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①ナンバ一番「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」

2019年09月04日 | タイガース・GS

先週の金曜日の放送、興味深い映像が流れて、すぐにアップしたかったけど後回しになりました。

8月30日の金曜日「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」のゲストは和田アキ子さん。阪神巨人戦を見ていたけど、点の取れない展開にイラーっとして、途中でチャンネルを替えました。

初めの方は見ていないけど、すごく厳しい(厳しいを通り越して、変)お父さんだったとか。3日間通っただけで、父親に勝手に高校の退学届けを出されてしまい。これからどうしよう、極道にでもなるか・・、という時に音楽に出会った。

音楽の道に進んだという事は、ナンバ一番が出て来るんじゃないの?!と期待して待っていた。

タイガースのことはイラストで、特に何にも触れていなかったけどね。

出ました!こんなに鮮明なナンバ一番の画像は始めて見ました。

嬉しくなって、画像を拡大してみたら「タイガース オックスを生んだ グループサウンズのメッカ」の文字(オックスは1968年のデビュー) 

上映中の映画「富士山頂」が1970年2月公開なので、その当時の画像と特定できました。70年にはGSはすでに退潮の頃だから、ナンバ一番自体の人気も、すでに下火だったのかと思えます。グループサウンズのメッカの文字の左側に大きく「ホステス500名募集」の、人目を憚らない文字に、どんなにデカイお店なの?

 映画の宣伝のタレ幕も面白い「タイガーマスク」に「ひみつのアッコちゃん」 ちょうど8月末に、朝ドラの「なつぞら」で、これがモデルになったアニメを作成していました。東映動画が「なつぞら」の舞台のモデルということが、一目瞭然です。

ここの場所にはもうないけど、「神戸屋パン」は今でも、もちろんあります。

何と書いてあるのか、目を凝らしてみました。う~ん、ウッスラしかわかんない。💦 右のGSのプリンスジュリーは読めるけど、ご本人の写真はボカしてあって、残念やわ。

アッコさんは弱小プロのホリプロに所属。当時はナベプロが一番大きかった。

アッコさんがデビューしてから、先輩芸能人に苛められた話しなどは、今までにも何度か聴いたことがある。苛めた芸能人たちはその話になるたびに、何度も復讐されている気分になっているのでは。

詳しい番組の内容は、こっちで記事になっていました。→中居も驚いた和田アキ子“レコ大で菊の花束”事件 

ナンバ一番のあった場所は、現在はTUTAYAになっています。去年、行った時の画像

 

道頓堀の横丁にある、説明板

まだ続く。

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13 コメント

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Unknown (まりこ)
2019-09-05 00:46:41
今晩は。懐かしナンバ一番の写真です。
TSUTAYAに建て替わったのはいつでしたっけ。閉店したのはいつ?
戎橋商店街を通る度に、入口(楽屋口かわかりませんが小さな扉でした)横にタイガースと書いた落書きが沢山あるのを見ていました。
タローやサリーが訪れていましたね。
まだ子供だったので、行った事はありませんでしたが、解散してもずっと建物だけ残っていて、タイガースが身近に感じられる存在でした。
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Unknown (sao)
2019-09-05 08:25:28
>まりこさん、おはようございます。
>『TSUTAYAに建て替わったのはいつでしたっけ。閉店したのはいつ?』
ナンバ一番の廃虚は長くあの場所に残っていましたね。
私もナンバ一番の詳しい経緯を知りたいので、ネット検索しましたが、残念ですがわかりませんでした。
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ナンバ一番 (sao)
2019-09-05 08:58:27
>まりこさん、
改めて検索しまくったところ、ナンバ一番は出演者のギャラが高騰して、採算が合わなくなり、1969年9月に閉店。
2003年にツタヤが開業したそうです。
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写真の説明 (kisaragi)
2020-03-21 19:21:56
ナンバ一番に関係した者です。昭和43年有馬温泉の満月城が火災を起こし消防法が厳しくなりました。ナンバ一番の建物が古く消防法に適合しなくなり昭和44年9月に閉店して改装を一時、経営者は考えましたが、採算が取れないと判断して従業員は解雇されました。写真の「お知らせ」の看板内容は改装の間お休みすると言う内容です。「ホステス500名募集」の看板は近くに大きなジュニアと言うナイトクラブ?が開店するに当たりホステスの面接会場にナンバ一番閉店後に会場を貸した時の物です。昭和45年くらいだったと思います。
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Unknown (sao)
2020-03-21 21:35:06
>kisaragiさん、コメントどうも有難うございますm(__)m
ジャズ喫茶として多数のスターを産み出した名門で、まだまだお客さんは呼べるのに閉店は何故?と思っていました。

>『ナンバ一番の建物が古く消防法に適合しなくなり昭和44年9月に閉店して改装を一時、経営者は考えましたが、採算が取れないと判断して従業員は解雇されました。』
改装しても採算が合わないからですね、理由がよく理解できました。
建物は築何年くらいだったのでしょう、戦前からのものだったのでしょうね。令和の今は、当時の熱狂の想い出を偲ぶものが全然無いのが残念です。
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ナンバ一番のなる前は (kisaragi)
2020-03-22 08:02:39
昭和初期ビルが出来て、かまぼこ等を販売する丸萬食料品や上は食堂をでした。その後、昭和11年丸萬食料品店を改装して地上5階地下1階で約850坪のレストラン・喫茶などを備えた食堂食料品の三笠屋を開店。そして戦争を超えて終戦後アメリカ軍に接収されクラブ等に使用され、昭和30年代初め音楽喫茶ナンバ一番になったそうです。
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ナンバ一番のビル (kisaragi)
2020-03-22 13:42:21
戦前丸万ビル(ナンバ一番のビル)かつて丸万ビル中店と呼ばれ、かまぼこ店は昭和4年に近代的なビネに建て替えました。戎橋から南を望む風景はモダン道頓堀の象徴として挿絵にも登場ました。昭和11年三笠百貨店、太平マートを経てナンバ一番に変化して行きました。
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ナンバ一番のビル (sao)
2020-03-22 17:16:28
>kisaragiさん、詳しいナンバ一番の歴史を有難うございます。
まさかこんなに詳しく、ナンバ一番について、教えて頂けるとは思いも寄りませんでした。
戦前には、さぞ戎橋あたりでは目立ったハイカラなビルだったのでしょう。
米軍に接収された歴史は、まさに日本の近現代史をそのまま辿ったビルであったわけですね。
もし今も現存していたとしたら、昭和初期の大阪の繁栄、戦後の米軍接収、多くの音楽スターたちを産み出したビルへの変貌と、まさに昭和の日本文化を伝えるモニュメントになっていたことでしょう。
今の戎橋には、かつての文化、情緒を伝えるものは残り少なくなりました。「モダン道頓堀の象徴として挿絵にも登場した」その風景を、写真でいいから見てみたいです。
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ナンバ一番のブログ (kisaragi)
2020-03-22 18:22:27
ナンバ一番のブログを数年前に制作しています。
ビルの件はhttp://nanbayade.blog130.fc2.com/page-1.html
に記載しています。後ファニーズを中心とした写真等です。
トップページは
http://nanbayade.blog130.fc2.com/
です。
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ナンバ一番のブログ (sao)
2020-03-22 19:13:38
>kisaragiさん、お知らせを有難うございます。
以前、ナンバ一番を検索した時に読ませていただいていました!
kisaragiさんが貼られている画像を、TV局側が勝手に使っているのでは・・?
お父さまがナンバ一番で働かれていた、変貴重なお話を有難うございます。
ブログで改めて紹介させて頂きたいと思います。✨
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