壺井八幡宮を出て、5分ほど歩くとお寺を発見した。
通法寺跡とある。
通法寺は石丸山と号し、壺井八幡宮の南方にあり、かっては八幡宮の神宮寺であった。
「通法寺興廃記」によれば、1043年(長久4年)河内国司であった源頼義が狩の途中、仁海谷で入手した千手観音を本尊とし、居館の南側に観音堂を建立したのを始まりとする。
前9年の役(1051から62年)の時、東北地方で活躍した頼義は浄土宗に帰依し、阿弥陀仏を本尊としてからは、河内源氏の菩提寺となり、源氏の隆栄とともに寺は栄えた。
壺井八幡宮と同様、南北朝から戦国時代にかけ、度々兵火に遭い、荒廃したが、江戸時代の1700年(元禄13年)源氏の子孫多田義直が5代将軍徳川綱吉 に上表し、柳沢吉保が普請奉行となり、復興・再建し、寺領200石が与えている。
しかしながら、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となり、建物の1部を除き、朽ち果てている。
寺跡は国指定の史跡になっている。