脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

五輪エンブレム: ネット民主主義と社会的制裁。

2015年09月06日 11時16分02秒 | 社会時評
新国立競技場の建設問題に続いて、五輪エンブレムに盗作疑惑が持ち上
がり、採用デザインが白紙撤回された。椿事である。採用案ばかりかデ
ザインの当初案にも元ネタじみた既存デザインが存在する等、主にネッ
トで追求され、一方では過去のデザイン作品にも次々と嫌疑が及んだ。

一連の報道でみる限り、デザイナーの佐野某氏又は彼のデザイン事務所
は、盗用や模倣を疑われかねない仕事の仕方も一部ではしていた印象で
ある(業界慣行では、許容範囲なのだろうか?)。佐野氏は社会的非難に
包囲され、エンブレムを取り下げざるを得なくなった。

デザインに限らず音楽であれ文芸であれ、創作物の模倣・盗作問題は、
昔から非常にデリケートで悩ましい問題である。仮に佐野氏の五輪エン
ブレムが模倣・盗作に当たらなくとも、彼及びデザイン事務所のこれま
での仕事ぶりには明らかな他人作の盗用が再々含まれており、それで一
般からの信を失ったような格好にも見える。

ネットというツールの発達と普及、それによるネット世論形成が可能と
なった今日だからこその、出来事でもあった。ネットに集う大勢の匿名
ユーザーが、協働して疑惑の追求を行うのは良いとしても、それで世間
の風向きを操り、個人への糾弾や制裁が横行するのなら、私はそこに、
群れの情理に引き摺られる「ネット民主主義」の、危険な一面を想到せ
ざるを得ない。

ネット民主主義が、大きな権力や権威に抵抗・拮抗するような図式自体
には好意的になれるが、いち個人(家族等を含む)を過度に追い詰めると
いう事態については、懸念が残る。佐野氏とご家族の人権にはケースに
応じては、行政当局等による保護等の配慮や危機介入も行うべきである。

ネットであれ何であれ、世間では「社会的制裁」などと尤もらしい言辞
を以て、溺れているイヌを集団で棒で叩くような蛮行が時折起こる。
イエス・キリストの時代から法治国家社会の今日でも、人間社会という
処はそんな場所なのであり、21世紀になっても中々に改まらない問題
というか、人間存在の宿業なのであろうか。

ネットであれ街場であれ、ヒトも集団や群れとなると、ノリや面白さに
つい我を忘れてしまう。その集合的力学がいち個人に向けて「制裁」に
動き、さらに制止・抑止する仲介も存在しない場合、思いがけず行き過
ぎた事態が出来してしまうことがある。

教育現場での集団イジメと同じく、そのとき、事態には誰も加害の責任
感がないのである。そこには、心身ともに瀕死の個人と、誰もが逃げて
背負うことをしない罪だけが漠然と横たわる。

今一度、自分の考えを、整理してみたい。
私は基本的には「ネット民主主義」に期待をしている。
マスコミに次ぐ「第四権力」として、政治・経済・社会的権力・権威等
の不当不正等を監視・暴露・告発し、対抗するものとしてである。

であるが一方で、ネットに限らず、人間社会の集団・群れ行動に対して
は、制裁機運の行き過ぎへの警戒と、是正や抑止力が絶対必要である。
「中立」の立場からの経過注視や勧告、当事者保護や危機介入を実効あ
るものとする規範や制度をどう確立していくか、今後ともネットを含め
社会(学校・職場・地域・私的集団等)全体における最重要な課題である。







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