院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

図書館の今後

2013-10-13 06:07:56 | 読書
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茨城大学ホームページより。)

 高校生のころ市民向けの図書館には開館前から行列ができていた。司法試験浪人である。べつに特別な資料が図書館にあるわけではない。彼らの目的は座席と机の確保だった。要するに行列は、住環境が貧困であることの証しだった。

 市民向けの図書館にはロクな本がなかった。古本屋の1冊100円の箱に入っているような、内容が薄い本が圧倒的だった。図書館とは意外に役に立たないものだと思って大学に入ったら驚いた。

 医学部だから医学の本と雑誌ばかりである。明治時代の雑誌もある。ほとんどが海外の雑誌だ。大学の図書館には、とにかく研究や勉強をしたければ、いくらでもやってくださいという雰囲気があった。司書は頼めば、どんな本や雑誌がどこにあるかの探索も含めて、学問に役立つことならトコトンまでやってくれた。

 さすがに、ひとつの図書館にはない雑誌があった。そういうときは他の図書館からコピーを取り寄せてくれるのだ。その相手の図書館は天理図書館であることが多かった。天理図書館にはどんな本でもあって、永遠に検索されないような雑誌まで置いてあった。国会図書館には外国文献は少ないだろうから、蔵書数では天理図書館が日本一ではあるまいか?

 だが、このところ図書館や司書の利用価値が激減した。理由はむろんインターネットの普及である。インターネットを使用すれば、天理図書館にさえない文献がたちどころに手に入る。(天理図書館にある文献でも、郵便で頼んでいた時代には往復4日かかった。)

 現在、有名雑誌は必ず電子版をもっているし、あと数年でほとんどの出版が電子出版に置き換わるはずだ。書店には冬の時代が来るが、図書館もその存在価値が問われるようになるだろう。

 司書からは本を分類生理して物理的に運ぶという仕事がなくなる。その代り司書はあらゆる分野にどんな本があるか、書店員が及びもつかないほどに精通していなければならなくなる。ユーザーが一言いえば、すぐに関連の本に案内できるようなソムリエのような技が求められるようになるはずだ。

 そうでない司書は失職する。これが前に言った「テクノロジー失業」である。