次の短歌が好きだ。
友だちでいようだなんて本当の友だちならば言わない絶対
作者はアマチュアの若い人だが、名前を失念した。
この歌は思いを言葉にすることを戒めている。
西洋の風習はよく知らないが、言葉にしないと通じないと聞いたことがある。だが、それは語弊があるかもしれないが、野蛮である。
日本の場合は、言葉にしなくても通じる、あるいは、言葉にしたらかえって意味を失う、あるいは、言葉にするまでもないといったことがある。以心伝心、言わぬが花という美学である。
これは土居健郎の言う「甘え」に通じることなのかもしれないけれども、わが国では言葉にしてしまうと、かえってウソになるということは少なくないのである。
友だちでいようだなんて本当の友だちならば言わない絶対
作者はアマチュアの若い人だが、名前を失念した。
この歌は思いを言葉にすることを戒めている。
西洋の風習はよく知らないが、言葉にしないと通じないと聞いたことがある。だが、それは語弊があるかもしれないが、野蛮である。
日本の場合は、言葉にしなくても通じる、あるいは、言葉にしたらかえって意味を失う、あるいは、言葉にするまでもないといったことがある。以心伝心、言わぬが花という美学である。
これは土居健郎の言う「甘え」に通じることなのかもしれないけれども、わが国では言葉にしてしまうと、かえってウソになるということは少なくないのである。
以前(かなり前です)中日新聞でコラム?『恋する歌音』(短歌かも?)だったかを書いていた佐藤真由美さんの歌に
友達でいようだなんて
話し合う友達同士は
いない 絶対
(『プライベート』)
というのがあります。
ちょっとの違いで友人同士から男女の関係に変化してしまうものですね。
ちょうど部屋の掃除で発掘された単行本を読んだばかりだったので書き込んでみました。
それにしても似たような歌があるものですね。驚きました。
私が掲載歌を見たのは、一年ほど前の「週刊朝日」の俵真智さんのコラムででした。
昔のトアエモアの「あ~る日突然、二人黙るの~」なんていう歌詞は、毎日「愛してる」と言い続けなければ恋愛関係が維持できない西洋人には理解できないでしょうね。
これからもコメントお願いします。
何でもかんでも言葉にして、思ったことは全部言わないと気がすまないって人がいるんですが、どうも一緒にいると疲れてしまって、困ります。言葉を尽くすことが、誠意を尽くすことだと思っているようで、それも分かるには分かるのですが。言葉の重みも目減りする気がして。
「言わなきゃ伝わらない」というのも、まあ一つの合理主義ではあるんでしょうが、良し悪しですね。
私が愛好している俳句は全部言ってはいけないのです。
「言ひおほせて何かある」とは芭蕉の言葉です。
言っていないことを想起させるというこの技、日本的ですねぇ。
今や日本語で生産される俳句より外国語の俳句のほうが多いのですが、「言わない」ということを外国人は理解できているのか疑問に思っています。
先日『逝きし世の面影』という本を読みまして、江戸時代の日本を外国人がどう見ていたのか書かれた本で、これが大変面白かったのですが、その中で「日本人女性は夫からあまり愛されていない」という観察が多かったと書かれていたことを思い出しました。
本当にそうなんだろうか? と。言葉にしない、言外の愛情みたいなものが、十分に見えていなかっただけなのじゃないだろうか? と。今からでは、確かめようもないことですが。
江戸時代の外国人もそうだったのかもしれませんね。