帰りに広域農道を走ってると、打田の辺で海神社の看板を発見。
気になるので寄ってみる事にした。
当神社は豊玉彦命・国津姫命を主 祭神とし垂仁天皇の御代に忌部の宿弥 が神のお告げによって創建したものと伝 えられている。
延喜式神名帳に登載されている県 下でも古く名を知られた神社である。
往古から朝廷や多くの人々の尊崇も厚 く神田も現に鎮座する神領をはじめ、北 山の山麓一帯まで神社の領有地であった。
連綿として栄えて来たこの神社も天 正十三年豊臣秀吉が紀州遠征の折、本 殿二柱・供殿・拝殿・神楽殿・宝殿等兵火 にかかり宝物・古記録等ことごとく焼 失してしまった。
明治六年四月郷社に昭和一七年九月 に県社に昇格されたが戦後は社格も 廃止され今日に至っている。