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垂仁天皇陵2

2013-11-25 20:49:04 | 日記

垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊)は名前に「イリ」がある。
皇子の大足彦忍代別尊(景行天皇)には「イリ」がない。
他の皇子、五十瓊敷入彦命や稚城瓊入彦命には「イリ」がある。
諸説あるが、大足彦忍代別尊は本来の正当な後継者ではなかったという説があります。
皇子の景行天皇は悪辣な手段で天皇位を手に入れたという説があります。
因みに父王の崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖)には「イリ」はある。

『延喜式』諸陵寮に拠れば、菅原伏見東陵に葬られた。
『古事記』に「御陵は菅原の御立野の中にあり」、『日本書紀』に「菅原伏見陵」、『続日本紀』には「櫛見山陵」として見える。
現在、同陵は奈良県奈良市尼辻西町の宝来山古墳(前方後円墳、全長227m)に比定される。
現在の宝来山古墳の濠の中、南東に田道間守の墓とされる小島がある。
この位置は、かつての濠の堤上に相当し、濠を貯水のため拡張して、島状になったと推測される。
しかし、戸田忠至等による文久の修陵図では、この墓らしきものは描かれていない。

垂仁天皇陵

2013-11-25 20:29:11 | 日記

13時15分、やっと垂仁天皇陵に到着。
ここは前から訪れてみたかった。
ついに念願かないました。

垂仁天皇は第11代天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日 - 垂仁天皇99年7月14日)。
活目入彦五十狭茅尊・活目尊等と称され、『古事記』には「伊久米伊理毘古伊佐知命」、『常陸国風土記』には「伊久米天皇」、『令集解』所引「古記」に「生目天皇」、『上宮記』逸文に「伊久牟尼利比古大王」と見える。
『日本書紀』、『古事記』に見える事績は総じて起源譚の性格が強いとして、その史実性を疑問視する説もある。