生まれる前は何もなかった。「無」であった。他人も宇宙もない、まったくの「無」であった。
生まれてから他人や宇宙が認識できた。だから生まれる前から他人や宇宙があったように感じるのだが、それは錯覚である。生まれる前はあくまでも「無」であり、他人も宇宙もない。
これを独我論というのだろうか?「私」がなければ宇宙もない。そもそも、宇宙があるとかないとか論じる「私」が無いのだから、これはもう、どうしようもなく「無」である。
同様のことが死後にも言える。死によって生まれる前に戻る。だから死ねば「無」になる。宇宙もなくなる。
いま生きていて、他人や宇宙を認識している。これは、とてつもない奇跡ではないか?
宝くじで一億円当てる人が、何百万人に一人いる。奇跡的である。
でも、この世に生を受けて、宇宙を認識している方が、よほど奇跡的である。いま生きていることが奇跡でなくて、他に奇跡なぞあろうか?
奇跡的で有限な命、倫理的に生きたいと思う。
生まれてから他人や宇宙が認識できた。だから生まれる前から他人や宇宙があったように感じるのだが、それは錯覚である。生まれる前はあくまでも「無」であり、他人も宇宙もない。
これを独我論というのだろうか?「私」がなければ宇宙もない。そもそも、宇宙があるとかないとか論じる「私」が無いのだから、これはもう、どうしようもなく「無」である。
同様のことが死後にも言える。死によって生まれる前に戻る。だから死ねば「無」になる。宇宙もなくなる。
いま生きていて、他人や宇宙を認識している。これは、とてつもない奇跡ではないか?
宝くじで一億円当てる人が、何百万人に一人いる。奇跡的である。
でも、この世に生を受けて、宇宙を認識している方が、よほど奇跡的である。いま生きていることが奇跡でなくて、他に奇跡なぞあろうか?
奇跡的で有限な命、倫理的に生きたいと思う。