
<今日は何書くの?>
「そうだいね、また路地の話かな…」
朝一番の作業は、ベットの中で腰と脊椎のストレッチをして、気功師から教さったマッサージなんです。30分ほどかかります。それから顔を洗って、口を漱いで…
ジンジャーパウダーをたくさん入れた煮出し紅茶を作って、それをもってパソコンに向かいます。前日に何人の方がこのブログを訪ねてくれたのかなと「アクセス解析をチェックしてから、写真を取り込んで編集して、ブログの執筆にかかるんです。6時過ぎになってました。
キキは、PC卓の隣りにあるお気に入りの椅子の上でのウトウトしながら私の作業を眺めてます。
でもさ、昨日は夕方にちょっとだけスズラン百貨店と青井食堂へ出かけたんですけど、あとはずっと家で作業していて、食事の写真しかないんです。これでは話になりませんので、取り置きしといた写真で「前橋の路地」第10回をします。お付き合いください。
前橋のまちの中心商店街の一つ、弁天通り商店街です。昔に比べるとだいぶ寂しくなった気もするのですけど、若い人が新しい店を開くようになって雰囲気が変わりつつあります。ゆっくりですけど…
大蓮寺です。この寺に弁財天を祀ったお堂があって、毎月3日に例祭が開かれています。その弁天堂のある街なので、弁天通って呼ばれているんだと思います。
山門前の路地の入り口は幅が2mもない。奥をのぞいても店があるわけでもなんでもない。よく見ると、「大蓮寺駐車場」という小さな看板が奥の方に見えている。
路地の入り口のゲートの上に看板らしきものが掲げられている。「まいどありがとうございます」とだけ書かれている。そして、その看板の上に太いパイプが見える。
裏側から見ると、何やら電動モーターやポンプらしきものが看板の裏側に設置されている。これは、弁天通のアーケードの消火装置、スプリンクラーの水を加圧するポンプだ。むき出しで見えているのが面白い。
そんなゲートをくぐって路地に入ると、左側は、閉店した寝具店の跡につくられた高齢者のためのデイサービス施設、右は表の店はたたんで住まいとしてだけ使われているみたいだ。
そのまま進んでいくと、金属網のフェンスがあって、その向こうはお寺の駐車場になっている。車の出入りは向こうの裏弁天通りの方からなので、こちら側には人の出入り口があるだけだ。
この駐車場になっているところに、以前は、弁天湯という銭湯があった。
駐車場への入り口の左手の建物とフェンスの間を進むことができる。入って行くと…
オリーブの木が植えられている。水道もある。その向こうは草地になっているけど、去年まではここで野菜が栽培されていた。向こうの方にぼさっと生えているのはアスパラガス、ここが菜園であった名残だ。実は、この小さな野菜畑は、前橋の街の中で最も中心地近くで耕作されていた菜園だったのだ。春にはアブラナ、夏にはトマトやキュウリ、いろんな野菜が通年でつくられていて、ここを通って野菜の出来栄えを見るのが楽しみであった。
畑の脇を抜けて向こうの道へ抜けることもできるのだが、元に戻って…
駐車場の入り口から、野菜畑の反対側の通路を見ると「はつね寿し」の看板が残っている。そう、ここに鮨屋があった。何度か寄ったことがある。
大学を出て、前橋に戻って県庁職員になったのは1971年の7月だった。その頃の県庁舎にはエアコンがなく、夏は扇風機が用意されるのだが、書類が飛んでしまうので団扇が暑さ凌ぎの最良の道具であった。とにかく、夕方まで仕事をすると汗びっしょりになってしまう。
そこで思いついたのが、仕事帰りに銭湯に寄ることだった。ちょうど仕事場と自宅の中間点に弁天湯があった。そこで、弁天湯に寄って、汗を流し、脱衣所の大型扇風機でゆっくりと体を冷やして、フルーツ牛乳を飲んで家へ帰ることとなった。
しかし、弁天湯を出て、はつね寿しの前を抜けると、その先は「呑竜仲店」であった。現在の仲店は1982年の火災の後に再建されたもの、火事で焼けてしまった仲店はもっと狭苦しくごちゃごちゃとたくさんの飲み屋が並んでいた。ほぼ中央の裏手には共同便所があって、酔客がずらった並んで用をたしていたものだ。
フルーツ牛乳よりもビールか冷や酒がいいな、酒飲みは、弁天湯から出ると自然とこのまちに足を向けた。そして、弁天通寄りの入り口の所にあった「志乃」という店の世話になった。
志乃のおかみさんは、私のタオルや着替えのシャツなんかを預かってくれた。風呂上りに濡れたタオルや汗になったシャツをもってゆくと、次に訪れる時までに洗濯をしておいてくれた。ありがたかった。
その頃の呑竜仲店にはギターなんかを抱えた流しの演歌師が何人か廻ってきていた。
あなたの浮名をお手元裏に 書いて結んだ恋の指
抱いて待ちますネオン花 夢は浅くも酔いたい女
ああ前橋ここは呑 竜恋の横街
広瀬のせせらぎ涙を誘い 独り芝居の空しさよ
酒でうすめるネオン花 うそでいいわよ好きだと言って
ああ前橋ここは呑竜 恋の横街
これは「呑竜恋歌」という演歌だ。このまちを流していた佐久間清詩さんという演歌師が自ら作詞作曲して歌っていた。私も、自然と覚えた。今でも歌える。
今は、仲店の中にあるヤギカフェによく来る。10年ほど前にこのまちに新しく開いたカフェだ。食べ物もおいしいし、話も楽しい。
そうそう、呑竜仲店のことはヤギカフェのHPでも紹介されている。
呑竜仲店から弁天通に戻ってくると、仲店のゲートがある。そこには、「ありがとうございました。またのご来店をお待ち申し上げてます。」と書かれている。
そうなんだ、弁天湯のあった路地の入口のゲートの看板のことだが、もともと通りに面して『弁天湯』の看板がかかっていたのだ。それが、弁天湯が廃業して看板がはずされたとき、裏側にあった湯あがり客を見送った「まいどありがとうございます」の看板を表にかけて、スプリンクラーのポンプが通りに露出するのを防いだらしい。
それで、「まいどありがとうございます」の路地となった。
今日は少し長い路地話で時間がかかって今、7時45分、キキが怒ってます。
<いい加減にして、朝ごはんの時間だよ!>だって。
昨日のお昼は温かい野菜天ぷらうどんを作りました。金時草、舞茸、ネギです。
これはね、晩酌の肴、クリームチーズとイカの塩辛を混ぜたんです。いけますよ。
夕食は、スズランの地下にある『十字屋』の「いしるいわし」、イワシの開きをいしるに漬けて乾した干物です。なかなかなんです。
レタスとキノコのオイル漬けのサラダ、金時草のポン酢和え、白菜と舞茸の卵とじ、味噌仕立ての温かいとろろ汁でした。
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。
今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
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