今日は「キネマの神様」のムビチケの発売日。J友さんたちはネットで購入した方や、今日 映画館に行って早速購入されたそうです。私も買いに行かなければ(^-^) 「キネマの神様 ディレクターズカット」は考え中です。
J友様さんから「今日はショーケンの命日です」とお知らせが有りました。
ショーケンが突然逝ってから、もう二年。この季節に亡くなる人が多いせいか、J友さんから言われるまで、すでに忘れていました。
去年の秋に買った、文藝別冊「萩原健一 傷だらけの天才」は、証言からその実像に迫ります。本屋で立読みしようと読み始めたら、細かい文字がビッシリ詰まって、到底 読みたいところだけを立読みで済ませそうにないので、悩みつつも買いました。
内容は、ショーケンと黒澤明との対談、交流のあった人からの談話、一緒にドラマを作った人から見た話、有名作家がファンとしての目から見た姿、音楽的な側面などで構成されている。収録された証言は多方面、多岐に渡ったものになっている。決して片側の一面だけから見たもの、近視眼的ファンの視線から見た一方的なものではないところが信頼できるし、読みごたえもありました。但し、巻末の最後の音楽編からバラバラに読み始めたので、いまだに読み残している個所が有ります(^^;
残念ながら私はショーケンのドラマや映画を、沢山見ていたわけではないので、ショーケンのことを語れるほどの知識は有りません。何よりもいまだに、ショーケン自身が嫌がりそうな、ショーケンの半世紀以上前のテンプターズ時代を、この先もいつまでも忘れられないのでございます(^^;
そんなだから上記の本の音楽編の中で、2000年ごろに井上尭之さんがインタビューに答えて、PYG時代のことを語っているところを一番、興味深く読みました。PYGの結成の経緯や、PYGで負った傷など。それでも、PYGでの経験は大きかったという井上さんに、ジュリーは共感しているんじゃないのだろうか。
ジュリーファンの目線で言うと、ショーケンと比較してジュリーについて書かれた文の「ジュリーは真面目で言われた仕事を誠実にこなす・・」という文面を額面どうりに受け取れない。「誠実」、だけど・・その言葉の裏側を嗅ぎ取ってしまいます。ジュリーは誠実で、そして間違いなく想像的であるということに何の疑問もありません。収録されている速水さんのインタビューなど、モヤっとしながら読みました。
結局、私はショーケンの本と思いながら、どこかにジュリーの影を探して読んでいるのでございます。ジュリーに触れている箇所は、ショーケンを音楽の側面から見たところの、ごく僅かしか有りませんが。
「鴨川食堂」や「いだてん」は、私も見ていたドラマなので、ショーケンのドラマに賭ける 鬼気迫るエピソードを興味深く読みました。しかし言います、「鴨川食堂」のショーケンの関西弁はいただけない。「おちょやん」の杉咲花さんの大阪弁は◎です。板前役の包丁さばきよりも、関西人にもっとも気になるのはそこです。ショーケンには、誰も文句をつけることができなかったんだね、きっと。
俳優としてのショーケン、ミュージシャンとしてのショーケンに興味のある方には、おすすめします。
公園の桜が随分咲いてきました。
J友さんちの実家に咲いていたという石楠花。
そういえば、京都府立植物園の石楠花が、例年 桜と一緒に咲いていましたっけ。
pyg時代の事が尭之さんの証言等で語られているとか、...あの時代についてはメンバーそれぞれが様々な想いがあるのでしょうが、ショーケンについていえば、1975年の平凡「スター」のインタビューでは「たった2.3分の歌では何もできない。ミエと嘘ばかり。カッコ悪くて、俺の場はないと思った。と、まるでテンプターズ時代と同じ括りのように否定的な想いを語ってましたが、5年後の週刊プレイボーイの祐也さんショーケンジュリーのBig3対談では「俺今でも覚えているけど、pygの記者会見で沢田が、いい事言ったんだよ。この仕事は僕らにとって回り道になるかもしれない。でも僕は、この活動を必ずプラスにしてみせる!って」「あの頃沢田が言ってたけど、親のごとくのしかかってくるタイガースの残像を消そうと必死だったよね」等ーいかにもジュリーらしい言葉だし、それをショーケンがしっかり覚えて「いい事言っていた」と語っていたのが大変印象的でした。もちろんジュリー自身は「あの時代が無かったら今の僕はない」と一貫して語ってまずし、お互いのスタンスは違えどpygの存在価値意義は大きいものだったと小生確信してます.
(五千人のキャパに150人しか入らず、ステージにトマトや卵が、飛んで、ジュリーがステージから怒鳴りつけた伝説の九電記念体育館も既に取り壊され、今は昔日の面影はありません)
鴨川食堂のショーケンの京都弁ー小生もSaoさんに同感です。京都在住歴僅か2年のエセ関西人の小生から視ても、あれはひどかった。かつて「誘拐報道」や「極道の妻」で、しっかり関西弁を駆使していたのを知ってるだけに、あのドラマのショーケンにはガックリしたものでした。やはり、ショーケンに演技指導できる人材が、いなかったのでしょうな。
『ショーケンについていえば、1975年の平凡「スター」のインタビューでは「たった2.3分の歌では何もできない。ミエと嘘ばかり。カッコ悪くて、俺の場はないと思った。と、まるでテンプターズ時代と同じ括りのように否定的な想いを語ってましたが』
たった2.3分の歌で、映画のようなシーンを見せてくれるのがジュリーだと思います。ミエと嘘を、短い時間の中で、真実に見せてくれるのもジュリーだからこそです。
お互いに表現の仕方が違う二人、だからこそ お互いのスゴサを分かりあえ讃えあい、切磋琢磨していたのだと思います。
>『五千人のキャパに150人しか入らず、ステージにトマトや卵が、飛んで、ジュリーがステージから怒鳴りつけた伝説の九電記念体育館、今は昔日の面影はありません)』
九電記念体育館というと、大相撲九州場所のイメージですが、そんなに大きな箱でやっていたとは・・💦
>『やはり、ショーケンに演技指導できる人材が、いなかったのでしょうな。』
確かに・・。誰も意見を言えなかったのは、ショーケンには不運と思います