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ヨーロッパへ殴り込み! ロンドン・パリ

2017年08月23日 | JULIE メモリーズ

J友さんから、9月にピーが京都でバースデイライブを行うという事と、井上堯之さんが9月に神戸でディナーショーをやると伺いました。ディナーショー?! ジュリーがバースデイライブをしたら 行きたいな~


ところで、お詫びしなければなりません。

先日、コメント欄に資生堂の広報誌の「花椿」にジュリーも載った事があるので、実家に帰って発掘してきます。と書いておきながら、先週 お盆で実家に帰り、花椿をさがしました。でも、たいしたことない記事しか見つけられなかったんです~ 他にもあったはずなんですが・・・

作家で評論家の橋本治が「最近、カサブランカダンディがお気にいりで聴いている。ききわけの無い女のほほを ひとつふたつ はり倒して~ というところがいい。etc・・・」程度のコラムでした。今の時代なら、DV男と通報されそうですな・・

その代わりに、大宮のMCに関連する記事を捜してきました。ジュリーがヨーロッパ、ロンドン・パリでレコーディングした時のグラビアです。掲載誌は不明

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ジャガーズ「君に会いたい」

2017年08月22日 | タイガース・GS

今日の「ひよっこ」

売れない漫画家コンビが二人で歌う、「若さゆえ~ 悩み~ 若さゆえ~ 苦しみ~♪」GS世代なら知っているザ・ジャガーズ「君に会いたい」

もっとも、あまりに久し振りに突然聞いたもんで曲名がすぐに思いだせなかったですよ。なんでタイガースを取り上げてくれないの~!と不満でしたが、話の流れから言うと「若さゆえ~」を「バカさゆえ~」と言い換えたかったのね(笑) →こちら

ボーカルの岡本信さんが、とてもハンサムでね~ でも、2009年に亡くなってしまいました。ジャガーズはすでに3人もの方が亡くなっています。皆さん、あんまり早すぎる・・ 

ジャガーズは、タイガースよりもデビューはすこし後の1967年6月。

1994年、神戸のラジオ関西で、毎週グループサウンズを取り上げる番組がありました。GSブームから、すでに30年近くもたっていましたが、私は楽しみに毎週聴いていました。

(ちょっと記憶は、曖昧になっているけれど)ジャガーズがゲストの回で、岡本信さん(多分)が、GS時代の想い出やGSグループの印象を聴かれて『沢田研二さんはその頃からオーラが凄くて、とても近寄れない感じがした。』と、しみじみと語っていました。

私はその時は、ジャガーズとタイガースは同じころにデビューしたと思い込んでいたので、まだ若いジュリーが ジャガーズからはそれほど、近寄れない遠い存在だったのかと ちょっと意外に思いました。ジャガーズの方が数カ月だけ後輩だったのね・・

この楽しみに毎週聴いていたGS番組は、翌年1月に突然終わりました。なんでかというと、翌1995年1月に阪神淡路大震災が起こり、神戸市にあったラジオ関西は被災して放送自体ができなくなり、番組も終わってしまったのです。震災では い~っぱい残念なでき事がありましたが、この番組終了も私には残念なひとつでしたよ~


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大宮ソニックシティ 大ホール

2017年08月21日 | ライブ・公演・舞台

夏休み明け、2週間ぶりのコンサートは大宮ソニックシティ!J友さんから、ご報告をいただきました 有難うございます と、思ったら オレンジさんからもコメ欄に報告を頂いていました!(^-^) お二人とも、どうも有難うございま~す


J友さんから。

大宮、行ってきました~ ジュリーは喋る喋る~ 終わったのが7時15分でした。

海外で売り出した頃のお話で、「イザベル」だけを感じを変えて「イザベル~イザベル~イザベル」と素敵に歌ってくれました。そして51曲になってしまうがなぁ~ (萌え~でした)ジュリーは何かいつもより、関西弁がトークのはしはしに出る感じでした。

当時、美佐さんの提案で「捨てないで」をフランス語で歌った話でフランス語で歌ってくれました~ (フランス語でレポしょうと思い一緒懸命覚えたのに乾杯したら、すっかり忘れてしまいました )

フランス語でレコーディングした時にやり直した時のお話で~ジュリーが苦労していた時、加瀬さんが~ジュリー御飯でも食べに行こう、駄目なら駄目でいいんだから…加瀬さん優しかったと染々と言ったのが胸にキュンときました。


来年は古希…ここソニックではやらないけど、埼玉ではやります!と言ったジュリーの意味深な発言がありました。まさかあのデカイ所…???

八王子のトークより断然関西弁がでてしまう感じでした。
休みで関西に行かれてたのかなぁ~と思いました。



大宮終わりました (オレンジさん)

当日券の発売はなく、満杯の会場でした。
3時間超の公演でした🤗
始まってすぐは、高音が出にくそうでしたが、曲を重ねるうちに声も伸びてきてとても良かったです🎶
幾分スッキリした様な⁉️感じがしました。舞台からは離れた席で双眼鏡を忘れてしまったので、はっきりと確認する事が出来ませんでしたが、顎髭は確認出来たのですが、口髭が無かった様な⁉️私には、見えてなかっただけなのでしょうか⁉️
2週間振りと言う事もあってか、お口も滑らかでした。
フランスでレコードを出した時のエピソードを話してくれました。前にも話していた事があったと思うのですが、発音が駄目だと缶詰にされて何度も何度もチェックを入れられた事。スペイン語やドイツ語でも歌わせられた事。
歌がヒットして、映画を作る事になった話もありました。最近BSで放送されたと言ってまた。相手役の方は、ジュリーよりかなり歳上と言う事もあってか、ジュリーは色々不満⁉️もあった様で何か言おうとしたのですが、やっぱりやめとくと話してはくれませんでした。
また、50歳の頃少しテレビに出たけど、面白く無かった。自分は、大勢の人の前で歌っているのが好きだとも。テレビに出なくても、こうして歌ってライフを続けていける事が幸せだと。
還暦のコンサートをドームでやりたいと言ったら、コーディネーターに無理だと言われた。駄目だと言われると余計にやってやると言う気持ちになった。
まだまだ続けていける。それには皆さんも健康に気を付けてくださいと。
来年は、70歳古希ライブ。音楽劇がなくなったから時間があるから色々な事を考えてやります。どうやら、大きな会場でのライブを考えいる様です。
早くも、古希ライブが楽しみです❣️



J友さん、オレンジさん、早速のご報告を有難うございました。ジュリーさまがお元気なのが一番です!早くも来年の古希が気になりますね~

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京都国際マンガミュージアム 山岸凉子展 「光 ―てらす―」

2017年08月20日 | 日記

京都国際マンガミュージアムは、元龍池小学校の跡地にあります。

黄色い外壁に直線的な窓が特徴的なミュージアムの裏側

下が本館の表口で昭和4年築の本館は、母と同じ産まれ年の今年88歳

タイル張りの門が可愛い

 山岸涼子展を観に来ました。昭和12築の右側の新館は、本館と壁の色合いが違っています。

入館料800円で、蔵書のマンガ読み放題。アジア人はもちろんですが、

欧米人の姿も多く見られて、観光でなくほんとに漫画のファンかな?

夏休みの土曜日の午後のせいか、静かに漫画を読む入館者が多かったです。

 漫画には数多くの忘れ難い作品が有り、多くの知識や思い出も与えてくれました。それでも漫画の大ファン・・というほどでは決してない。もっぱら人に見せてもらう派のわたくし、思えば小学生時代は幼馴染と兄に、中学時代だけは別マ、デラ・マなどは自分で買いました。高校や大学時代には漫画からは離れてジュリー一筋・・ 結婚してから家人の買うジャンプにモーニングを一緒に読んでいました。大人になっても漫画は面白い!だけど、自分で買うほどの事はないな・・。

80年代、同級生の友人に萩尾望都、竹宮惠子、青池保子、美内すずえ、池田理代子、大島由美子ら巨匠たちの作品を貸してもらうことで、王道少女漫画、いまや古典でありバイブルとなった作品群を大人になってから知りました。その中で、唯一欲しい! 我が身の近くにずっと置いておきたい!そう思ったのが「日出処の天子」。これだけは自分で買いました。その山岸先生の作品展ならば、行かねばならないでしょう。

山岸凉子展 「光 てらすメタモルフォーゼの世界

         

私の自慢は、69年の山岸先生のデビュー作「レフトアンドライト」を見ていることです。あの頃は他にも沢山の作品を読んでいたにもかかわらず、たった一つのデビュー作の中身をほぼ覚えているのは、やはりその作品の印象が深く 私の心の琴線に触れたせい?初期の作品の「レモンとクッキー」は、中学生の私が何度繰り返し うっとりと読んだことか。いつの間にか作品は私の心にしっかりと食い込んでしまいました。

 

デビュー当時の顔の丸っこい絵柄を、自分本来の尖った絵柄にしたら、多くのファンから反感を買ったのだとか・・ そんな、山岸さんの初期の大ヒット作は「アラベスク」人間の体をあるがまま、使う筋肉の本来の姿を描いた本格バレエ作品は、それ以前のバレエ漫画を陳腐にしてしまい これ以降のバレエ漫画の指針となりました。再び見る展示原画の優美なバレエシーンや衣装にウットリ。。。

そして「妖精王」✨ 幻想的でありながら人間臭さもある妖精たちの物語。北海道の冷涼な世界で繰り広げられる、美しくも妖しく恐ろしい妖精たちのファンタジーに魅せられたものでした。

                 

「日出処の天子」は壮大な歴史ロマン。古代の政治や宗教にまで深く切り込み、およそ少女漫画らしくない戦闘シーンも繰り広げられる物語を、少女達にすんなりと読ませてしまったのは、ひとえに山岸さんのストーリー運びに他なりません。表現者として漫画作家が誰よりも一番優れているんじゃないだろうか?絵、ストーリー、このどちらにも優れていないと漫画は書けないのですから。

何よりも儚くも繊細で優美に美しく、怜悧で酷薄で、孤独な魂を持った 両性具有者のような厩戸皇子に惹かれました。全ての物を見透かすような、冷たく妖艶な眼差しに、すっかり心を奪われてしまいました。その万能の厩戸皇子でさえも、蝦夷の心は手に入れることはできず、嫉妬に狂う厩戸皇子の心の描写が胸に痛かった

先に弥生美術館で開催された時よりも「日出処の天子」の原画が多く展示されているとの事で、彩色された原画の緻密さ繊細さに目を見張り、着物の美しい柄や、扉絵の装飾的なデザインの華麗さには、ずっと見続けていたいと その場から動けないほどでした。

最終回の原画は波の描かれた海の上で、隋に送る親書について厩戸皇子が語る場面。当時、最終回には多くの不満が寄せられたそうですが、私も物足りないと思った一人です。しかし、海の上に浮かんでいるかのような最後のコマを見ていたら、厩戸皇子の気持ちに初めて寄り添えたような気になって、それまでの物足りなさが消え 全てを納得できました。感動のあまり思わず泣けました。

海の泡沫となって消えてゆく経巻 仏たち

遠い海原の向こうの波間から 遥か彼方の隋が見えるような気が・・


第3展示室になると、あれだけ沢山いた見物人の姿がどこかに消えてしまい、私一人の貸し切り状態になっていました。 今、全ての繊細な美しい原画は私一人だけの為にある!そんな錯覚さえ覚えた、充実の展覧会でした。

35℃の熱さの中の京都、烏丸御池という交通至便なビジネスの中心地にありながら、静かで落ち着いたロケーションも最高です。


階段の踊り場は小学校として使われていた 当時のままの姿で、

昭和4年の時の流れが止まった、柔らかく静かな空間です

   

                  

このところ漫画を貸していただいているのは、もっぱらJ友さんたちです。お話をしていたら、かつて読んでいた作品や好きな作家が同じでした。ジュリー以外にも多くの共通点があって、ともに同じ時代を生きて 同じものを見てきたんだなぁ・・と、そういう所がとても嬉しいです。

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1973年、中野サンプラザ・リサイタル

2017年08月19日 | JULIE メモリーズ

昨日の「中野ブロードウェイ」に、かぼすさんからコメントをいただきました。ジュリーが住んでいた当時の、貴重な証言です。有難うございま~す


かぼすさんより

『中野5丁目に叔父の家があったので、東京にいたころは良くブロードウェイに行きました。また、叔父の会社の方が階は違うけど住んでいて、ゴミだしでジュリーに会ったとか聞きました。(※ジュリーもゴミだしの最中?)
1973年の中野サンプラザのリサイタル(LPに残ってます)の時、コンサート後、ジュリーが歩いて中野ブロードウェイに帰って行ったことがありました。それはすごい人の山が動く感じで…(※ファンも一緒について歩いたんでしょうか、今では考えられない・・
その時着ていた白のレースの衣装(下はジーンズ)が、後にブロードウェイにあった池田クリーニング店(名前はたぶん…何しろ42年前の話)に見つけた時の驚きといったら!(※うわ~ 普通にクリーニングに出すんですね~(笑)見たかったです!)

中野区桃園にJ友が住んでいました。当時某お嬢様女子短大生。ブロードウェイを歩いていたら、顔見知りのJファンに声をかけられ、誘われるままにブロードウェイの業務用(?)エレベーターに乗ったそうな…ジュリーの部屋の前で警備員に捕まり始末書となりました。(※同じことをするファンが多数いたのでは?)

中野ブロードウェイを歩いていて、サリーに2度遭遇しました。80年代のことでしょうか?(※75年に井上バンドを辞めたサリーは、結婚間もないのに仕事もなく、ジュリーのマンションを貸してもらっていたと聞いたことがあります。その頃かもしれませんね?)

 


かぼすさん、貴重なお話を有難うございます。

クリーニング店でジュリーの衣装を見つけた時には、それはビックリだったことでしょう!

YOUNGのどこで読んだのか思い出せませんが、中野サンプラザは やりにくいので好きではない、厚生年金会館は狭い、渋谷公会堂が一番好きだと語っていましたが、もちろんフェスが世界一です

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中野ブロードウェイ

2017年08月18日 | TV・ラジオ・CM・映画

 

高校野球で「アサイチ」がお休みなので、今だけ朝はTBSの「ビビット」を見ています。週刊紙ゴシップネタばっかりや~ MCの国分さんの存在意義は何?と思いながらも、真矢みきさんは短いコメントでも確信を突いていて、美しく知的で感じがいいです。

金曜日は、カトシゲのTOKYO今昔写真館 【知ればもっと楽しくなる!!】この夏、親子で行きたくなる「中野・新井薬師」

中野の駅前の商店街を歩けば、目につく至る所に「新井薬師」の地名があって、一度は行きたいと思っていました。意外にオシャレなお店なども紹介された後、中野新井薬師の第一位は・・ ジュリーのイラストがTV画面に映りました。

1位 中野ブロードウェイ

中野駅を出てすぐの商店街の、その先にあります

 

入り口

 

約50年前に中野ブロードウェイ完成

できた当時は最先端のファッションビルでした。

ビルの上に居住スペースがあります。

屋上庭園やプールがあります。前にJ友さんからコメントをいただきました。このプールで男の子が遊んでいたら、泳いでいたジュリーから声をかけられたのだとか!

六本木ヒルズの先駆けです

古いナイトクラブみたいな内装ですが、当時は最先端のオシャレなインテリアだったのでしょうね

昭和の大スター、人気絶頂のタイガース時代の沢田研二、ジュリーも住んでいた!

昭和、昭和と言われるのは ちょっとイヤです・・

今見ると、古臭いインテリア・・・同じ頃の「ひよっこ」の女優のマンションのインテリア方がオシャレでした。あれは現代の感覚が入っていますね。

ジュリーの隣が青島幸雄さんというのは有名ですが、数々の芸能人は他に誰がいたの??知らない。

マンションの紹介の後は、ジュリーファン垂涎のお宝を売っている、オタクの聖地「まんだらけ」が紹介されました。色々、高額なレア物を紹介するも、ジュリーグッズを展示している4階の「海馬」の紹介は無し・・

ジュリーは昔、ここに住んでいたけど、今は「まんだらけ」でお宝として神々しくも鎮座しているというのに、何にもそれには触れないんか~い! そこまで言ってくれたらいいのにね~ 昭和昭和と過ぎ去った年号をジュリーと共に連呼されるのには、ちと引っかかったのでございます。

 



そしてMXTV「5時に夢中」の「夕刊ベスト8」本日の第5位は、あのカンボジア・タイガース若Tシャツで一躍ジュリ界に、そのお名前とお顔を覚えさせた丸山ゴンザレスさんの夕刊フジのコラム(?) 「日本食の店で客と険悪ムードに…(夕刊フジ)」でした。これまで全く知らなかった丸山さんですが、かなりの有名人だったのですね?すいません、知らなくて・・

それにしても、老タイガースTシャツの行方はどこに・・・

カンボジアでも、やっぱり着るなら若タイガースか 

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ミスキャストツアー

2017年08月18日 | JULIE メモリーズ

YOUNGの1983年1月号をみていたら、ジュリーのお正月からのツアー日程が出ていました。

当時の大阪フェスティバルホールは、必ずジュリーで新年の幕開けでした。3日間で5回のステージ。間をおかずに、渋谷公会堂で2日で3回ステージ。2日だけ空けて九州で3回。なんと、合計9日間で11回ものステージをこなしています。ジュリーのことですから、歌う叫ぶ走る飛ぶのエネルギッシュなステージなのに、ほんとに凄いわ~ 今なら考えもつきません。今のジュリーも凄いけど、若いってほんとにエネルギーに溢れています!

今でこそ複数回、同じコンサートを見るのは珍しいことではないですが、私はお正月コンサートは大阪フェスで1回だけ見るのみでした。でも、大阪5回とも全部見る!そういう方もいたんでしょうね~

大阪、渋谷ともに総合企画がやっていますが、九州も総合企画です。ジュリーが大阪のMCで、怒っていましたあの「ソーゴー!(怒)」タイガースから、ずーーーーっと総合企画だったのに、還暦のドームの時に「沢田研二お客さん入らへんと言って逃げたんやで」と。長年儲けさせてやったのにね、世代が変わると

お正月は直前の紅白のでき事を話すのが、毎年の恒例になっていました。1回しか見ないので、ほぼMCは覚えていないんですが、昔からジュリーの歯に衣着せぬ話が面白いのです。こちらも何を話すのだろうかと期待して待っていたので、この時のMCや紅白の話しなどは 少しは記憶に残っています。

陽水が作詞作曲の「ミスキャスト」のアルバムは好き。「背中まで45分」があまり売れなかったので、売れなくなった原因のように言われるのは残念です。ジュリーにしか歌えない大人の世界だと思いました。新聞記事には「シック」とあるけど、いやいや 都会的な妖艶さでセクシーでした。ミステリアスで粘り付くような重厚さのある陽水の世界を ジュリーなりに消化してアグレッシブに、カッコイイアルバムになっていたと思います。シングルで「ジャストフィット」を出して欲しかった。その後のジュリーは、また違った展開になっていたのかも? それとも この時からが過渡期だったのかしらん・・

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ジュリーの50年 50曲に込め(東奥日報・夕刊)

2017年08月16日 | JULIE

J友さんから8月10日の新聞に載りましたと、お知らせをいただきました。 有難うございます。ジュリー自身は今回の50周年をTVでもラジオでも、メディアでは自ら宣伝をしていませんが、こうしてネットや新聞各紙がジュリーのために宣伝をしてくれていますね。

人気公演席確保、の文字が嬉しいです



こちらはJ友さんからツイ情報をいただきました。

丸山ゴンザレスさんカンボジアで見たTシャツが目に焼きついて離れない

ジュリーが売れ残ったTシャツを海外に寄付したと言っていましたが、ほんとにそのTシャツを着た人が見られるなんてね~ 世界は広いようで狭いです。丸山ゴンザレスさんのブログに「イイネ」をしました。 

ジュリーやサリー達は寄付をしましたが、トッポはTシャツを細々と同窓会コンサートの会場で売っていました。→同窓会コンサート(まだ売っていたのか!) 今も売っているのでしょうか?




そして、長谷川和彦監督が天声人語の記事にツイート

『天声人語が『太陽を盗んだ男』について書いているのは知らなかった。でも「城戸誠」は「金正恩」なんかじゃ無いぞ。(笑)』

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③大阪南港 JAMJAM・ROCK・FESTHIVAL(1983)  

2017年08月15日 | JULIE メモリーズ

チケットの裏側

今はすっかり記憶の彼方に当時の事は飛んで行っていましたが、先日 長いこと行方不明だった80年代の日記が見つかりました。当時の日記に書いていました。お昼ごろに行ったなんて、とんでもない。行ったのは夕方、しかも、ちゃんと近くで見てる!30数年前なんで、忘れていても仕方がありません。

『大阪南港のフェリーターミナルに着いたのは5時頃。暑い日で、砂まみれの広場に若い人がゴロゴロ。山下久美子から見た。サザンオールスターズの時に、さあ 前で見ようとだいぶ前まで前進した。ずいぶんのって手拍子したら、かなり疲れてしまった。(※サザンにノッたらしい

やっと8時頃とっぷり日が暮れてやっとJULIE様の登場!ジュリ~♪ 待ってたんだわ!TVでも着ていた、黒革のパンクっぽい上下に 赤のTシャツ。JULIEさま、左腕に包帯していたよ。グルグル巻き、どうしたのかな~? サザンで疲れたのも忘れ トイレ行きたいのも忘れ、ノリまくっちゃった!選曲も良かった、殆ど一緒に歌ったよ、イエ~イ!だいぶ前で見たよ。(※包帯はTVドラマの撮影で怪我したそうです)

でも時間が押したので、1時間足らずで終り・・・ つまんない。アンコールも無しよ。最後はJULIEと桑田君と上田正樹とその他出演者が並んで「サティスファクション」を歌って終わり。 あ~ 久し振りに騒いだなぁ こんな風にのってウワァ~っとやれるの、これから先あんまり無いと思う・・・。(※何故、そう思ったのか謎?)石ころゴロゴロ、ホコリまみれ、汗まみれ、3時間立ちっ放しのコンサートだったけど、その割に元気だった。ちょっぴり痩せた。家に帰ったら11時半でした。』

日記のお陰さんで、すっかり忘れていたジャムジャムが蘇りました。ちゃんと、ジュリーの前に押し寄せているではないか。この後、30数年経ちましたが今の方が騒いでいる気がするわ~(笑) もうどこかで紹介されていると思うけど「YOUNG」1983年9月号に記事がありました。キャ~~ッ!カッコイイ~ はっ 私としたことが・・ついついフンコーしました~

中は赤いTシャツ、左腕の包帯わかるかな?

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「YOUNG」って、送られてきたその時に一度見るのみで 殆ど読み返したことがない。日記とYOUNGで、全く思い出しもしなかった、忘れ去っていた1983年のJAMJAMロックが、懐かしく蘇りました。 

J友さんが、桑田がTVでジュリーに憧れていたと言っていたと。この年代のオトコはみな、そうでしょ!桑田さんは天才とは思うんですが・・・(好みではない) J友様さんとお互いに、サザンはよくわからないね~ でもJAMJAMではノれたらしいです・・

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②大阪南港 JAMJAM・ROCK・FESTHIVAL(1983)  

2017年08月14日 | JULIE メモリーズ

2012年に"新潟・市民映画館シネ・ウインド"で「ザ・タイガース&ジュリー」特集上映があった(ずーっと下にスクロールして下さい)、その上映エピソードをKEIKOさんから12日(天声人語)のコメント欄にいただきました。→8月12日

この映画祭があったことは覚えていますが、気持が温かくなる嬉しいお話でした。有難うございます。(^-^)



JAMJAM・ROCK・FESTHIVAL(1983)に行きましたという、コメントを皆様から頂いています。有難うございます。小さなことでも記憶が有るという方は教えて下さいね(^-^) 

私が覚えているのは暑かったのと、ジュリーはトリなので 登場までが長かった もうダレダレ・・早くジュリーが出ないかなぁ 他はどうでもいいわ・・  サザンオールスターズはジュリーの前に登場で、さすがにサザンくらいは真面目に聴こう!と思った。デビュー当時は色もんだと思ったサザンは、かつては歯牙にもかけなかったはずなのに、この頃には他と違うオーラがすでにビシビシ やっぱり かなり気になる存在になっていました。ジュリーこのころ(背中まで45分、以降)、思うほどには曲が売れていなくて でもジュリーがトリ!ジュリーが主役!と強く思いました。 

けど、とにかくステージが遠い・・ お蔭でサザンのステージも、今となれば殆ど記憶に残ってはいません

ジャムジャムのチケットに製作:NON STOPとありますが、ここはナベプロのセクションで、ニューミュージック、ロック系のミュージシャンを多数抱えていたはずです。太田裕美さん、アン・ルイスさん、山下久美子さん等。 ナベプロ繋がりで、ジュリーがジャムジャムに出演が決まったのかな?と今になって思いました。

この1983年は、恒例の夏のロックン・ツアーが無かった!そんな年があったんだ・・ 正月のフェスから始まり、5月まで春のコンサートとして「MIS CAST ツアー」をやったそうです。すっかり忘れていましたが、ん?先日貼った、MIS CASTの追加のチケットは だから5月の日付けだったのか・・

何故 夏のツアーが無かったのかと言うと、映画「ときめきに死す」の撮影や、NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」の撮影があったからだそうで、そういえば この頃は演技づいていましたね~ スペシャルドラマ「恋人よ我に帰れ」もありました。当時の6月の日記には、映画よりも歌をやって欲しいと書いていました。

 



NHKの土曜ドラマで9月から植木等さんをやるそうです。

土曜ドラマ 植木等とのぼせもん 演じるのは山本耕史さん。ザ・ピーナッツも出てくるとか・・ さて、ザ・タイガースも出るのだろうか? その前に放送される、阿久悠さんのドラマにジュリーは? 




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