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⑤福井フェニックスプラザ

2017年08月30日 | ライブ・公演・舞台

「渚でシャララ」の映像に大きな拍手や笑い声が周りでおきました ジュリ~♪の大きな声援も


笑っていただけましたでしょうか?もしかして(映像を)一人だけでやってみたらどうなのかなと思ってやってみたら、面白くもなんともない。もちろんワイルドワンズの皆さんには殆ど出てきませんが許可は得ております。時々、加瀬さんはチラチラチラチラでてきます。

先ほどの話しの続きです。ウエスタンカーニバルで将来が見えたんですね、ウェスタンカーニバルでも応援がそんなに熱くならないという、お客さんも少なくなってきて 解散するGSがいっぱい出てきたんですね。(一気にGSの退潮期の話題に話が飛んでました)タイガースはこれ以上、他の人を入れて続けたくないという気持がサリーやタローにもあったようですね。その当時はシローがいましたし、ピーはもう辞めるというてましたから、ドラムを入れるの?メンバーは思う所があって、

僕はねずっとヘタクソヘタクソ 言われていて、他の人は思っても言わなかったのですが、井上の大ちゃんが(ブルコメの井上大輔)『タイガースはヘタ!』歌がへタ!と平凡か明星で平気でいうてたそうですが、そんな流れで私としてはタイガースは続くもんだと思っていました。シローが入ったところで 何となくサリーとシローは兄弟だし、サリーとタローは兄弟みたいなもんだし、これからどうすんのと 聞いてくれないもんだから、私はしばらく渡辺プロの事務所で エライさんたちが何か言ってくれないかなと思って、お茶くみではないけど 事務所の担当の人の所の椅子に ただ座っていて「どうしたのジュリー?」と言われて「いや誰か声をかけてくれないかな?」と思って「どうすんのよジュリー」 

結局はサリーが持ってきた、自分がやろうと思っていたバンドがダメになって、マネージャーの中井さんが 今でいうコラボが好きな人なんだよね。何でも組み合わせてやっちゃおう みたいな。セッションとかそういうの大好き!良い所が出てくるみたいな。僕はね そういうの大嫌い、わかるでしょ。かといってワイルドワンズとなんでやったのかというと、それは加瀬さんに頼まれたから、あの人にはノーと言えない あの人には、あの人には ほんとにソロになってから、メッチャ世話になった、あの人の人生の殆ど・・ワイルドワンズのキャリアを犠牲にして、僕についてくれた。

結局、PYGを作ったわけだけど、上手くゆかなかった。でも無駄な事はひとつもない、今になったらほんとに思います。僕もソロになって、セッション皆ですることもあるから着いていくけど、本当は嫌いなのよ。例えば音楽劇とかやったけど、踊るでしょ。踊り、ほんとはダメなのよ、好きかと言えば嫌いなのよ。見てる人も見ててね よっぽど気持が良くなかったら 嫌いなのよ。凄い人はメチャクチャ凄いのに 語弊があるけど、もう解散したからS〇〇P程度の踊りだったら・・ 何でやってたかというと、嫌いな事もやらないとダメなのよ。誰に言われるでもなく 自分で決めてやる。

PYGのあとなし崩しにレコード出せと言われてやる、その頃ね「君をのせて」という歌ですけど いい歌ですよ。だけどね方向が違う、僕が目指しているところと方向が違う。その頃はまだ確たる方向が無かったと思う、まだ20代前半ですけどね。だから こうだ、とまだ言えなかったのが良かったのかな。仕方のない所の中で精いっぱいやるという事を覚えたし。

レコーディングして外国のミュージシャンとやる、なんでーな そんなんお金かかるやん。それでも行くの 向うでご飯美味しいか?イギリスなんかローストビーフしかないで。困ったときは中華料理、イスラム圏なんか行くと困るんだね、豚があかん、だいたい中華料理は豚やからね・・・何の話?

イギリスでやるのは、いわゆるハクをつける、今でこそ自慢話ですいませんね、その頃はそれがカッコイイとは 思わへんかった。向う行って録音していいでしょ?売れるか売れへんか、問題やないで。その頃は売れるという事の強さを タイガースで経験してるから、いくら売れてもおいつかない、たいしたことないのやね。

イギリスで録音して帰ってきたのが「許されない愛」それが売れたわけ、ちょっとね。その頃は僕と同年代の人達というのが ほんとに少なかったのね。布施さん、森さん、千さんも演歌でしょ。全然方角が違う思てるやん、相手にしてないというんやないけど・・ TVに出たら演歌の人も皆 一緒に出てたわけや。歌謡曲というのと一緒にされて 僕らは中でこっちの方向と思てたけど、どうしていいかわからなかった。やみくもながらとにかく一生懸命やって・・ 売れると思てなかったのに売れる。

早くにタイガースで売れてよ、そりゃしばらくおとなしくしてないとアカンな、と思うたけど1年ね、売れてごらんなさい、そんなん人生狂いますよ。(笑) 狂いますよ、天狗になりますよ、その気になりますよ、有頂天ですよ、だから色んなことやるんですよ、ねッ 二度の膀胱炎、暴行事件ですけどね。そんなんあったりして、一つの事をやると、一つの答えじゃない、業界も含めてね、沢田も怒ることがあるやろ、そういう人もいたわけ。芸能人は怒ったらアカンネ言う人が殆どの時代、その時加瀬さんが「沢田は絵に描いた餅じゃないんだ」どういう意味なんですか?気持ちはわかるんですけど、それは別の例えや・・腹立てたら いいことないんやいうのも多いんや。

だけど、ニッポン放送行くやん いっぱいいはるわけ、男の人も女の人もいっぱい。男の人がけなすわけ「どこがいいんだよ、何がジュリーだよ」言う訳、もう最低 足股掛けるわけ。行ったらバーっと足かける、そんなん今度見つけたら 絶対ゆうたろ思う訳。思うで、そう思たら 言うてるうちに手が出たわけ。二度やったわけ、早くに売れるとね、その先が大変や。僕らのこういう世界てね 潰しがきかない。こういう世界にいて実業家になりはった人はいっぱい いてるけど、ココ(頭)が違うよココ。僕らどっちかいうと(腕を叩く)ここやで、ここ。

歳をとるごとに大変やで。尋常やなかったよ、尋常やないけどこれないやん。それで きっぱりとわかりやすい状態になるといいんやけど、TVで懐メロのコーナーに出てくれいうオファーがあったりして、一番さみしいのは歌が売れないという事。

歌が売れないかと言って、東京、大阪、名古屋、福岡と大きな町に行けば、お客さんはいっぱいになったりするわけです。それでやって行こうと思えばいいんだけど、加瀬さんのあとに、吉田健、後藤次俊とやったりして、それで僕はやっぱり受け身なたちわけですね。よくこうやったら凄いで、と言われたことを実現させようとするというのは、よくある。阿久悠さんが凄い詞を買いて 書いて、大野さんが凄い曲をつけて、早川タケジというデザイナーが凄い衣装を作って、それをちゃんと着こなし、誰よりも凄いと言われるように、僕の事を嫌いな人たちも 思わず見てしまうような そういうパフォーマンスをしよう!とやってた。

それがずっと続くわけが、ない。どう考えたって続くわけがない!ここで転換するんやね、ハッキリしてない。ズルズルズルズルやりながら、最終的には僕は何が好きなんや、TV出ていっぱい歌えない。歌うこと以外に出て行って、話をすることは好きやない、こうやって見に来て下さる人の前で、1人で喋るのは大好き。(拍手) 思う事はね、いいことを言おう症候群、あかんのやけどね、いいこと言うたろ。アホな事ばっかりいうてると、仕事は来ない。

ライブが好きや、ライブを続けよう!地方へ行って超満員にならない、こういうの続きましたけど、今までやってきたことのお蔭でね、事故もそうですよ、スピード違反、飲酒運転 地方へ行けば 見にきてくれる人の近くまで行けば、良くも悪くも一人くらいは沢田研二の名前は知ってるわけや。お祖母ちゃんが知ってる言う訳ですよ、そう言うことが 僕にとってはこの業界に対するボディブローのように効くわけやね。だから僕が還暦になった9年前ね、またひとしきり沢田が初めよった、まだうとてたんや、続けとったんや、そういう空気に溢れてたんですよ。また近くにきたら行こか。

こういうもんは世代のもん、ジェネレーションのもんでしょ?よう考えたら、2世代間の間でしか 行き来ができない。いうたら、一世代だけの嗜好なわけですよ。だから若い人たちがね今後ね、増えるとは思えないし。ましてお年寄りはね、どんどん・・・。 もう最後かも知らん。こういうのは誰も教えてくれるわけじゃない、自分でアンテナ出して、そうやってやってきた。また自慢話みたい。。 色んな人から受けたものがいっぱいあって、もちろん応援してくれた人の力が殆どだけど、その1色なら 僕は形作られはしないですね。

僕を嫌いだと思った人が見せたことが、何かの時に見せた表情が、例えばどっかの空港で あからさまに唇が「大嫌い!」という人がいたわけですよ。読み違えかも知れないけど、どう考えても大嫌い、それが すっごい 傷つく・・言わんでええやん。僕と目線があってよ、声に出さなくても そんなキツイ事ないで。嫌いな人がいいぱいいるという事を知る事は 僕には。

TV局ラジオ局行ったら、国民的大歌手言われるわけやで(拍手)僕がエライわけやない。TV局ラジオ曲がエキスキューズをしているわけやね。国民的大歌手だから出しているんですよ。しょうもない人は出していないんですよ。そうでもない人までそういう。だから僕は出たく無くなる。30分で6曲歌ってください、とか言われる。嫌いな人たちの前でね、ましてや40代の人たちの前でよ、もしかしたらその時間は寝てるかもしれない。

かといって、絶対出ないと思っているわけではないけど、僕の中では大事なメディアでもなんでもない、見る方が楽しい。出たら緊張する、あのジュリー あの沢田がよ、出たら緊張する。緊張して、歌詞カード書いて。カンニングペーパー書いて!無理して出ることないわ。だからこうしてねこうして口コミだと思うんですよ、口コミで50周年、今まであんまり歌わなかったヒット曲を歌います。見に来やすくないですか?僕のやり方でこれを続けて行こうと思うし、もちろんそれがダメだった時はチェンジ 

僕が自分が一番楽しかったのは、どこだと思います?売れた時じゃないんですよ、やっぱりね ここ10年20年。それなんでかというとね、自分で全部ね考えてね、やってるんですよ。こんなこと言うと、また自慢話し。例えばレコーディングの段階から自分で選んでいる、責任がある。これは歳に関係なく、一生懸命やる、でないと見に来て下さる皆さんに報いることができなと思っている。

来年は70、古稀。ほんとにあと1年先のことはわかりませんけど、少なくとも来年は大丈夫でしょう。(待ってるよ!と掛け声) また違う楽しいことを見つけ出してやって行こうと思う。できるだけ長く歌っていられるように・・・ どうぞ皆さん、お元気でいてくださいよ。健康でいらしてください、本日の私の挨拶を終わらせてもらいます。有難うございます、有難うございます。

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