院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

精神障害者の美術展

2017-10-21 06:37:54 | 文化

(障害者美術展のポスター。東村山福祉学園のHPより引用。)

 「精神障害者の美術展」というのがある。仲間内で「精神障害者の」と枕詞つけるのはなぜかという議論があった。なぜたんに「美術展」ではいけないのかというわけだ。「精神障害者の」と付けると、なにか特別のことにように感じられる。精神障害者差別のようにも感じられる。

 じつは、そんなことではないのだ。「精神者障害の」と付けないと客が来ないからだ。別に精神障害者を差別しているからではない。プリンツホルンが精神障害者の「作品」を収集したのとは時代が違うのである。

 国立博物館でさえ赤字である。だから国立博物館は、ときどき「エジプト展」や「メソポタミア展」など俗受けする展覧会を開いて赤字を埋めようとしている。

 まして素人の展覧会に「精神障害者の」と冠するのは当たり前と言わなくてはならない。

 ※今日の俳句(秋)
    秋深しうなれる自動販売機


居酒屋の2代目

2017-10-21 00:10:08 | 社会

(吉田類さん。NHKプロモーションより引用。)

 吉田類の「酒場放浪記」を見ていると、居酒屋の2代目が店を継ぐことが多い。家業を継ぐ息子は、たいていそこそこの大学を卒業している。そして大都市で就職して、何年かすると古里へ帰って父親の居酒屋を継ぐのだ。

 初代で新規に居酒屋を開店するのは大変である。その点、父親がすでにレールを敷いてある居酒屋は継ぐのに困難は少ない。居酒屋を継ぐのなら、息子はなんのために大都市の大企業に就職したのだろうか?それ以前に、なんのために大学まで出たのだろうか?

 たぶん、それがカッコよかったからだろう。だが、やがてその道で大成するのは難しいと気づく。しがないサラリーマンを続けるより、父親の居酒屋を継いだほうが収入も多いしノウハウもある。こうして息子は脱サラして居酒屋の親父になろうと決めるのだろう。

 安易と言えば安易である。継ぐべき店をもっていることに羨ましささえ感じる。でも、息子にとっては一大決心だっただろう。悩んだに違いない。「息子よ頑張ってくれ」と思いながら、「酒場放浪記」を見ている私である。

 ※今日の俳句(秋)
    栗羊羹持って来たよとにこやかに