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②アステールプラザ広島

2019年09月23日 | ライブ・公演・舞台

昨日の広島のジュリー、始まって数曲目くらいから、時々汗がポタッと滴り落ちるのがわかりました。

近くで見た、ジャケットの下の黒いブラウスは、凝ったデザインですが、通気性が無さそうで 暑いだろうなと思います(-_-;) もう、ピンク色のジャケットは着ないのかしら?一度は見てみたかったです。アセモが出来たというのは、さもありなんです。近頃の作業用のジャケットは、中でファンが回っているそうですが、ジュリーの着ぐるみはどうなんでしょ。

「暑い!」と言いながら、最後まで手を抜かないパフォーマンス。ドラネコジュリーは、着ぐるみのままで左右に足パッチンして、にこやかに帰って行きました。

昨日の広島は、台風の影響で断続的に雨が降りましたが、風もなく大雨というほどでもなかったので、無事にライブは行われました。私は1泊しましたが、その日のうちに帰られたJ友さんたちは、台風の影響は受けずにお帰りになったそうで安心しました。

広島は夜中になってから暴風が吹いていたそうですが、私は全く知らずに熟睡していました。翌朝は一転、良いお天気になっていました。

出雲のコンサートは大丈夫だろうか?と朝の天気予報を見て心配していましたが、出雲は立ち見も出る盛況だったと伺い、ホ~っと一安心です(^-^)

出雲市民会館さん、Twitter

★本日(9月23日)は沢田研二コンサート!
ツアートラックも無事到着し、準備作業が始まりました!
当日券は、本日16時ごろから発売予定です!

 

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アステールプラザ 広島

2019年09月22日 | ライブ・公演・舞台

慣れないスマホから投稿です。

台風が心配で雨靴を用意しましたが、雨が断続的に降ったくらいで、たいした事は有りませんでした。

山口県が、台風の被害が大きいようで、明日の出雲が心配です。

ジュリーさま、神戸の時よりスッキリ、お腹も凹んでいました。お髭も綺麗に整えられ、髪もサッパリ、とても素敵でした(^-^)

この頃は、歌い出しの声がガラッとしている事があり いささか心配でしたが、広島のジュリーは、最初から声がクリアに出ていて、近頃では一番良かったです‼️ 

席は4列で今までで一番良い席でした。4列に座ったら、隣の席のはずのジュリ友さんが来ない。遅いなぁ?よくみたら、前の3列にジュリ友さんが座っていました。端は、1列がなくて実質は3列でした!

今ツアー最高の席!嬉しかったです~。(^-^)vお陰様で、京都のはるかてっぺんの4階席を忘れます。

バニティファクトリーや勝手にしやがれでは、ジュリーが目の前であ~あ~の壁塗りで、感激しました。

2曲歌い終わり、はーはーと息が荒いジュリー、台風がきてる、早くいっちまえ、やんなっちゃうね。早く冬になって欲しい。71歳になりました。普通だとドクターストップが、かかります。ころんだらどうするんですか?.....言われていません。

お医者さんから、お薬飲んでますか?何の薬ですか?頭の良くなる薬です。

(ボケ防止かしらんね?💦)

探偵の、身も世もあらぬような熱唱に打たれ、SHOUTの会場全体の一体感がとても楽しかったです。

目の前に何度も来てくれて、絶対ジュリーの視界に入っている!と、嬉しかったのです~!

アンコールに、どら猫姿で登場したジュリーに、どよめきがおこりました。これは初めての観客が多かったからでしょう。ニャニャニャ~!

MCは、71でこんなぬいぐるみを着ようとは思いませんでした。7月の終りはこたえました。アセモだらけになって、天花粉を知ってる?天花粉だらけです。DDT(デーデーテェー)では有りません。

3ヶ月たったわけで、ドタキャンすることなく、元気にやっています。あと何度桜が見られるか、台風にあうか。大自然の前には人間は歯がたたない。被災者には申し訳ないけど、楽しくやっていいよね。

ハッピーバースデーの歌を歌います、にもざわめきがおこり、ビビッドな反応がジュリーも嬉しかったのでは?

今日のお誕生日は、8人ほどでした。男の人だけで練習しましょう、と言ったら座ってしまったので、やりません。ハッピピの練習では、男性の歌声が今までで一番良かったと、誉められていました。

今日のライブも、とても楽しかったです~!今日はジュリーが爪先まで良く見えて嬉しかったです😃

 

今日は、少し雨が降った程度で良かったです。関西のジュリ友さん達は無事にお帰りになったようです。

明日の出雲が、大事なく行われますように!

 

 

 

 

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明日は広島☂

2019年09月21日 | JULIE

オフィシャルに、9月22日の広島公演、23日の出雲公演の実施に関しまして。と、出ています。

今のところ、交通網は動くようなのですが、これからどうなるのか心配です。明日は3年ぶりくらいに、広島まで行きます。J友さんの運転で車で広島まで向かいます。ちょっとくらいの雨でも、気にせずに観光もするつもりですが、大雨、大風なら困るわ~(-_-;) 

去年のライブでは、大雨で行き帰りが たいそう難儀しました。武道館の初日の大雨に、静岡公演は台風で中止になり振替になりました

昔々は、ライブと台風が重なる事って、それほどなかったのに。いや、台風シーズンにそれほどライブに行っていなかっただけかしらん。

ジュリーが無事に広島に来られて、コンサートが開催されますように。そして、無事に帰ってこられますように!

とりあえず、歩けるようにゴム製の雨靴を買いました。


お彼岸になって そろそろ、朝顔の咲く数も減ってきましたが、10月までは緑のカーテンはそのままにしておきます。

 

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名古屋(文化の道)、7月11日

2019年09月20日 | 紀行(建築・桜)

※下書きのまま放置していたブログを、一気に蔵出し、その③  二か月以上もたってしまった。

7月11日。この日は愛知県の芸術劇場でジュリーのライブ前に(名古屋城には何度も行ったので)レトロ建築巡りをしました。

名古屋「文化の道」巡りの途中で、上品そうな奥様二人連れと一緒になり「わざわざ神戸から見学ですか?」と、聞かれたので「この後、沢田研二のコンサートに行きます。」

奥様「え、まだ歌っていたんですか?」に、ムッ

「どこであるの?」と聞かれ「名古屋芸術劇場です」と答えたら、奥様たち 一瞬無言に・・ 

奥様「えーと?どこで?」私「もちろん大きい会場です!」奥様「え?あの、大きなところで?」と、不信なお顔。

思わずムカ~ッ・・(-_-;)「毎年、芸術劇場でやってます!」「埼玉スーパーアリーナでやろうとしたくらいですから。去年のドタキャン騒動はご存じないの?」言いたくもないドタキャン騒動迄持ち出して、ムキになってしまいましたがな。

あのドタキャン大騒動が、いい意味で、ジュリーが大きな所で毎年やっているという、世間へのアピールになったのでは?と、今はそう とらえていたのですがね。あの大騒動も、知らない人は知らないんだと、よ~くわかりました。


7月11日は雨。

雨に煙る 名古屋市役所本庁舎、重要文化財。中央に搭屋が聳える、凄く立派で大きな市役所に、雨に打たれながらも感激。地場特産の陶器のタイルが沢山使われた市役所は重要文化財ながら、市民の為に今でも使われている場所です。多くの映画のロケに使われているそうです。

内装も大理石が沢山使われたドッシリとした造りで、働く空間ながら 静かな中に気品があり、柔らかく差し込む光りに流れる歴史を感じます。

奥の部屋は貴賓室。いつまでもこの静かな中でゆっくりと佇んでいたい、そう思う市役所でした。

 

名古屋市市政資料館、ネオバロック様式の重要文化財。元裁判所。馬車が似合いそうな赤レンガの大きな建物が優美で、ウットリ・・でも、その前の植え込みが雑草だらけで、ここは綺麗にして欲しいです

中に入れば、思わず歓声を上げたくなるような華麗な室内、まさに21世紀から異空間に迷い込んだ気分です✨ 優美な階段は舞踏会に誘われているようで、ウットリ・・。踊り出したくなるわ~ ✨✨

元は裁判所だから、踊ったら裁かれてしまいますけどね。この日は高校生らが沢山、中で撮影会をしていて、私にはとてもお邪魔でした。

並ぶ円柱に、気品あるステンドグラスも美しい・・

 

続いて「文化の道」を歩く。


トヨタ自動車創業者の一族、豊田佐助の元邸宅

 

「旧春田鉄次郎邸」

 

大正時代 日本の最初の女優、旧川上貞奴邸。

貞奴は松坂慶子さんが大河ドラマで演じましたが、この時は見てないのよね。真面目に見たらよかった。なんと、お洒落な邸宅。大正時代にできた時は、庶民の憧憬の的であったに違いない。邸宅は別の場所にあったものを移築したもので、中のステンドグラスの美しさ、立派さにも驚く。

名古屋には、昔の美しい建築がいっぱい今も有ると知り、感激の一日でした。


名古屋では、グルメも楽しみです(^-^)

ランチは地下街で、味噌カツあんかけスパのSサイズ。Sサイズでも充分な量でした。カツが薄くて硬めなのがちょっと残念ですが、安くてボリュームがあるので、サラリーマンでいっぱいでした。

ライブの後は名古屋駅の食堂街で「ひつまぶし」の量は少な目。この量で充分です。上品で美味しゅうございました。

 

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②菊の花束「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」

2019年09月20日 | タイガース・GS

※下書きのまま放置していたブログ、その②

「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」の続きです。ライブ報告などがあったので、随分後回しになってしまいました。その②

8月30日の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」ではナンバ一番で歌っていたアッコさんが、弱小プロのホリプロにスカウトされます。デビュー曲は売れず、先輩歌手たちの苛めに耐えながら、2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」がヒット。1972年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。隣りにいたジュリーの腕を掴んで、舞台まで引っ張って行ってしまったアレです。

ジュリーが写るかな?と期待しましたが、大人の事情なのかTV画面にはジュリーの姿は映らず・・ 仕方がない、タイガースもイラストだったし。

チラっと、ジュリーの腕と横顔だけが写っていたよ。

で、気になったのがここからです。「白菊の花束にすりかえ疑惑」

ネット記事になっていました。→72年、日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。番組では花束を抱え涙で熱唱するシーンを放映。ここで和田は「これ見て、菊だよ」と指摘。ナレーションでは「花束が葬儀で使われる白い菊にすり替えられた疑惑がある」と説明。

中居正広(47)が「嫌がらせ? 誰の仕業か見当つかない」と聞くと和田は「全然。関係者ですよ。だって生放送だもの」と返した。母から電話で「なんで菊の花を持ってはったん」と聞かれて初めて気づいたという。


確かにTV画面に映った花束を見た時に、もっと大きい花束でもいいんじゃないの?ショボイ花束だと思いました。※カトレアは衣装につけたコサージュです。


しかし、わざわざ花束のすり替えをするでしょうか?? 誰が? それ用に、別に用意をしていなければいけないし、だいいち誰が受賞するのか、前もってわからないではありませんか。

それとも、アッコさんが受賞すると前もってわかっていたから、用意していたわけ? それは問題なのでは? 枚数的に「あの鐘」はそれほど売れてはいません。

おそらく1967~8年頃の写真、タイガース時代のジュリーの持つ花束は、白い菊の花です。これこそ、今なら仏花

紛れの無いトップアイドルのジュリーが菊を持って、ニッコリ笑っているのを見る限り、白い小菊に仏花のイメージは当時は無かったと思われます。これを初めて見た時、昔と今の花の歴史の変遷を感じました。

それからわずか4年後、アッコさんが受賞した1972年には、菊の花に仏花のイメージはあったのだろうか??

そのまたさらに3年後の1975年のレコード大賞では森進一さんが「襟裳岬」で大賞を受賞。皆がどんな花束を受賞者に渡しているのか、目を凝らして見てみました。確かに、花束自体は大きく豪華になっています。

どう見ても菊の花束

岩下志麻さんも、手に持つのは菊の花束だよね

この年は「寺内貫太郎一家」で、おきん婆ちゃん大ブレーク。森さんに向って「良かったわね。ジュリイ」と言って笑わせて、やっぱり菊の花束やん!

3年後の1975年の花束は、いずれも大きく豪華にはなった。でもやっぱり、菊の花は この当時の花束には欠かせない存在であるようです。

1977年、ジュリーが大賞を受賞した時の花束(ゴールデングランプリ)のYOUTUBE→こちら 大きなバラの花束を渡す人もいれば、やっぱり菊の花は健在。赤い花はカーネーションかな?

菊の花は70年代は少なくとも、今のように仏事専用だったとは思えないのです。アッコさんが、花束をすり替えられたというのは・・・ 確かに寂しいボリュームのない花束でした。

昔は花屋さんで売っているお花の種類は、どれほどだったのか。 スーパーでも花を売りだした時には、時代は変わった。どこでも花を売る時代になったと感じたことは覚えています。

本当にすり替えられたとしたら・・ 受賞結果が先にわかっていたという事になってしまうではないですか。今は権威も落ちてしまった、レコード大賞の裏側を見た気分です。

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友が島

2019年09月19日 | 紀行(建築・桜)

※下書きのまま放置していたブログ、その①

9月の初めに、和歌山の無人島「友が島」に行ってきました。

SNS時代の今、まるで「天空の城ラピュタ」のようだと有名になった友が島ですが、行ったのは私がアニメファンだからでは決してなく、赤レンガの戦績に惹かれるから。

友ヶ島は、和歌山県と兵庫県の淡路島との間に位置する無人島群で、沖ノ島、地ノ島、虎島、神島という4つの小さな島の総称です。その中の沖ノ島には、明治時代から第二次世界大戦時まで、旧日本軍の要塞施設となっていた島で、今も当時建設された砲台の跡が残っています。和歌山出身のJ友さんは、結婚前のお若い時に 遊びに行かれたそうですが、もちろん海で遊ぶのが目的だったそうです。

和歌山市の加太港から、友ヶ島汽船のフェリーに乗って島へは約20分。平日ですが、船は満席でした。友が島ツアーの参加者約30人の中には、戦争を経験した年代の男性が半数ほどで、年齢は高め。私のように一人参加の女性も数人いました。

港から、足元の悪い山道を登ってゆく約4㎞の行程です。ゆるやかな山道ながら、参加者には足の悪そうな老人もいて、遅れずに着いてこれるのか?と心配になります。おまけに天気が良すぎて、ちょっと暑い💦

沖ノ島には、5つの砲台跡、弾薬庫跡など、旧日本軍の施設跡が点在しています。その中で、当時のままの姿が残っているのが「第3砲台跡」。地下に掘られた暗い道を進みます。

そこには、今 どこの国にいるのか?というような異世界の光景が広がります。昔、ここで確かに多くの軍人たちが動いていたのだという、当時の幻が見えるかのようでした。明治から何年の月日がたったのか、「第3砲台跡」の煉瓦積みは、年月を経ても 今なお美しいと思う。

弾薬支庫をさらに進むと、かつて大砲が鎮座していた砲座跡が残っています。島の外からは見えません。

「第3砲台跡」には、このほか同様の砲座跡が計4カ所、そしてそれらが地下に延びる連絡通路で繋がれています。


「第3砲台跡」が山中にあったのに、こちらの「第2砲台跡」は海に面した高台にあります。

戦後 GHQにより破壊の命令が下され、爆破されました。破壊された「第2砲台跡」は海に向いているせいでしょうか、何かをこちらに訴えかけてくるような気がします。

砲台巡りは約2時間ほどでした。お天気が良く、青い海と空、深い緑の島の光景も美しい。

戦後、70数年。砲台跡は島に無言で佇んでいる歴史の証人ですが、この先朽ち果てるに任せてゆくのでしょうか? 様々な想いを抱え、帰りのフェリー乗り場で待っていると、

事件が起こりました。

〇田さん、おられませんか~?添乗員さんが、大声で叫んでいます。男性が1人、行方不明になっているそうです。老人が多かったもんね・・そのうち戻るだろう・・。お先に船に乗ります。

ところが

港で走り回っている添乗員を残して、船が出るぞ~ ええええ~ 船が出ちゃったよ💦

フェリーは知らん顔して、時間キッチリに出港しました。ありゃー 次の船が最終だけど間に合うのかな??? 港について、バスに乗り込み、我々は待たずに先に帰路に付きました。

途中、経過報告がバスガイドさんからあるのですが。

「見つかっていません」「まだ見つかっていません」「島の人が皆で探しています」「船便は無くなりました」「添乗員さんは、島に泊まって 明日の朝から捜索します」すぐに見つかるかと思っていたのに、大丈夫かしらん?心配しながら、家に帰りました。

その後、4日ほどして観光会社から丁寧な事後報告の封書が届きました。翌日の朝から、警察が捜索してくれて 男性は無事に怪我もなく発見されたという事です。ご本人、港とは全く違う方向に歩いて行ってしまい、電気もない真っ暗な無人島で1人過ごしたそうです。正直に言って、迷うような山道では無かった。標識もあったし。高齢の方だから、方向感覚がおかしくなっているのでは💦 

添乗員さんも、あんな道で迷うはずないだろう・・と思わずに、点呼を何度もとるべきでした。前も同じことがあったけど、そう言う人に限って 一人参加で、携帯も持っていないのよね~(-_-;) 

異世界に迷い込んだような、友が島の光景を満喫した一日でしたが、まさかの行方不明者には、これから自分も気を付けようと思いました。

 

 

 

 

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『太陽を盗んだ男』公開(1979.10.6)40周年記念 長谷川和彦、はるか彗星のごとく。

2019年09月18日 | TV・ラジオ・CM・映画

 オフィシャルに、本日 インフォを発送したと有りました。

お正月の日程でしょうか。届くのが楽しみです(^-^)


 

池袋の新文芸坐で、「太陽を盗んだ男」が上映されます。10月の1日~2日は、ショーケンの映画も。

「太陽を盗んだ男」が公開されてから、もう40周年にもなるのかと思うと、大変感慨が深いです。私の人生で間違いなく、一番沢山の回数を見た映画です。姫路で、大阪で、東京でと、繰り返し上映されるたびに見に行きました。作品として優れているからこそ、現代でも何度も上映される、ファンにとっても幸せな、記念すべき後世に残る映画です。

公開当時は姫路で見ましたが、公開予定の前日の夜に、一足早く先行上映されたので、見に行きました。夜8時くらいからの遅い時間からの上映では、観客はパラパラと少ないものでした。

都会の三宮の映画館では入りは良かったと聞きましたが、地方の映画館ではどこも それほど入っていないんじゃないでしょうか。都会でしか観客は入らなかったと聞いています。

ジュリー出演で地方でも良く入った映画は、TVで大宣伝をした「魔界転生」と、寅さんブランドの「花も嵐も寅次郎」だけでしょう。

40年もの間、新作を撮っていない長谷川監督は、たった2作だけの大監督になってしまうのでしょうか?


10/1(火)~7(月)

『太陽を盗んだ男』公開(1979.10.6)40周年記念 長谷川和彦、はるか彗星のごとく。


※全作品35mmプリント上映 ※全作品東宝配給

10/1(火)2・(水)
アフリカの光(1975/100分)
11:30/15:10/18:50
青春の蹉跌(1974/84分)
9:55/13:35/17:15/20:55
終映22:20
3(木)〜4(金)
青春の殺人者(1976/116分)
12:40/17:40
太陽を盗んだ男(1979/147分)
10:00/15:00/20:00
終映22:25
5(土)
太陽を盗んだ男
11:55/16:50
青春の殺人者
9:45/14:40/19:35
終映21:30
6(日)〜7(月)
青春の殺人者
9:50/14:45
太陽を盗んだ男
12:05/17:00
 
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沢田研二論

2019年09月17日 | JULIE

大阪、樟葉であった「シラケ世代の旗手 沢田研二論」の講座に参加してきました。

沢田研二・萩原健一・井上堯之バンドの音楽を聴きながら、1970年代の文化と社会を振り返ります。1971年結成のPYGに端を発する三者の交流を中心に、1960年代後半のGSの音楽が、挫折を経て1970年代に どのように花開いたのか、私達の青春に、その後の人生にどのように影響を与えたのか。当時の音楽や映像を見ながら改めて体感しましょう

という講座です。

※しらけ世代とは、1950年代から1960年代前半に生まれた世代のことです。学生運動があった前の世代とは逆に、政治に対して無関心で三無主義(無気力・無感動・無関心)などといわれました。真面目や一生懸命なことが格好悪いという風潮がありました。

ジュリー自身が「しらけ」ているとは全く思わないが、学生運動後の「しらけ世代」、三無主義(無気力・無感動・無関心)という言葉自体が、いまや すごく懐かしい。ジュリーはこの世代に支持されていたということか。

教室で渡されたプリントには「時のすぎゆくままに」「悪魔のようなあいつ」「花・太陽・雨」などの曲名が書かれて、曲と絵像が流れて、音楽を聴きながら教授の講義です。1974年から 1979年のジュリーの絶頂期を、今は亡き井上さん、ショーケンを絡めてジュリーを語るせいか、1時間半の講座の時間中がずっと、寂しいトーンに彩られている感じがしてしまいました。

1974年の紅白でジュリーが鳩を出す、ドラマチックさが忘れられない「追憶」の映像。比叡山フリーコンサートの映像では「お前は魔法使い」を歌うジュリーの映像に、思わず今のジュリーを重ねて比べる自分がいた。まだ28歳のジュリーの魔法使いには、今の凄みを感じさせる迫力はなかったけれど、動きに羽根があるような若さがあって、思わず見とれた。

講座では、井上堯之さんの言葉や音楽、人生論。ショーケンのジュリー論、自分とジュリーを比べた発言など、すでに2人のいなくなった今、その言葉が身に沁みる・・
「太陽にほえろ」でマカロニに射殺される、犯人役のジュリー。ショーケンとジュリーのパブリックイメージ、演技の違いが、短い場面に表れていました。「寺内貫太郎一家」でジュリーと見もだえする、おきん婆ちゃんの樹木希林さんは、当時はまだ30代の若さで樹木希林の名前ですらなかった。その希林さんも、もういない。

流されたYOUTUBEなどの映像は、すでに見たことのあるもので、時に言い間違いもあるが、先生が解説すれば それはさらに特別なものに思えてくる・・気がする。

講座で流れた曲で心に一番響いたのは、昨年の古稀のツアーのラストでも流された、井上さんがジュリーを歌った「JUST A MAN」。 井上さんの晩年の、渋く老成したイメージとは違い、その声は甘くて高く若々しく、心の中に沁みとおった。

教授は出版社の人から「ジュリーは難しい人だよ」と言われたという。18歳の時から人から裏切られ、利用され、騙されてきたのだろう・・と。

ジュリーが好きだという、ジョージ・ハリスンの「Somthing 2002」のカバーが流れ、そこに曲とは関係がないのだけど、比叡山のフリーコンサートで泣いているファンの女の子の映像が重なる。あの女の子たちは、あの日の私の姿でもある。「Somthing」がこんなにいい曲だと思ったのは、私には初めての事だろう。→こちらで「Somthing」

「彼は語らない。」「皆さんはジュリーを通して、皆さんは何を見ましたか?」半世紀の間に、ジュリーの波瀾の芸能生活を通して時代の流れ、時代の移り変わりをヒシヒシと、この身に感じてきた。
ジュリーはこの先も、安住、安定、安穏の芸能人生を拒否し、歩き難い道をわざわざ探して歩くのだろうか。たやすく想像できる生き方よりも、私達の想像以上を行くのがジュリー。まだまだ、ワクワクドキドキさせてくれることでしょう。

1974年から、井上バンドと別れることになった1979年までの5年間の、何と濃密な事か。その濃密な5年間を、1時間半という講座の時間で、ジュリーの歌声や映像を見ていると、あっという間に時間は過ぎました。我々が知っている事よりも、もっと掘り下げたお話が聴きたい気もしますが、いかんせん時間が少なすぎました。

しかし、ジュリーの歌声を聴いて 各人が思い思いにそれぞれ静かに思いをはせればいい。その時間が大事なのかなと思いました。終わった後、教授に今のジュリーの事を書いてください、とお願いをしてきました。

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チケットが届きました!

2019年09月16日 | JULIE

チケットが届きました!

 

なんと

 

 

1列


 

まさに どセンター!!


 

Σ(゚∀゚ノ)ノキャー------

 

 

 

これ以上の席はありません!

 

 

 

これ以上無い!

 

 

 

 

これ以上 上の席が 

 

 

 

無い!

 

 

 

そう、4階だから~

 

 

Σ(゚∀゚ノ)ノキャーーーーー

 

 

ライブ45年目にして初めての経験!4階(笑)

 

 

転げ落ちないように 気を付けます~



 


 

 

まだ暑いですが 銀杏の葉が色づいてきました

 

 

マンモスも切なげに鳴いております

 

パオ~~~

 兵庫県立考古博物館

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オリンパスホール八王子「SHOUT!」(9月15日)

2019年09月15日 | ライブ・公演・舞台

八王子はノリノリで楽しく終わりました!と、J友さんからご報告を頂きました。有難うございま~す(^-^) オリンパスホール八王子は、座席数は最大2021席。

追記 ※やすこさんからも、八王子は完売で凄い盛りあがりでした!とコメ欄にレポを頂いています。有難うございました。

ホールの外観が ただの四角い箱で、建物好きにとっては、ちょっと残念💦 独立したホールじゃないから、それは仕方がないのかな。



八王子はノリノリで楽しく終わりました!
猫ちゃんジュリーは八王子の唄(ジュリー作詞作曲?)
を歌ってくれました。

台風で今も停電している千葉を心配していました。
その話から、自分自身が遭遇した佐野の停電のお話に
トイレも流れなくなるらしい。。と、
どれ?と試したら、それが最後で流れなくなったそうです(-_-;)
懐かしい山本リンダの「こまっちゃうな」の替え歌も
歌ってくれました。可愛かったです。

「ついてくるかい」は渋く素敵に♪に歌ってくれました。
ジュリーに過去は、沢山あるそうです。
今日は3曲?!得した気分です。

ハッピッピの練習は5月からやっているが、八王子が一番と
褒めてくれました。

会場は大盛り上がりで男性も多かったです。
本当にカッコイイ♥ ジュリーでした。


J友さん、ご報告を有難うございます。(^-^) 

山本リンダさんの「こまっちゃうな」は、アラ還以上の年代でないと
ご存知無い方も多いでしょう。すごく流行りましたよ~→「こまっちゃうな」

「パクパクコンテスト」でも フリ真似をする人が多かった
山本リンダさんですが、もちろんそれは ヘソ出しルックの
「ウララ~ウララ~」のフリ真似です。 

千葉の停電はジュリーも心配しているようです。
千葉のJ友さんは、無事に八王子のライブに
参加されたようで、ほんとに良かったです。 

災害でトイレが使えなくなる話は、私も経験済みです。
特に避難所では多くの方が使うので、いっそう大変だったそうです。💦 

トイレが流れない話には、私にはジュリーとの
思いがけない感動話しがあって
尾籠な話ながら、いつかブログで紹介しようと思います。 (^-^)

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