脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

精神としての日本刀

2008年07月28日 11時11分22秒 | 武術・身体系
朝、庭に出ると風がさわやかだった。
鉢植えに朝顔が二輪咲いていた。
庭に水を撒いたら、トンボが二匹寄ってきた。

私が日課の木刀振りを始めると、
二匹のトンボが、私を取り巻き、流線を描いた。
トンボの自在なしなやかさで、刀が使えたらと思う。

木刀を振っていると、自分のその時々の心がわかる。
だからこそ、木刀を振ることで心を正すことも出来る。
鏡に映して、自分の顔形を知るようなものである。

朝だけの素振り稽古を10年続けているが、
近頃ようやく、左手の握りを軸に振れるようになった。
やはりまだ、太刀筋は右手軸の方が安定しているが、
左手で振れるようになってから、素振りの奥深さに戸惑っている。

力みが取れていく分、振りが柔らかくなった気がする。
しかし、太刀筋がうまくない。微細な揺れが入っているようだ。
これでは物を斬っても、途中で刃が止まってしまうだろう。
右手で力任せにぶった斬った方が、うまくは見えるかもしれない。

刀は、己の力に慢心していると、どんどん逃げていく代物であろう。
どんな武道や武術でも、力に頼っていると壁に行き当たるようだ。
刀は、勝ちを焦るような「私」自身を斬り続けていく道の具である。

ヘタな素振りでも良いから、続けていけば「座禅」に近づく。
全く日本刀とは、禅的な代物である。
一振り、一振りに公案が問われているようなものだ。

日本刀、この静謐な美しさ。
これを武器と名指すのは、下品にさえ思う。
刀は野蛮ではない。そのように用いる人心に野蛮があるのだ。
日本刀に焼き込まれているのは、無心なる精神だけである。



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