垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊)は名前に「イリ」がある。
皇子の大足彦忍代別尊(景行天皇)には「イリ」がない。
他の皇子、五十瓊敷入彦命や稚城瓊入彦命には「イリ」がある。
諸説あるが、大足彦忍代別尊は本来の正当な後継者ではなかったという説があります。
皇子の景行天皇は悪辣な手段で天皇位を手に入れたという説があります。
因みに父王の崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖)には「イリ」はある。
『延喜式』諸陵寮に拠れば、菅原伏見東陵に葬られた。
『古事記』に「御陵は菅原の御立野の中にあり」、『日本書紀』に「菅原伏見陵」、『続日本紀』には「櫛見山陵」として見える。
現在、同陵は奈良県奈良市尼辻西町の宝来山古墳(前方後円墳、全長227m)に比定される。
現在の宝来山古墳の濠の中、南東に田道間守の墓とされる小島がある。
この位置は、かつての濠の堤上に相当し、濠を貯水のため拡張して、島状になったと推測される。
しかし、戸田忠至等による文久の修陵図では、この墓らしきものは描かれていない。