脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

切れぎれ。

2008年05月01日 22時09分58秒 | 近況
親戚の葬式に行ってから、どうも気分がすぐれない。
一言でいうと、自分の存在感に自信がない、みたいな感じである。
今日は、患者会に出て、その話をしてみた。

精神病者とは、押し付けられた現実を否定して、自分自身の現実を
構築しながらも、それを他人に認めさせることに失敗した者のことである。
神経症者とは、押し付けられた現実を、意識的には容認しながらも、
無意識には否定しているために、葛藤を抱え込んでいる者のことである。

これは、岸田秀という心理学者が何かで言っていた言葉であるが、
分かりやすい説明だと思う。
私自身にはよく当てはまる説明なのだが、
でも、他の患者仲間と接していて、
「押し付けられた現実を否定した」ような否定形の人生履歴、
そんなエピソードを聞くことは少ない気がする。
最も、精神病を発症する程の体験なのだから、
あまり語りたがらないという事なのかもしれない。

患者会の後半は、「妄想」の話になり、
自動車がバックするとき発するプップップッのような音、
道路工事の騒音や、家の外で人が喋る声など、
「音」が妄想を誘発し、さらに幻聴に展開するという話があった。
脳の活動で、妄想し切れない残余があると、幻聴に移行するという
説明をする仲間がいて、興味深い説だと思った。

私は「幻聴」はほとんど体験したことがない。
統合失調症者の「幻聴」とは、自分の体の「外から」聴こえて来る類
の症状をいう。脳内に自分の独語が、ある声で響いているのではなく、
自分の外側から、居もしない他人の声がはっきりと耳に聴こえるという。
このあたりの脳内メカニズムは、私もよく判らない。

先述の岸田秀の言葉から考えると、
今の私は「精神病」の域にあるよりも、
「神経症」のレベルで葛藤に苦悩している気がしている。
葛藤とは「意味の病」である。
両立(解決)の不可能な問いを引き受けているような状態である。

あるスタンダードをもって生きる自信や覚悟が低いから生じるのであろう。
このように言ってしまうと、それでは「精神病」に陥った者の前提条件と、
どこが違うのか、ということにもなってしまうのだが、
生きようとする心的エネルギーの水位が異なっているとでも考えたいが‥。

どうも今日は、
頭が冴えないので、論がうまく運べない。
いつか機会があったら、考え直してみたい。
拙論擱筆。


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