脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

打たれ強く‥hot spice

2008年07月27日 14時16分26秒 | 雑談
連日、暑い日が続いている。
と言って、たかが30度をいくらか超えた程度だ。
湿気さえもっと少なければ、夏の気温としては耐えられる。

昨日の晩、インド人の店でカレーを食べた。
私は、辛いカレーが好きなのだが、出てきたの甘めのカレーだった。
「少し辛めに」と注文してもよかったのだが、インド人の店なので、
激辛カレーが来ると、困るかなと思い、デフォルトで任せた。

インド人のウエイターに日本語で「少し甘い」とやや苦言を伝えたが、
若い彼は笑いながら、日本人にはこれで丁度良い、と譲らない。
この辺りの自説の思い込みの強さも、インド人らしい。

だが、昨晩カレーを食べたせいか、朝起きてから暑さを余り感じない。
インド人が超激辛カレーを国民食のように食べるのは、
かの地の半端ではない酷暑に、逃れるすべもなく、体の方を暑さに
慣らし耐性を備えるという生活の知恵なのだろう。
また、この気候は彼らの宗教、信仰への熱意にも影響しているだろう。

日本では、暑さには「涼」をどのように工夫するかの文化が発達した。
すだれやよしず、風鈴の音、そうめんや冷やっこ、金魚鉢に泳ぐ金魚
であれ、様々に「涼」に知恵と工夫を凝らして、暑さに対しては、
気分、気持ちのありようを変化させようとする伝統的態度がある。

だが今日、そのような風情よりも、エアコンという石油・電気文明に
頼ることが、暑さに対する標準的な生活態度になってしまって久しい。
風の通りも悪い過密な都会では、仕方がないことにも思える。

私は、エアコン反対派ではない。エコ推進派でもない。
風情が消え行くことの寂しさと、人間がひ弱になっていることが気になる。
私は、昨年初めて自室にエアコンを入れたが、確かに快適である。
だが昨年は、夏の暑さに体が慣れ始めたのは、夏も終わる頃だった。
言い換えれば、昨年は夏をこの体でキッチリ体験しないで終わったのだ。

精神科医の斎藤環氏は、何かの自著の中で、人間の成熟とは、
葛藤処理能力と欲求不満への耐性を身に付けることであると記されていた。
だが、これらが身に付きにくい時代に我々は生きているのではなかろうか。

人間の成熟の意義、意味や内容も何か別なものへと変化しつつあるのだ。
成熟あるいは大人になること、そんなことより要領が良いこと、力関係で
人よりも上に立つこと、それで全てかのように思い為す時代なのでは‥。

私如きが、何のえらそうなことを言える身でもないが、
人生とは、どれだけ楽にカネと出世を得られるかのパワーゲームだ、
そんな人生観しか、社会的自然には湧いて来ない世の中なのかもしれない。

全ては、政治・経済・行政的権力の作ったカラクリである。
何も信じるな。
誰もあてになんかするな。
体だけは鍛えて、気合は入れろ。
挑んで来る奴等に舐められない程度に。

以前にも記したが、
モノをもたない・出世しない・悩まない、
が江戸庶民の生き様だったそうである。
それで、いーいんじゃないの、かな。








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