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名古屋(文化の道)、7月11日

2019年09月20日 | 紀行(建築・桜)

※下書きのまま放置していたブログを、一気に蔵出し、その③  二か月以上もたってしまった。

7月11日。この日は愛知県の芸術劇場でジュリーのライブ前に(名古屋城には何度も行ったので)レトロ建築巡りをしました。

名古屋「文化の道」巡りの途中で、上品そうな奥様二人連れと一緒になり「わざわざ神戸から見学ですか?」と、聞かれたので「この後、沢田研二のコンサートに行きます。」

奥様「え、まだ歌っていたんですか?」に、ムッ

「どこであるの?」と聞かれ「名古屋芸術劇場です」と答えたら、奥様たち 一瞬無言に・・ 

奥様「えーと?どこで?」私「もちろん大きい会場です!」奥様「え?あの、大きなところで?」と、不信なお顔。

思わずムカ~ッ・・(-_-;)「毎年、芸術劇場でやってます!」「埼玉スーパーアリーナでやろうとしたくらいですから。去年のドタキャン騒動はご存じないの?」言いたくもないドタキャン騒動迄持ち出して、ムキになってしまいましたがな。

あのドタキャン大騒動が、いい意味で、ジュリーが大きな所で毎年やっているという、世間へのアピールになったのでは?と、今はそう とらえていたのですがね。あの大騒動も、知らない人は知らないんだと、よ~くわかりました。


7月11日は雨。

雨に煙る 名古屋市役所本庁舎、重要文化財。中央に搭屋が聳える、凄く立派で大きな市役所に、雨に打たれながらも感激。地場特産の陶器のタイルが沢山使われた市役所は重要文化財ながら、市民の為に今でも使われている場所です。多くの映画のロケに使われているそうです。

内装も大理石が沢山使われたドッシリとした造りで、働く空間ながら 静かな中に気品があり、柔らかく差し込む光りに流れる歴史を感じます。

奥の部屋は貴賓室。いつまでもこの静かな中でゆっくりと佇んでいたい、そう思う市役所でした。

 

名古屋市市政資料館、ネオバロック様式の重要文化財。元裁判所。馬車が似合いそうな赤レンガの大きな建物が優美で、ウットリ・・でも、その前の植え込みが雑草だらけで、ここは綺麗にして欲しいです

中に入れば、思わず歓声を上げたくなるような華麗な室内、まさに21世紀から異空間に迷い込んだ気分です✨ 優美な階段は舞踏会に誘われているようで、ウットリ・・。踊り出したくなるわ~ ✨✨

元は裁判所だから、踊ったら裁かれてしまいますけどね。この日は高校生らが沢山、中で撮影会をしていて、私にはとてもお邪魔でした。

並ぶ円柱に、気品あるステンドグラスも美しい・・

 

続いて「文化の道」を歩く。


トヨタ自動車創業者の一族、豊田佐助の元邸宅

 

「旧春田鉄次郎邸」

 

大正時代 日本の最初の女優、旧川上貞奴邸。

貞奴は松坂慶子さんが大河ドラマで演じましたが、この時は見てないのよね。真面目に見たらよかった。なんと、お洒落な邸宅。大正時代にできた時は、庶民の憧憬の的であったに違いない。邸宅は別の場所にあったものを移築したもので、中のステンドグラスの美しさ、立派さにも驚く。

名古屋には、昔の美しい建築がいっぱい今も有ると知り、感激の一日でした。


名古屋では、グルメも楽しみです(^-^)

ランチは地下街で、味噌カツあんかけスパのSサイズ。Sサイズでも充分な量でした。カツが薄くて硬めなのがちょっと残念ですが、安くてボリュームがあるので、サラリーマンでいっぱいでした。

ライブの後は名古屋駅の食堂街で「ひつまぶし」の量は少な目。この量で充分です。上品で美味しゅうございました。

 

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②菊の花束「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」

2019年09月20日 | タイガース・GS

※下書きのまま放置していたブログ、その②

「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」の続きです。ライブ報告などがあったので、随分後回しになってしまいました。その②

8月30日の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」ではナンバ一番で歌っていたアッコさんが、弱小プロのホリプロにスカウトされます。デビュー曲は売れず、先輩歌手たちの苛めに耐えながら、2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」がヒット。1972年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。隣りにいたジュリーの腕を掴んで、舞台まで引っ張って行ってしまったアレです。

ジュリーが写るかな?と期待しましたが、大人の事情なのかTV画面にはジュリーの姿は映らず・・ 仕方がない、タイガースもイラストだったし。

チラっと、ジュリーの腕と横顔だけが写っていたよ。

で、気になったのがここからです。「白菊の花束にすりかえ疑惑」

ネット記事になっていました。→72年、日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。番組では花束を抱え涙で熱唱するシーンを放映。ここで和田は「これ見て、菊だよ」と指摘。ナレーションでは「花束が葬儀で使われる白い菊にすり替えられた疑惑がある」と説明。

中居正広(47)が「嫌がらせ? 誰の仕業か見当つかない」と聞くと和田は「全然。関係者ですよ。だって生放送だもの」と返した。母から電話で「なんで菊の花を持ってはったん」と聞かれて初めて気づいたという。


確かにTV画面に映った花束を見た時に、もっと大きい花束でもいいんじゃないの?ショボイ花束だと思いました。※カトレアは衣装につけたコサージュです。


しかし、わざわざ花束のすり替えをするでしょうか?? 誰が? それ用に、別に用意をしていなければいけないし、だいいち誰が受賞するのか、前もってわからないではありませんか。

それとも、アッコさんが受賞すると前もってわかっていたから、用意していたわけ? それは問題なのでは? 枚数的に「あの鐘」はそれほど売れてはいません。

おそらく1967~8年頃の写真、タイガース時代のジュリーの持つ花束は、白い菊の花です。これこそ、今なら仏花

紛れの無いトップアイドルのジュリーが菊を持って、ニッコリ笑っているのを見る限り、白い小菊に仏花のイメージは当時は無かったと思われます。これを初めて見た時、昔と今の花の歴史の変遷を感じました。

それからわずか4年後、アッコさんが受賞した1972年には、菊の花に仏花のイメージはあったのだろうか??

そのまたさらに3年後の1975年のレコード大賞では森進一さんが「襟裳岬」で大賞を受賞。皆がどんな花束を受賞者に渡しているのか、目を凝らして見てみました。確かに、花束自体は大きく豪華になっています。

どう見ても菊の花束

岩下志麻さんも、手に持つのは菊の花束だよね

この年は「寺内貫太郎一家」で、おきん婆ちゃん大ブレーク。森さんに向って「良かったわね。ジュリイ」と言って笑わせて、やっぱり菊の花束やん!

3年後の1975年の花束は、いずれも大きく豪華にはなった。でもやっぱり、菊の花は この当時の花束には欠かせない存在であるようです。

1977年、ジュリーが大賞を受賞した時の花束(ゴールデングランプリ)のYOUTUBE→こちら 大きなバラの花束を渡す人もいれば、やっぱり菊の花は健在。赤い花はカーネーションかな?

菊の花は70年代は少なくとも、今のように仏事専用だったとは思えないのです。アッコさんが、花束をすり替えられたというのは・・・ 確かに寂しいボリュームのない花束でした。

昔は花屋さんで売っているお花の種類は、どれほどだったのか。 スーパーでも花を売りだした時には、時代は変わった。どこでも花を売る時代になったと感じたことは覚えています。

本当にすり替えられたとしたら・・ 受賞結果が先にわかっていたという事になってしまうではないですか。今は権威も落ちてしまった、レコード大賞の裏側を見た気分です。

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