小学校の低学年の頃、新幹線に乗って父の実家に初めて行ったとき、
父に「お兄さん」という人物が存在することに驚きと戸惑いを覚えた。
私にとって父とは、天からひとりで降ってきたような存在感だったのだ。
そのため、「父のきょうだい」という言葉の意味が分からなかった。
「きょうだい」というのは、自分や弟たちのことであり、
私は自分が「父のきょうだい」だと思っていたのである。
父が所有し、父のもとに帰属する子供きょうだい以外に、
この表現を理解する脳ミソをもっていなかった。
「の」という助詞の用法が理解されていないというよりは、
父が属する「きょうだい」という関係が、世の中にあるということが、
どうしても理解できなかった。
つまり、そこに存在するのは、おじ・おばという人々なのだが、
それらの人々は、この私にとって、何か関係があるのだろうか、
私の存在原因は、唯一の、この父と母に過ぎないではないか、
というような感想しかもたなかった。
また私は、「孫」という言葉の使い方もよく理解できなかった。
私は、あるときは「子」という表現で紹介され、あるときには、
「孫」という言い方で、異なる言葉で自分が名指されることに、
自分の存在位置の揺れ動きに、目が廻るような不可解さを覚えた。
祖母が私を、近所や親戚の人などに「孫」と呼んで紹介するので、
私は、マゴではなく、コドモだよ、などと主張しては、
相手の大人を、かなり驚かせていたものである。
わけが分からないので、自分はあの母から生まれたのではなくて、
祖母から生まれたという意味なのか、と変に疑っていた。
私の脳は自閉の脳なので、自分が中心であり、関係によって呼び方を
変えられると、自分が誰なのか、分からなくなるようだった。
一番最後まで理解が遅れたのが、「いとこ」という関係の呼び方である。
父のきょうだい(兄弟・姉妹)がいて、それが結婚して子供がいて、
そこまでは理解が出来たのだが、次にその子供同士が関係するという
間柄に思考が追いつかないのである。
この親族関係のツリー状の図がうまく頭に描けないというのは、
現在でさえも、子供の頃よりは改善されたが、苦手なままである。
紙に視覚的に図を描いてくれると解るのだが、口先だけで、
説明されると途中で思考が途切れて、分からなくなる。
や、や、こしやぁ~、や、や、こしやぁ~、なんだけど、
普通のヒトビトは、簡単に理解するようなので、
私は実は、知的障害なのかと疑いを抱いていた時期もある。
こういうのを、「発達障害」ということが数年前に解り、
自分の自閉的な傾向と併せて、全てが腑に落ちた感じだった。
でも、40代も終わるような歳になって、
親・きょうだい・親戚などに「発達障害」を訴えても、
誰も、理解も共感も同情もしてくれないであろうと思う。
心ある数人の友人には、手紙を書いたことはあるけど。
私は、自閉脳のまま、何とか名のある大学を出て、
社会にも出たものの、やはり普通のヒトビトに交じって、
社会人をやるには、ハードルが高いようである。
行き詰まって、統合失調症を発症してしまったのである。
両親には世話になっているし、感謝しているが、
私の病気に関しては、親・きょうだいには失望している。
心ある仲間たちを大切にしたい。
父に「お兄さん」という人物が存在することに驚きと戸惑いを覚えた。
私にとって父とは、天からひとりで降ってきたような存在感だったのだ。
そのため、「父のきょうだい」という言葉の意味が分からなかった。
「きょうだい」というのは、自分や弟たちのことであり、
私は自分が「父のきょうだい」だと思っていたのである。
父が所有し、父のもとに帰属する子供きょうだい以外に、
この表現を理解する脳ミソをもっていなかった。
「の」という助詞の用法が理解されていないというよりは、
父が属する「きょうだい」という関係が、世の中にあるということが、
どうしても理解できなかった。
つまり、そこに存在するのは、おじ・おばという人々なのだが、
それらの人々は、この私にとって、何か関係があるのだろうか、
私の存在原因は、唯一の、この父と母に過ぎないではないか、
というような感想しかもたなかった。
また私は、「孫」という言葉の使い方もよく理解できなかった。
私は、あるときは「子」という表現で紹介され、あるときには、
「孫」という言い方で、異なる言葉で自分が名指されることに、
自分の存在位置の揺れ動きに、目が廻るような不可解さを覚えた。
祖母が私を、近所や親戚の人などに「孫」と呼んで紹介するので、
私は、マゴではなく、コドモだよ、などと主張しては、
相手の大人を、かなり驚かせていたものである。
わけが分からないので、自分はあの母から生まれたのではなくて、
祖母から生まれたという意味なのか、と変に疑っていた。
私の脳は自閉の脳なので、自分が中心であり、関係によって呼び方を
変えられると、自分が誰なのか、分からなくなるようだった。
一番最後まで理解が遅れたのが、「いとこ」という関係の呼び方である。
父のきょうだい(兄弟・姉妹)がいて、それが結婚して子供がいて、
そこまでは理解が出来たのだが、次にその子供同士が関係するという
間柄に思考が追いつかないのである。
この親族関係のツリー状の図がうまく頭に描けないというのは、
現在でさえも、子供の頃よりは改善されたが、苦手なままである。
紙に視覚的に図を描いてくれると解るのだが、口先だけで、
説明されると途中で思考が途切れて、分からなくなる。
や、や、こしやぁ~、や、や、こしやぁ~、なんだけど、
普通のヒトビトは、簡単に理解するようなので、
私は実は、知的障害なのかと疑いを抱いていた時期もある。
こういうのを、「発達障害」ということが数年前に解り、
自分の自閉的な傾向と併せて、全てが腑に落ちた感じだった。
でも、40代も終わるような歳になって、
親・きょうだい・親戚などに「発達障害」を訴えても、
誰も、理解も共感も同情もしてくれないであろうと思う。
心ある数人の友人には、手紙を書いたことはあるけど。
私は、自閉脳のまま、何とか名のある大学を出て、
社会にも出たものの、やはり普通のヒトビトに交じって、
社会人をやるには、ハードルが高いようである。
行き詰まって、統合失調症を発症してしまったのである。
両親には世話になっているし、感謝しているが、
私の病気に関しては、親・きょうだいには失望している。
心ある仲間たちを大切にしたい。