院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

法曹のコンピュータ化の遅れ

2017-10-19 00:12:48 | コンピュータ

(弁護士ペリーメイスン。asahi-net より引用。)

 弁護士というと、アメリカでは欲深い者の味方のような悪役的存在らしい。ペリーメイスンは例外的のようだ。

 それはともかく、弁護士を初めとする法曹の免許は、むかしほどプラチナではなくなった。ひとつには法曹がコンピュータ化を怠ったからだろう。身体という自然現象さえ、医家はコンピュータ化に励んできた。

 一方法曹においては、法律は人間が造ったもので、さらに判例は有限だから、医学よりもよほどコンピュータに乗りやすいはずだ。それなのに自分の技量を過信しすぎていたのではないか?

 いまからでも遅くはない。判例を分類して記憶させておけば、一瞬で参照できるようになる。また、事件の構成要件を数値化しておけば、判決も容易に予想できるようになるはずだ。

 いちはやく医家がコンピュータを使用し、法曹が立ち遅れたのは、医家が理系出身、法曹が文系出身ということがあるのかもしれない。

 ※今日の俳句(秋)
    冷蔵庫の中に秋の蚊をりにけり

裁判所はじつは行政機関である

2017-10-18 00:00:17 | 社会

(下級裁判所の風景。ウィキペディアより引用。)

 国会や内閣と違って、裁判所は事実を究明する機関だと思っていた。

 でも、それは少し違うようだ。韓国の朴元大統領の裁判では司法は世論に配慮せずをえなかった。

 わが国はどうか?裁判所は「悲哀体験→うつ病」という素人的な図式を採用しているように見える。でも、それは科学的ではないと知っている裁判官もいるだろう。だが、それを言うことはできないようだ。

 新人裁判官は「世論とかけ離れた判決は出さないように」という教育を受けるらしい。これでは韓国の裁判所を嗤うことはできない。

 ※今日の俳句(秋)
    富士の湖芒原あり対岸に

うつ病の発見(2)

2017-10-17 13:09:22 | 医療

(躁状態のイラスト。nurse-diaries より引用。)

 自殺がもっとも多い精神疾患は、うつ病である。私は何度も苦い思いをしてきた。自殺した患者さんたちには、これといった悲哀体験や過酷労働がなかったのだ。だから私も「まさか」と思うことが多かった。(悲哀体験がまったく無関係とは言い切れないけれども、うつ病の真の原因は現在でも不明というほかはないのだ。)

 不謹慎なようだが、わかりやすいので、自殺した「電通」の若い美人社員を例に出させていただく。彼女はじつは、過酷労働の前にすでにうつ病だったという仮説が成り立つ。「電通」の過酷労働体質が最大の原因だと決めつけるなら、もっとうつ病が大量発生しなくてはおかしいのである。

 ありうるストーリーはこうだ。まず美人社員は原因不明のうつ病にかかっていた。だから休養が必要である。なのに「電通」は彼女に労働をしいた。彼女はSNSに「もうダメ」と書き込んだ。(これがのちに遺書とみなされた。)

 ここでは一般に流布されている因果関係が逆転している。すなわち「過酷労働→うつ病」ではなく「原因不明のうつ病→労働の強要→もうダメ」という逆の順序である。うつ病に自殺が多いことは上に述べた。なぜそうなるかは解明されていない。

 ところが「うつ病の発見(1)」で述べたように、正常反応としての「悲哀体験→うつ状態」という図式がこの件にも適用されてしまい、マスコミや一般人はもちろん労働基準監督署や裁判所までが、これが真相だと思い込んでいる。

 学問的に冷徹に考えるなら人情は排除し、正確に因果関係を考察しなくてはならないと肝に命じさせられた一件だった。

 ※今日の俳句(秋)
    隣り家の熟れ柿けふはもがるるか

うつ病の発見(1)

2017-10-17 05:19:18 | 医療

(悲しいむ老人(ゴッホ)。ウィキペディアより引用。)

 まずもって躁うつ病が発見された。昨日まで躁状態で大騒ぎしていた人が今日はしょんぼりしている。これは誰の目にも不思議に映った。

 のちに躁状態にいたらない、うつ状態のみの病態が注目された。私の若いころは、双極性のうつ状態と単極性のうつ状態の異動が論議された。(今では別の疾患ということになっている。特効薬が別だから。)

 身内が亡くなるような強烈な悲哀体験にさらされると、誰でも「うつ状態」になる。これは「正常反応」だから薬が効かない。たとえば子供を亡くした親が、薬を飲んで急ににこにこするようになったら、かえっておかしいだろう。

 だから病としての「うつ病」と悲哀体験の正常反応としての「うつ状態」は、まったく別物なのだ。なのに最近では両者は混同されている。つまり「過酷体験→うつ病」という図式が一般に流布している。これは「正常反応」を敷衍しただけで、誤りである。

 ところが一般人はおろか、労働基準監督署や裁判所さえそう考えるようになった。だがこれは、とんでもない間違いなのだ。(長くなりそうなので続きはまた次回。)

 ※今日の俳句(秋)
    天井の節目に和する秋の蝿

MCとはなにか?

2017-10-17 00:04:04 | 芸能

(情報ライブミヤネ屋。Dimora より引用。)


 CMではない。MCである。この略称は突然使われ始めた。どうも司会者のことらしいのだが、原語はなんなのか未だに知らない。また、どうして省略する必要があるのか?

 CMという略称がむかし出てきたときに、これもなんの略称なのかわからなかった。CFならわかる。コマーシャルフィルムの頭文字だ。だが、CMは頭文字ではないから、わからなかったのだ。

 勝手に略称を使うのはやめてほしい。まったくテレビ局の驕りというほかはない。

 ※今日の俳句(秋)
    秋雨のつづいてをりし夜半かな




現代俳句がわからない

2017-10-16 00:00:07 | 俳句

(アマゾンより引用。)

 現代俳句が理解できない。季語はないし575でなかったりする。たとえば・・

    千手観音雨はやんだようで蔵書の幾多

 これの意味がわかるだろうか?自分だけわかって悦に入っているのではないか?

 大学の恩師のB教授は現代俳句でこの辺では有名である。地方紙に俳句時評なども書いている。むろん、この人の俳句もわからない。

 そのB教授が私の属している伝統俳句の結社誌に招かれて俳句を寄せるようになった。今度は伝統俳句(ホトトギス俳句)である。伝統俳句なら私にもわかる。

 ところがB教授の伝統俳句はつまらないのだ。端的に下手である。現代俳句は伝統俳句の才能がない人が苦し紛れに逃れたジャンルなのではないかと思えてくる。

 ※私の俳句(秋)
    熱の身に梨の水気の甘美なる

「働き方改革」とは何か?

2017-10-15 00:03:46 | 経済

(働き方改革のポスター。TeamSpirit より引用。)

 「働き方改革」という言葉から「楽して生産性を上げる」というイメージが浮かぶのではないか。言い方を変えれば「楽して得をする」という意味だ。

 だが、それでは受験生が浮かばれない。「楽して受かる」ということはあり得ないからである。私の受験時代には夜9時まで勉強してくたくたに疲れても、ここでやめては競争相手と差がつかないと、さらに1時間勉強した。苦にならぬよう好きな数学を最後まで残すなどの工夫をほどこした。(「私の浪人時代(1)」2011-06-18

 たぶんヤリ手の経営者たちは「楽して生産性を上げる」なんてことを信じないだろう。現実はまったく逆である。生産性は苦労しないと上がらないのだ。甘言を弄しても、あとで働き手も気づくだろうから、そのときはどうするのだろうか?

 ふたたび目新しい甘言をひねりだすのだろうか?

 ※私の俳句(秋)
    柿置きし枕辺に立つ祖父母たち 

コメントください

2017-10-14 05:32:49 | その他
Hda さま
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しかくさんかくさま
MOTOYAMAさま
シナモンさま

その他の多くの読者さま、コメントください。
コメントがないと士気が削がれます。

私のブログには毒があり、
「お花がきれいに咲きました」といったことは書けないので、
コメントしにくいかもしれませんが、
よろしくお願いいたします。
(根は常識的な人間だと思っています。)

報道されない事実は、ないのと同じ

2017-10-14 00:04:28 | マスコミ

(バルト三国周辺。ウィキペディアより引用。)

 情報化社会というが情報が多いのではない、繰り返しが多いのだとは例によって山本夏彦翁の言葉である。

 夏彦翁はこうも言っている。マスコミに報じられない事実は、ないのと同じである。

 スペインのカタルーニャの独立運動やクルド人の国民投票など、われわれと直接関係がない事実さえ報道されている。なのに、なぜかどこのマスコミも報道していない重要な事実がある。

 それはバルト三国がロシア軍の蹂躙を受けそうだということだ。バルト三国は歴史上、他国からさまざまな侵略を受けてきた。ソ連の崩壊によって、これらの国々はようやく本式の独立を果たし、わが身を守るためNATOやEUにも加盟した。

 その周囲でいまロシア軍がうろちょろしているらしい。市井の私人たる私さえ知っているのに、大マスコミはなぜ一言も発しないのだろうか?

 ロシアは上の地図の焦げ茶色の部分に飛び地をもっている。この飛び地は海に面しており軍事的にも重要な土地である。しかしながら、ロシアが飛び地に行こうとするとポーランドかラトビア、リトアニアを通らなくてはならない。

 ポーランドは侵攻するわけにはいかないから、ロシアは再びむかしのようにバルト三国を併合したいのだ。もし軍事衝突が起これば、さすがに報道されるだろう。だが、その前から報道するのがマスコミの存在価値だと思うのだが、どうか?

 ※私の俳句(秋)
    このあたり庭々に柿美食町

フランス革命という嫉妬の極み

2017-10-13 00:05:57 | 歴史

(ルイ16世の処刑。ウィキペディアより引用。)

 フランスの三色旗は自由、平等、博愛を表しているというが、きれいごとである。フランス革命は嫉妬の見本市である。

 革命時、多くの人間がギロチンの露と消えた。それを歓呼して見物していたのは民衆である。首が飛ぶたびに歓声が上がったという。まったく古代ローマ帝国、コロッセオの剣闘士と猛獣の戦いを見るのと同じ目だ。ギロチンはすでに見世物と化していた。

 だから革命時には反動に次ぐ反動があり、恐怖政治が行われたのもやむを得なかった。民衆はすでに処刑に慣れっこになっていたから、処刑には処刑で対抗するほかなかっただろう。

 民衆は公開処刑という最高の見世物を心行くまで楽しんだ。その民衆が自由、平等、博愛なぞと言っても、なんの説得力もない。まことに人間とは度し難い動物である。いやらしいくせに、恰好だけはつけたがるのだ。

 ※私の俳句(秋)
    天井の節目に和する秋の蝿 

小選挙区制は比例代表制と同じ

2017-10-12 11:12:15 | その他
(石破茂氏。ウィキペディアより引用。)

 小選挙区制は政党を選ぶ選挙だと言われる。候補者が一つの政党や会派から一人しか出ないから、けっきょくそういうことになるのだろう。

 小選挙区制は金がかからなくてすむというメリットがあるけれども、人物本位で選べないという欠点がある。(有権者に人物がわかるかどうかは別問題。)

 与党内には、与党同士で戦わないから士気が上がらないという論もあるらしい。他方、派閥ができにくいとも言われる。(派閥はどんな世界にも付き物で、派閥はないのがよいことだとは言い切れない。新人教育ができないという声も聞く。)

 このまま小選挙区制が続くのだろうか?だとすると、小選挙区制は比例代表制と似ているから、国政はすべて比例代表制と化す可能性がある。政党助成金や無所属候補の不利という問題もある。

 そのむかし小選挙区制を強力に推し進めた若手議員の最右翼は石破茂氏だった。みなさまお忘れだろうから申し添えておく。

 ※私の俳句(秋)
    柿食うてけふの命を味わひし

原発をなくすと日本は三等国になる

2017-10-12 00:32:32 | 工業

(高浜原発。ウィキペディアより引用。)

 原発に反対する政党や会派が多い。だが原発はたんにエネルギーコストの問題だけで造られたわけではないのだ。

 1964年、わが国が前の東京オリンピックで浮かれていたとき、中国は初めての核実験に成功した。佐藤栄作内閣の時で、佐藤は「これは大変だ!」と思った。とうじの内閣調査局は原子炉とロケットの開発を佐藤に進言し、佐藤はそれに乗った。

 佐藤は非核3原則を掲げていたのだが、原子炉とロケットは平和利用の名目だからよいと考えた。だが一方で、原爆とICBMの開発が念頭にあった。(原子炉は核爆発をゆっくりと行う技術である。)

 こうして現在わが国は、「隠れ核保有国」として世界に睨みを利かせている。これがなければ、それこそアメリカの核の傘に全面的に頼らなくてはならず、日本の立場はずっと弱くなっていただろう。

 以上のような次第で「トイレがないから原発廃止」とはいかないのだ。これらの事情は「日米同盟と原発」(中日新聞社会部、2013-11-23)に詳しい。新聞社発行とは思えない名著である。

 ※私の俳句(秋)
    百日紅しおれブーゲンビリア立つ

投票棄権のすすめ

2017-10-11 16:57:01 | 社会

(AKB48 の総選挙ムック。アマゾンより引用。)

 私は選挙に行かないのだが今回は行こうと思う。私が選挙に行くと思い通りになるというジンクスがあるからで、ジンクスだから根拠なぞない。

 民主主義は嫉妬よりなると喝破したのは山本夏彦翁である。まったくそのとおりで、恰好だけでも嫉妬の片りんを見せたくなくて、私は選挙に行かないのだった。

 メディアも学校の先生も選挙に行け棄権するなという。だが、投票率が100パーセントになると、かえって民意が反映されないという数学論文を読んだことがある。

 投票人はAか nonAしか選べない。だが本当は多くの投票人はAが80%くらいよいが、nonAも20%くらい気に入っているといった感じで、白黒がはっきりしているわけではない。

 投票率が上がると、こうした中間領域のデータが無視されることになるのだそうだが、詳細は忘れた。

 ※私の俳句(秋)
    湖乱す櫂は吾の舟冬隣り

上達したければ、いい道具を

2017-10-11 00:09:31 | 音楽

(アルトサックス。ウィキペディアより引用。)

 私は慶応か早稲田の工学部を目指していた。ところが運よく公立の医学部に受かったので両方とも受験しなかった。私学の入学金は3万円ほどだった。それに対して公立の入学金は1万円ていど。2万円余った。

 親に頼んで2万円をもらい、その金でセルマー(会社名)のサキソフォンを買った。セルマーとクランポンは木管楽器の一流メーカーでプロはどちらかを使っていた。

 バネが軽く面白いようによい音が出た。とうじナベサダが使用していたのはアメリカセルマーだった。セルマーにはフランスセルマーもあり、アメリカセルマーが上だったが、高すぎるのでフランスセルマーで我慢した。

 いまフランスセルマーは4,50万円くらい。アメリカセルマーはもっと高い。でも当時は2万円あればフランスセルマーが買えたのだ。ラーメンが50円の時代だった。

 この楽器はいまでも宝物として持っている。私がモダンジャズに目覚めたときの記念碑的な楽器である。

 ※私の俳句(秋)
    机上なる途切れし稿や秋扇

栄養学を信じない

2017-10-10 00:00:29 | 学術

(健康な食事ピラミッド。ウィキペディアより引用。)

 私はむかしから栄養学を信じない。「トマト美肌術」とか「大麦ダイエット」とかいいトレンドが変わる。トレンドは「学」になじまない。

 栄養学が有用だったのは、明治の初め富国強兵策で(寒村出身の)体格が悪い兵隊の体力育成においてだった。現代の飽食時代には栄養学は時代遅れである。(データによれば当時の寒村では必要量の60%くらいしか栄養を摂れなかったらしい。だから青年でさえ体格は貧弱だったという。)

 人間は水分が不足すればノドが渇くように、なにかの栄養素が不足するとそれを欲するように神様が造ったのではないか?だから食べたくないものを無理に食べる必要はないのではないか?

 ※私の俳句(秋)
    満月や薄雲かすか彼方まで