昨日の当ブログでは嫌な残念な内容で不評でした。 が、今日はバンコクポストに
心温まる日タイの皇室と王室のことが掲載されていましたので、その5日の内容を ・・・
来年で日タイ修好130周年です。 その長い歴史の中で 日タイの皇室・王室 同士でも、素晴らしい
友好関係を 築いてきました。 何年か前に日本の皇太子殿下がタイへ 公式訪問された時も、通常の
国賓以上の大歓迎をお受けになり、これだけで タイの王室の方々のお気持ちが伝わります。

タイ王室と日本皇室は とても深い絆があり、タイ国王の崩御に際して、日本の皇室は3日間の喪に
服しました。 また 特使が在日タイ大使館に赴き 皇室からのお悔やみの言葉もお伝えしていました。
現在の王室と皇室の関係が より 深まったきっかけは、1965年に天皇陛下がプミポン陛下に
テラピア (ナイル種) という魚を寄贈したことでした。 今では プラ・ニン (黒い魚の意味) と
呼ばれ、タイで最も大衆的な淡水食用魚になっているというエピソードは、余りにも有名です。
バンコクポストの記事では、それの詳細が書かれていました。 「一匹の魚とタイ国王と日本
皇太子の物語」 とでもいいましょうか、とても素敵なお話で、私も詳細を初めて知りましたネ。

王室と皇室の関係はアユタヤ時代に遡りますが、今ほど深い関係になったのは、1963年にプミポン国王と
シリキット王妃が訪日したことがきっかけだそうです。 両陛下の訪日に際しては、当時の昭和天皇が
大いに歓待され、翌1964年の皇太子夫妻 (現平成天皇・皇后両陛下) の訪タイに発展していきました。
プミポン国王と当時の皇太子は、国の発展について真剣に話し合い、国王夫妻が直々に皇太子夫妻をタイの農村に
案内したほどです。 また この時の訪問で、皇太子夫妻は国立カセサート大学の水産学部も訪問しています。

同大学を訪問した折に、皇太子はプミポン国王が、農村部の栄養状態を改善するのに役立つ
魚の養殖を模索していることを知りました。 帰国後の1965年、皇太子はナイル・ティラピア
50匹をタイ王室に寄贈します。 しかし残念なことに、搬送中に40匹が死んでしまいました。
が、残り10匹は プミポン国王がお住まいのチットラダー王宮に届けられました。

国王はこの魚を学名・ナイロティカス (Niloticus) から 「プラ・ニン(Pla Nil)」 と名付け、養殖を開始。
1年後、10,000匹のプラ・ニンを水産局に引き渡し、農村部各地の農業用溜池に放流したのです。
現在、プラ・ニンの生産量は年間22万トンにもなり、30万の養殖場が関わっており、数百万の人たちの
雇用を支えています。 さらにプラ・ニンは重要な輸出品目にもなっており、貴重な外貨も稼いでいると
いいます。 国民にとっても、廉価で栄養のあるプラ・ニンはタイ食卓の貴重なおかずになっています。

そう言えば、平成天皇は、たいへんな魚類の研究学者でもありましたネ。 バンコクポストの
心温まる詳細でした。 来年で日タイ修好130周年です、いつまでも大切にしたいですよネ。


お意見を有難うございます。
天皇陛下だって一般人だって同じ人間だよ、田井幾三さんを間違いたら、
勘違いです、訂正します、で済ましちゃう。 それを 手柄をたてたような言い方 ・・・ 呆れるね。
「今上陛下」または、「今上天皇」とお呼びすべきを、崩御された先帝陛下を示すことになる呼び方で、記載されていることを指摘してています。私自身、この問題表現(表記)を具体的に書き加えることは、心情的に憚られるのでいたしません。
このブログ記事の文責筆者がよく見えず、「ブックマーク」蘭にある、「田井幾三」が、タイ国フリークな筆者の方の巧く思いを込めたペンネームなのかと思い、「タイ行くぞう」さんと呼びかけてみたのですが、勘違いでしたら、訂正します。元のブログ記事を書いた方に、申し上げています。
このような意見を書くときは、こう表現すべきと、具体的に書いたらいいのに。
タイ行くぞうさんっていうのもわからない??
内容はとてもいいお話しで、嬉しいのですが、今上陛下の表現は、「タイ行くぞう 居士様」みたいに呼ぶのと同じで、非常識であることを、お知り下さい。皇室を敬う日本人の常識です。是非、ご訂正ください。常識を弁えた方々から呆れられないように。せっかくの記事を台無しにされないためにも。