脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

「親族」は不可解である。

2008年04月29日 13時51分46秒 | 発達障害
小学校の低学年の頃、新幹線に乗って父の実家に初めて行ったとき、
父に「お兄さん」という人物が存在することに驚きと戸惑いを覚えた。
私にとって父とは、天からひとりで降ってきたような存在感だったのだ。

そのため、「父のきょうだい」という言葉の意味が分からなかった。
「きょうだい」というのは、自分や弟たちのことであり、
私は自分が「父のきょうだい」だと思っていたのである。
父が所有し、父のもとに帰属する子供きょうだい以外に、
この表現を理解する脳ミソをもっていなかった。

「の」という助詞の用法が理解されていないというよりは、
父が属する「きょうだい」という関係が、世の中にあるということが、
どうしても理解できなかった。
つまり、そこに存在するのは、おじ・おばという人々なのだが、
それらの人々は、この私にとって、何か関係があるのだろうか、
私の存在原因は、唯一の、この父と母に過ぎないではないか、
というような感想しかもたなかった。

また私は、「孫」という言葉の使い方もよく理解できなかった。
私は、あるときは「子」という表現で紹介され、あるときには、
「孫」という言い方で、異なる言葉で自分が名指されることに、
自分の存在位置の揺れ動きに、目が廻るような不可解さを覚えた。

祖母が私を、近所や親戚の人などに「孫」と呼んで紹介するので、
私は、マゴではなく、コドモだよ、などと主張しては、
相手の大人を、かなり驚かせていたものである。
わけが分からないので、自分はあの母から生まれたのではなくて、
祖母から生まれたという意味なのか、と変に疑っていた。

私の脳は自閉の脳なので、自分が中心であり、関係によって呼び方を 
変えられると、自分が誰なのか、分からなくなるようだった。
一番最後まで理解が遅れたのが、「いとこ」という関係の呼び方である。
父のきょうだい(兄弟・姉妹)がいて、それが結婚して子供がいて、
そこまでは理解が出来たのだが、次にその子供同士が関係するという 
間柄に思考が追いつかないのである。

この親族関係のツリー状の図がうまく頭に描けないというのは、
現在でさえも、子供の頃よりは改善されたが、苦手なままである。
紙に視覚的に図を描いてくれると解るのだが、口先だけで、
説明されると途中で思考が途切れて、分からなくなる。

や、や、こしやぁ~、や、や、こしやぁ~、なんだけど、
普通のヒトビトは、簡単に理解するようなので、
私は実は、知的障害なのかと疑いを抱いていた時期もある。
こういうのを、「発達障害」ということが数年前に解り、
自分の自閉的な傾向と併せて、全てが腑に落ちた感じだった。

でも、40代も終わるような歳になって、
親・きょうだい・親戚などに「発達障害」を訴えても、
誰も、理解も共感も同情もしてくれないであろうと思う。
心ある数人の友人には、手紙を書いたことはあるけど。

私は、自閉脳のまま、何とか名のある大学を出て、
社会にも出たものの、やはり普通のヒトビトに交じって、
社会人をやるには、ハードルが高いようである。
行き詰まって、統合失調症を発症してしまったのである。

両親には世話になっているし、感謝しているが、
私の病気に関しては、親・きょうだいには失望している。
心ある仲間たちを大切にしたい。






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