御執乃(みとらしの)をミトラとしましたが、この解釈を強引と思われた方もあるでしょう。
この解釈は、ミトラ知(し)の、として、知る(動詞)、知らせ(命令形)にすれば、よくわかるはずです。後ろの御執乃が軍神への変化です。
同様な件で、
魏志に末盧國が登場しますが、この解釈は、中国古代を読んでいないと、直ちに解することは、できません。盧氏の末裔と言う意味でした。
七海の解釈は、マトを外れていないと思いますが、いかがですか。

日本に盧氏は、居ます。この後裔は、すでに日本書紀に出ていますが、古事記や書記を精読しておかないと、直ちに解読できません。
みなさん、よくお読みください。



犬戎国16

2011年04月13日 07時28分44秒 | 

チベットの大型犬:石灰製
アケメノス朝、ファールス洲、ヘルセポリス出土
「ペルシャ文明展」―煌めく7000年の至宝―2006、2007開催より

犬戎国16

東胡と犬戎(厳允:げんいん)
東胡は、陜西省から夏回族自治区にいた遊牧民族で、白犬(または白狼)を崇拝。それをトーテムとしていたことから、古代羌族の部族(西羌族)だとされる。がしかし、犬戎や古代匈奴のトーテムはやはり犬です。
後には、高車、鮮卑、突厥、契丹など、はじめは狼を崇拝しています。
ややこしい話です。

羌族(きょうぞく)とは、チベット系民族のことだが、この定義も困難で、その文字からも「羊」を追って西アジアからきた遊牧民族である。中国西部に広範囲に分布しており、漢水の上流にいた羌族を南羌族、青海周辺に居た羌族を西羌族と区分する。
南羌族は、周王朝建国の功労者「太公望」の故国であり、後に漢民族の大姓となって同化する。彼らのトーテムは当然「羊」である。
犬トーテムは西羌族だけで、彼らは時に胡人とも呼ばれた。(以上ウィキによる⇒訂正、堀貞雄の古代史深訪館)
白い犬を龍と言うから、龍神信仰です。
もまた洪水を起こす神と崇めたのでしょう。鍛冶屋が居ると思います。

マルチイフ犬
チベットには、マスティフ犬がいる。上図は、ペルシャへ運ばれ番犬となる。
ローマへ運ばれ、コロシアムで、ライオン1頭とマルチィフ犬数頭を戦わせた。結果は、犬の勝でした。
日本の狛犬は、どうみても師子(ライオン)に似ている。しかし、狛犬と言うから、面白・摩訶不思議な連中です。

木偶(でく)の坊
宮沢賢治の時代は役立たずの義でした。
新羅の異志夫は、鬱陵島を、ライオンに似た「ぬいぐるみ」を船に積み込んで、「言う事を効かずば、この獣が食い殺すぞ」と言い、戦わずして降伏させた。
前1000年少し前、周の太公望・呂尚の知恵。
周の軍隊は、文王の位牌(神像)つまり「そっくり人形」を馬車に載せて戦場へ行く。以前から殷の軍隊は、文王の偉大さを知り、尊敬していた。
殷の軍隊は、死んだはずの文王が生きているぞーと口々に言う。
戦う前に意気消沈。二三人が周に投降すると、大挙して周軍に投降し、殷をやっつける勢力に早変わりした。

むかしは、デクの坊が大いに役立った。

近時、居酒屋でTVを見た。
水牛らしき白角、黒い巨体の牛、雄・雌と子牛が、少々集団から外れていた。
雌ライオンが、五頭ほど画面の右に現れた。猫とそっくりの攻撃のしぐさをして、いっせいに襲いかかった。牛三頭は逃げたが、子牛が水辺で捕獲された。
すると大ワニが、出てきて子牛の尻にかみついた。
ワニは水中に引き込もうとするが、ライオンも「負けじ」と、陸へ引く。
ついに、ワニはあきらめて子牛を放した。

次に、画面左から数十頭の牛が仲間を連れてもどってきた。
ライオンと数メートルに近づく。ライオンの若い雌が一頭、恐ろしくなって画面左へ逃げた。すかさず、牛の集団の一部が追い掛ける。
ついで、右画面方向へ、もう一頭が逃げる。

最後には、オス牛のボスらしき一頭がライオン一頭とにらみ合う。
牛の突進で、ライオンは、角に引っ掛けられ、弾かれて右へ逃げた。
残りの二頭は、子牛を加えていたが、巨大な牛の大群の前に、すごすごと逃げ去った。
すぐに、子牛は、立ちあがり、集団に寄り添っていった。拍手
・・・珍しいシーンでした。なんで、どうして、百獣の王なのかと。

狼も集団で狩りをする。これを騎馬民はよく知っている。

長々と綴って来ましたが、犬戎国は、難しすぎました。

しかし、何事も、チャレンジしないと結果は解らない事でした。
成果は、山口県萩市見島や福建省泉市が出て来ました。
以前から、扶桑國は、小笠原であると書いていますが、ここで初めて、小笠原の人身狗頭の国の解説ができそうです。

脈絡なしに、古代史は書けません。

現代は情報過多、変に知識が邪魔しています。どうせトライしても無理だろう。・・・余計な知識をもちなさんな。

また、見つかったら書きますが、ひとまず終えたいと思います。
誤字、少々のミステイクがありますが、大筋は狂っていないと思います。
しばらくのお付き合い、ありがとうございました。

次回から、塞種とサカ族を考えます。

犬戎国15-2

2011年04月09日 11時48分20秒 | 
犬戎国15-2

ガンダーラ美術・ガルダの図
加藤九祚「ウズべキスタン考古学新発見」東方書店2002


前回のカルダの図は、解りづらいので、ガルダの図を付け加えましたので、前回ブログ・ウズベキスタンのザール・テパの壁画をご覧ください。
これも解りづらい。まず、女神の足が下方に出ています。
上部は、女神のヌードと考えて下さい。七海は、他に図版を持っていて、それを何処かに仕舞いこんでなくなった。この図でも解りづらい。
卑近にいえば、アニメのヤッタ-マンの中でのドロンジョが、負け戦の帰途、ボヤッキ―と帰ってゆく姿を思い浮かべて下さい。ぼろぼろになった服。これに、お乳が、片方ではみ出した姿に似ています。

ガンダーラ美術のガルダ(2点)
グロテスクな像ですが、この方がよくわかります。
左は、怪鳥にさらわれた女神の感じの図です。
右は、蛇を加えた怪鳥のように見え、全体としては、怪鳥を女神が、あたかも担いでいるように見えます。

犬戎国15犬と拝火教

2011年04月03日 01時08分35秒 | 


図は、ザール・テパの壁画。左右の怪鳥の羽根と魚がいます。
中央は女神で、化け物にさらわれたと言った人がいました。
加藤九祚「ウズべキスタン考古学新発見」東方書店2002



犬戎国15、犬と拝火教

アイ・ハヌム2006、加藤九祚の一人雑誌から
A・ミルババエフ「タジク人の歴史」巻2

きょうは、犬戎国とは、違いますが、人間界にとっての「犬の役割」を紹介します。
ゾロアスター教に、犬信仰があるとは、びっくりです。

ゾロアスター教の葬礼
ゾロアスター教徒は、人が死ぬと、まず、第一に犬を連れてきて死者に対面させる。この義礼をサグドット(sagdud)という。犬は、また、死者をダフマン(冥界?)へ運ぶ際に、葬儀行列の先導をする。
犬は、人間の生前の生活において、忠実な道連れであり、死後に於いても、犬は、来世にまで、人の霊・ウルワンの供をすべきものである。

教徒の信仰
犬は、最後の審問のときに、霊が話しを上手くして、返答に詰まることのないよう、霊を助けるべきものとされた。
また、犬は、死んだ主人の霊が容易にチンワト橋を渡り、アフラマツダの至福と主人の霊が共にあるようにと、助けるものと考えられた。

チンワト橋では、二匹の犬が橋の番をしている。主人の霊・ウルワンは、橋を渡る前に、天の裁判官の問いに応えなければならない。

発掘例はペンジケント第2神殿の壁画。これは麹氏高昌古城のマニ教神殿の壁画も同じです。
また、壁画に魚の絵あり、魚は古代も現代も神聖・純粋な存在とみなされ、人々は壁画の前で礼拝した。以下略。

サザン朝ペルシャの国教、ザラトゥシュトゥラ(拝火教)に、犬信仰があるとは、知りませんでした。アフラマツダのマツダは、光の象徴としての火を拝むので、拝火教という。ゾロアスターは英語です。

どうやら、狼信仰と犬信仰は、一旦、全く違うものと考えます。
犬は、冥界の神事に登場して、生後と死後をも貫いています。
狼は、人が生まれた時点で[強くなれ]の願望に登場します。
また、狼は、人間界を引き裂く者として登場し、強いていうと悪者です。
しかし、赤ん坊に狼が乳を飲ませて、餓死させない伝説もあった。

現代人の解釈では、矛盾しますが、矛(ほこ)と盾(たて)は、古来、中国の哲学でしたので、古代人は、この矛盾と格闘していたと考えます。
・・・・中国の中原国家は、天皇大帝をめざしつつも、届かずに終わった。
・・・・それとも多くの戦争と人々の犠牲・葛藤の中から、現代の民主国家が生まれたのか。

こうして、矛盾という「正と反」から、何事が止揚(独語:アゥフへ―ベン)されたのでしょうか。
矛盾を克服。これは、当時の文明高進であったと解釈します。
中原:中国の帝室の文明が克服してきた暦、文字、礼を指します。
対峙するのは、中原の周りの非文明の野蛮人です。

日本での中原は、大王、つまり天皇:中央政府の神道という文明です。
対するは、王化に染まらない非王化の蝦夷文明と表現されていました。

大王は、覇者ではなく、道教でいう「知と徳」をもつ「真人」が期待されたのでしょう。天武天皇を、真人という。これが、キングではなく、エンペラーなのか。解りづらいことです。

それにしても、現代における犬とは、何者でしょうか。
マスコミは、世界の警察官としての犬をアメリカの例えにしています。

七海は、国防総省ペンタゴン(五角形の建物)の方を考えます。

1)五角形の建物の由来は、天体の五芒星(ごぼうせい)で、金星でした。
芒(ノギ)は、稲の穂先の針状のもの。金星は、1200年に1回だけ、この五角形を閉じます。これはゲーテのファウストにも出て来ます。
2)金星は、時として軍神になります。司馬遷は、天地に柱を建てていても、金星の動きを見ておかないと、国を取られることがあると言う。
3)隋書・俀(たい)国伝は、推古天皇が、日未だ開けないうちから、政を聞くという。金星の動きを見て、政治を考えていました。(注記)俀は女のなよなよした状をさす。

アメリカという若い国は、古典をよく知った国でした。
これで、中国、日本、アメリカの信じる金星は、共通しました。
金星を知らないのは、日本の神話学者や歴史学者でした。
・・・お寒い限りで、星は黒です。

意外な事を書きましたが、
日の神は、天照大神とは別に生まれ、スサノオは、どちらにも誓約しています。スサノオは、もと天神ですが、名義は土神(地神)です。地神とは、地球そのものです。地球が陽の「かげろう」すなわち(ちがや)を潜るのです。この場合、陽は、火と同じです。茅(ちがや)の輪が陽の「かげろう」です。地球は火焔にそまりました。これは、もまた仏像の後背の火焔です。
一方、天照大神が変身する時、軍神になるのです。
軍神は、大日靈女貴(おおひるめむち)です。これは神武紀の金鵄鳥(きんしちょう)で、金の鵄(とび)が出て来ました。夜間に見える金星ではなく、昼間の朝方、太陽に照らされた猛烈な眩しい光を指します。目を開けておられない光です。

靈の下に女を付けた一字。日靈はhilungの音で、-ngの発音:鼻音は、聞き取りにくい音で、平(ひら)の音です。日靈女貴「ひらめむち」でもよろしい。「め」は、女を意味していたのです。

「ひら」は、平らげる義で、夷も平らげる義でした。

究極、犬戎国は、人身狗頭の人間と女国の美女でした。この美女は、明らかにヴィーナス(金星)信仰です。人身狗頭という人間は、ニックネームと思えば、理解可能です。人身狗頭の犬人間は、女国の金星を信仰していたと思います。

補足
天照大神を太陽神とすれば、五惑星の金星に該当する神は、何処にも居ら無くなってしまい、欠陥神話になるのです。
これは、国学者や神話学者、歴史学者の間違った解釈です。

なお、日本での電球を始めて作ったマツダ・ランプは、東芝の商標です。
当時は、たしか東京芝浦電気製作所と言ったと思います。

ガルダは、インドで、金鳷鳥(きんしちょう)と書く。仏教でいう迦楼羅です。鳷は、「はしたか」です。
カルラは、アルメニアのオセット族の信仰で、金鵄鳥です。
漢字は違いますが、同じ現象です。
どちらも金星と太陽がセットで、為せる強烈な光現象でした。
中国から西の文献では、金星が化け物にさらわれると記されていましたが、強烈な光を例えて言えば、マグネシウムを燃やした写真を取る時の光、あの状態が、もっとスケールを大きくして、大空に暫く続くと考えて下さい。
東大寺の迦楼羅面は、カラスに似た顔、アスターナでは、カラスの嘴に似ていますが、鶏のトサカが付いていた。これらは同じでしょう。
原典はアルメニアにあった金鵄鳥でした。