大手町のカトリック教会のある通りです。国道17号へ出る一つ手前の三差路から教会の方を撮った写真です。昨日、頼みごとがあって司法書士の深田さんを訪ねたんです。その帰り道にちょいと遠回りしたんです。
この三叉路の西側に桃井小学校の東側を流れていた矢田川が流れてきているのです。桃井小からここまでの区間は民有地の中を流れてくるので川沿いを歩くことはできません。川のようすをみたいときは、ここから眺めるか、両側の民間駐車場へ入らせてもらって見るしか無いのです。
コンクリートで固められたあんまし面白くない水路ですけど。
水路はつまらないけど、岸には結構いろいろ暮していて、小菊の花が枝垂れてたり、すっかり枯れたアメリカセンダングサが誰かに取りつこうとしてたり、鳥が落とした種から育ったんじゃあないかと思う小さなヤツデが花咲かせてたり、メリケンチガヤみたいのも生えてたり…、たまにのぞきたくなるんです。
そいでね、カトリック教会前の通りの反対側はすっかり水路が隠されてしまって、矢田川は暗渠になってしまっているんです。街中の川は利用価値のないって邪魔者扱いされて、蓋をされ、その上は駐車場みたいに『人』の役に立つものに変えられちゃってるんですよね。仕方ないうのかな…、草々も暮らせないよね…
ほら、高玉診療所なんかは矢田川の上に建物を建てちゃってるんですよね。こういうのもありなんですよね。既成事実っていうのかな、既得権というのかな…
そして、診療所の東側、舗装されずぬ砂利が敷かれている細長い土地、この下を矢田川は流れ、国道17号をくぐり抜けて南へ向かっているんです。昔は、ここも川の流れが見えていたんですけどね…
あ、そうだ、この先に懐かしいものがあるんです。前橋の路地第17回に切り替えちゃいます。
高玉診療所の前を過ぎてそのまま真っ直ぐに行くと国道17号へ出てしまう。その手前に左に曲がる角があるので、国道へ出ずにそこを曲がって…
なんてことない通りだ。正面には県庁前通りのマンションが見えている。特徴のない、普通な裏通りである。少し行くと右手に
切妻の壁面に『兵六』の文字、藍染の暖簾も『兵六』と染め抜かれ、硝子戸のガラスにも『兵六』の金文字、「ひょうろく」と読む。『兵六』は江戸言葉では「元気はよいけど間の抜けた奴」という意味で使われた隠語だ。それと、全国各地に兵六民話みたいのがあって、山形にも、鹿児島にも、それぞれの兵六がいるようである。兵六玉などという言葉も残されている。
前橋の『兵六』がなぜ『兵六』を名乗っているのかは聞いたことがない。昨日も尋ねなかった。『兵六』はだんごの店だ。醤油餡のみたらし団子とあんこの団子を商っている。のし餅や赤飯の注文にも応じてくれる。
戦前から続いているだんご屋やだ。子どもの頃「お団子買ってきて」というお使いは、この店までかけてくることだった。
みたらし団子を10本注文して、店のテーブルの上に乗っている柿の実を眺めてたら、「甘柿ですよ、よろしかったらお持ちください…」だって。
「では、一つ…」って一個いただいたら、「一つなんて言わずにもっと持って行ってください…」と、後を追うように二つの柿を手渡してくれた。昔と変わらない…
兵六団子の向かいはそば屋の『近留』、その隣は昔は日本銀行前橋支店長のすごく立派な社宅があった。今は処分され、マンションとなっている。
兵六団子の隣りは佐藤さんという弁護士さんの事務所兼住まいだった。今は使われていないが、なんか、ものすごく懐かしさを感じる建物だ。
その隣は新しい住宅になっている。ここに『岸医院』という診療所があったと記憶している。三十代の前半、病院で十二指腸潰瘍と診断されたのだが、手術しなくても保存療法で治せるとのことで紹介されたのが仕事場に近いこの診療所であった。
「とりあえず、たばこと酒は禁止、刺激の強い食べ物も避けて…」ということで処方された薬を飲み続けていた。一月半ほどしてからの検査の結果を見て「うん、ビールはダメだけど、酒なら酔わない程度に飲んでいいよ」と言われた。
そして、また三月ほど経って検査してもらったら、「うん、良くなってるよ、一服するかい?」と、診察室のデスクの上に灰皿をもってくるとポッケからたばこの箱を出して、1本手渡してくれて、ご丁寧にライターで火までつけてくれた。半年近く禁煙していた私は、目がくらくらした。
後で思うことだが、あのまま禁煙していれば良かったはずなのに、私はヘビースモーカーの仲間入りをしてしまった。
路地を進んで、桃井小学校の正門に続く広い市道を渡ると、以前『徳寿』という名の焼き鳥屋だった建物が残っている。その手前の空き地、ここに『橋本洋服店』があったはずと記憶している。1971年、前橋に戻ってきた私に「背広を作りなさい」と父が紹介してくれた店だ。
1942年にこのまちに越してきた私の両親は紅雲町の空家を借りて生活を始めた。その父の背広はずっと橋本洋服店で誂えたものであったらしい。
言われるままに1着誂えた。2着目からは、誂えでなく既製服となった。「つるし」と呼ばれ蔑まれてきた既製服が、前三百貨店やなんかで高品質の商品に生まれ変わったおかげであった。以後、誂えの服を着たことはない。
昨日の兵六だんごといただいた柿は、私とユキ子さんの昼食となった。どちらもおいしかった。
昼過ぎまた用事ができて出かけたんです。冷たい風が吹いていました。赤城山もすっかり冬姿です。
あおい食堂へ寄ったら、どでかい冬瓜がいました。
「切るけど、少し持ってかない…」ってお母さん。
「遠慮しときます」、いくらなんでも大きすぎます。
<早く帰った方がいいよ、驚くから…>、昨日かわいい寝顔を見せてくれていた猫が起きだしてきて言うんです。それで、急いで帰ったら…
柿の実が20個ほどに増えちゃってました。
「石原歯科の先生が、採れたからって届けてくれたんですよ」とユキ子さん。
そうか、一昨日の休診日に子どもさんと庭の柿の木の実を摘んだんですね。ごちそうさまです。
夕食は、前日つくった菊花のディッシュ使ってカリフラワーと春雨のサラダです。それから、ニンニクを効かせた豚ばら肉とニラの醤油炒め、それと鶏団子鍋少々でした。鶏団子鍋の残り物は、今朝の味噌汁になりました。
<今朝はさ、おヒゲが別のご用に時間とられちゃってさ、まだ記事のアップがずい分と遅れちゃいました。
ごめんなさい、許してあげてくださいな>
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。
今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
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